本当にやりたいことは、すぐそばに。研究者×養蚕実践者 小澤茉莉が「人生をかけるテーマ」に出会うまで
研究者として養蚕の歴史や文化を研究する傍ら、自らも埼玉県秩父市で養蚕を実践。大学院へ進学し、シルクの世界を探究する小澤茉莉(こざわ・まり)さんは、いかにして「人生をかけられるテーマ」に辿り着いたのか。
蚕(かいこ)は蛹(さなぎ)になるときに糸を吐き出して繭(まゆ)をつくる。この繭から糸を取り出すと、シルクという繊維が生まれる。蚕を育て、繭を生産する「養蚕(ようさん)」は、国内で数千年の歴史を持つ伝統産業であり、明治期には日本の近代化を牽引した。
しかし近年では、海外からの安価な生糸の輸入や化学繊維の普及、生産者の高齢化などにより、国内の養蚕業は急速に衰退。全国でピーク時には220万戸存在した養蚕農家は、今では150戸を数える程度にまで減っている。
そんな中、数千年間続いてきた養蚕業における人間と蚕の関係性を研究し、自らも養蚕の実践者としてさまざまな活動をおこなっている人物が、東京工業大学博士後期課程1年・影森養蚕所の小澤茉莉さんだ。まさに人生をかけて「養蚕」を探究する彼女が、情熱の対象に出会うまでの軌跡を聞いた。
研究と実践、2つの視点で「養蚕」に取り組む
─ 小澤さんは現在、東京工業大学の博士後期課程に在籍されています。まずは、研究テーマについて教えてください。
文化人類学の視点から「養蚕」について研究しています。修士課程では「養蚕農家の蚕に対する供養精神」をテーマに、インタビューなどをおこなっていました。
生糸を生産する際に繭を茹でて糸を取り出すのですが、そのときに繭の中にいる蚕を殺生する必要があります。こうした殺生に対して「蚕がかわいそう」という印象を持つ方が多いと思うのですが、当然生産者側にも葛藤はあり、日本には供養碑を建てて蚕を供養する文化が見られます。
この「虫である蚕に対して感謝し慰霊する文化」というのは、すべての命がつながっていると考える日本的な思想の特徴だと思っています。博士後期課程ではこうした養蚕農家の精神に注目すると同時に、養蚕のバイオ産業化など先端的な科学技術によって蚕を育てる技術、そして人間と蚕の関係性がどのように変化しているのかを考えてみたいと思っています。
─ さらに、当事者としても養蚕を実践されていると伺いました。
はい。養蚕が気になって調べていくうちに、秩父市で唯一の養蚕農家である夫(久米悠平さん)と出会い、結婚しました。今は、彼が運営する「影森養蚕所」の一員として、蚕の飼育のサポートやSNSなどで養蚕に関する発信活動をしています。
早めに「ずれた」ことで、焦らず自分の道を進めた
─ どのようなきっかけで、「養蚕」に興味を持ち始めたのでしょうか。
話すとちょっと長くなるんですけど(笑)、はじまりは大学の学部生の頃に遡ります。当時は国際関係や国際協力の勉強をしており、ファッション業界の環境破壊や労働問題に関心を持っていました。
そこからエシカルファッションに興味を持ち、在学中に日本の伝統文化に注目したエシカルファッションに関する活動をさせていただくことになりました。実際に、徳島の藍染めや京都の草木染めなどの染織文化に触れていく中で、地域に根ざした伝統文化やものづくりに惹かれていきました。
そうした活動を通して、シルクという素材の魅力に気づかされるとともに日本の絹文化には数千年もの歴史があることを知ったんです。それだけ長い歴史を持つ文化を、研究を通して探究していきたいと思い、大学院に進学してシルクの世界を研究することを決めました。
─ 学部生のときに就職活動はしていなかったんですか。
