大切なのは「経験」すること。鉄鋼会社社長がVR認知症プロジェクトに取り組む理由
内装はまるでカフェ、そして入居者が作った駄菓子屋が玄関先に。ユニークな運営を行う高齢者向け住宅「銀木犀」。株式会社シルバーウッド代表 下河原忠道氏は何故新しい分野に挑戦をし続けるのか。
薄板軽量形鋼材を使った建築工法『スチールパネル工法』の開発、高齢者住宅の運営、そして「認知症」に対するVRを用いた啓蒙──。並べてみると、何故それらがつながっているかは分かりにくいかもしれない。しかし、「それぞれの事業が既存の鉄鋼の事業から派生していった。自然の流れだった」と話すシルバーウッド代表取締役・下河原忠道氏の数々の挑戦はすべて1本の軸でつながっている。いったい何故、一見異分野に見える取り組みに参入したのか、根底に流れるチャレンジ精神や努力、そして苦境を乗り越えるパワーの源を尋ねる。
父親の鉄鋼会社を救うべく、新しいビジネスを探し求めたことからすべては始まった
ー お父様が鉄鋼会社を経営されていたとのことですが、小さい頃からご自身が会社を継ぐという意識は強かったのでしょうか?
小さい頃から工場は遊び場でした。長男だったこともあり、父にも後継者として育てられてきたと思います。高校卒業後しばらくは世界中を旅していたのですが、父から「いつまで遊んでいる気だ」といわれて、会社の手伝いを始め、本格的に家業に携わるようになりました。当時は景気の低迷と鉄鋼価格の下落が重なった時期で、会社としても今までと異なる製品を作り出す必要性を感じていました。
─ 厚さ1㎜の鋼板を加工した薄板軽量形鋼と木製合板を組み合わせた建築工法『スチールパネル工法』が御社の代表的な製品とお伺いしました。どのような経緯でスチールパネル工法は生まれたのでしょうか?
元々商材として薄板鋼板自体を販売していたのですが、商談中あるブローカーさんから「下河原さんの会社で扱っている薄板で家を建てるシステムがアメリカにあるらしいよ」と教えていただいたのがきっかけです。にわかに信じられず、その週末すぐにアメリカのカリフォルニア州パームスプリングに飛びました。
そこにはスチールフレーミング工法で建てられた建物が一千棟ほど建ち並んでいました。その光景を見て、全身に鳥肌が立ってしまって「俺はこの工法を日本で普及させるんだ!」って気分が高揚しましたね。自分が扱っている素材が、少し形を変えるだけでさまざまなニーズを生み出す新しい建築工法になると知った時の感動は大きかった。まさに救世主になると思いました。
スチールフレーミング工法は材料が鋼のため地震や火にも強く、耐久性に優れている。しかも鉄筋コンクリート造に比べコストも削減できる。意気揚々と日本に帰り、父親に「俺、会社を辞めるわ」と言って、基礎理論を学ぶためにアメリカのオレンジ・コースト・