積極的にしていなかったですね。当時、私のまわりには起業したりフリーランスとして働いていたりする方が多かったので、「企業へ就職しなければ」という感覚はありませんでした。
むしろ、みんなが画一的に就職していくことに対する違和感はずっとどこかにあって。大学時代は、「自分は何に一番興味があるのか」「どうすれば自分の人生をかけられる領域を見つけられるのか」を探し続けていました。だから積極的に就職活動もしていなかったし、大学院に行こうと決めたときも、進学後のことはノープラン。けっこうゆったり構えていたと思います。
─ とはいえ、一般的には就職していく人が多い中で、焦りや不安は感じなかったんですか。
不安はなかったです。もともと人と比べるタイプではないというのもありますけど、これは高校・大学時代の経験が大きいかもしれません。
高校時代は受験勉強よりも部活動に打ち込んでいて。大会が終わり、部活動を引退するのが高校3年生の秋頃だったので、浪人して今後何を勉強したいか考えたいなと呑気に思っていました。
そうして一浪して大学に進学したり、大学在学中もエシカルファッションの活動に集中したくて1年間休学したり…と、どんどんまわりと「ずれる」と、「まわりの人と比較してもしょうがない」という感覚になっていきました。
日本では「みんなで一歩ずつ同じ歩幅で進もう」という意識が根強いと思います。でも、いつまでもみんなが同じペースで進めることなんてなくて、いずれどこかで「ずれる」。それが学生時代の場合もあれば、結婚や出産、介護のような、それぞれのライフステージによる「ずれ」もある。どうせいずれ「ずれる」んだったら、早めにずれておくことで、自分のペースで進むことを早い時期から楽しめるようになると思うんですよね。
自分が本当にやりたいことは、案外身近な場所に転がっている
─ 「やりたいこと」が見つからなくて悩んでいる人は多いように思います。どうすれば、小澤さんのように「人生をかけられるテーマ」に辿り着けるのでしょうか。
感覚的な話ですけど、学部生のときは「私がやりたいこと」「私が興味のあること」を探し、「自分」を主語にして動いていましたが、今はどちらかというと「何かに動かされている」ように感じるんです。
たとえば、実は最近、自分はここ影森地域で生まれていたことがわかって。もともと、生まれが秩父であることまでは知っていたんですが、今自分が活動している影森の地で生まれていたと聞き、あまりの偶然に驚きました。
そういった些細なことが積み重なり、「私がここにいる理由」がどんどん増えていきました。自分で選んでここに来たつもりが、ここに来るべくして導かれたのだと。自分は動かされて、生かされてここにいるという実感を持ってからは、「自分」という主語がどんどんなくなっている気がします。
─ 「自分」という主語がなくなっている、とは?
熱量が少なくなっているという意味ではありません。「これがいい、あれは違う」と自分を主体に選別する世界観ではなく、身を任せて動かされ続けることで、会うべき人ややりたかったことに自然と出会える感覚があるんです。
この考え方は、夫に影響された部分も大きいですね。彼も秩父という土地に生まれ、代々続いてきた家業に根ざして生きている。都会にいると、大量の選択肢の中から自分のやりたいことを掴みに行くような感覚になりますけど、自分が本当に興味があることは、案外自分のルーツや最も身近なところに転がっている。そう思えるようになってから、いろんなことが動き出しました。
「エシカル」とは、「つながる感覚を持つ」こと
─ 養蚕を探究するきっかけとなった「エシカル」は、小澤さんの活動に通底するテーマだと思います。今現在、小澤さんにとって「エシカル」とはどのような意味を持たれていますか?
これまでの活動を通して徐々に自分の「エシカル」に対する理解にも変化がありました。今最もしっくりくるのは「つながる感覚を持つ」という表現です。「オーガニックコットンが何%だからエシカル」というような数値ですべてを判断するのではなく、自分の選択がどんな未来につながっているのか自覚的になることや、自分はまわりの人々や自然環境に「生かされている」という感覚を持つこと。エシカルとは美意識や感性に近いものだと思っています。
─ 最初におっしゃっていた、「日本的な思想」にも通じますね。
そうですね。こうした「つながり」の重要性は、自分が養蚕を実践するようになってからますます感じています。蚕は桑の葉を食べて繭をつくり、その繭が糸になり、糸が織物になっていく。そして、その織物を私たち人間が身に纏う、という「つながり」の中で絹文化は数千年かけて継承されてきました。私自身、今も養蚕という生業を通して、人間と蚕、そして自然とがお互いにつながり合っていることに体感的に気づかされています。こうしてつながりあってできているものづくりは、やっぱりいいなと思いますね。
その意味では、「エシカル」とは、地域の風土や歴史、精神に根付いているものだと思います。そして、何千年も続いている伝統文化こそが、「サステナブル」の実例でもあるのではないでしょうか。従事者の高齢化や後継者不足などによって、日本のみならず世界各地で伝統的なものづくりは厳しい状況に置かれていると思いますが、「サステナビリティ」が求められている現代だからこそ、伝統文化から学び直す必要があると思っています。
─ 養蚕業が今後も続いていくためには、どんなアプローチが重要だと考えますか。
やはり今まで通りに繭をつくっているだけでは厳しいという感覚はあります。この状況を打破するためには、養蚕農家が繭を使ってくれる方と直接つながることが重要なのではないかと思っています。
これまで分業体制のため、繭を出荷したあとは、自分たちのつくった繭がどこでどのように使われるのか、まったくわからないという状態でした。しかし、今では養蚕農家自らが食品やファッション業界など他領域の生産者と直接協働する事例も見られます。影森養蚕所でも、織物作家やデザイナーの方と協力し、影森養蚕所で生産した繭を用いて製品を作っていただいています。
また、実際に繭を使いたい方と直接やり取りすることで、いまどんな繭が求められているのかを知ることもできます。「こんな繭がほしい」というそれぞれの要望に応えながら、生産者同士の「つながり」を生み出していくことが、いま求められていることだと感じます。
人間と蚕の関係性を探究しつつ、シルクという選択肢を未来に残す
─ 今後は、どんなことに取り組みたいですか。
従来型の養蚕業は急速に衰退している一方で、2000年代頃から「スマート養蚕システム」をはじめ養蚕のバイオ産業化が進んでいます。
工業型の養蚕では、蚕は温度や湿度がコントロールされた無菌環境で育てられ、蚕のタンパク質に注目した医薬品や化粧品などへの活用が見られます。これまで農業の領域で人間の身体を使って育てられてきた蚕が、「タンパク質」として扱われるようになっている。こうした養蚕のバイオ産業化は数千年間続いてきた人間と蚕の関係性に何らかの変化をもたらすと思いますし、今後は農業としての養蚕と工業型の養蚕を比較しながら研究したいと思っています。
蚕はこれまで品種改良され、完全に家畜化された昆虫です。そのため、その時代における先端技術を取り入れながら「蚕」という生物が生み出されてきたとも言えます。その際に、人間はどのような価値観で蚕の種を作り出してきたのか、という科学技術の歴史や従事者の蚕に対する生態観にも関心がありますね。
─ 実践者としては、どんなことに取り組んでいきたいですか。
私自身、もっとシルクという素材の面白さを知りたいですし、発信したいと思っています。
養蚕のバイオ産業化が注目され、医薬品などへの展開が見られる中で、「蚕にしかできないことって何だろう」とよく考えるのですが、やっぱり「糸」であることの意味があるんじゃないかと思うんです。小さな身体の蚕が一生懸命に糸を吐いてくれることに対して「ありがたい」と感じますし、蚕のいのちをいただくということをちゃんと汲み取ってものづくりに生かしていきたい。「シルク」という選択肢を未来に残していきたいですね。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 小澤 茉莉(こざわ・まり)
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1996年生まれ。津田塾大学卒業後、東京工業大学環境・社会理工学院の修士課程を修了。現在は同大学院の博士後期課程にて、文化人類学の領域で国内外の養蚕業・蚕糸業における科学技術の歴史や、生産者の蚕に対する生態観を研究。埼玉県秩父市「影森養蚕所」にて養蚕を実践し、「研究と実践の往還」をモットーに活動を展開する。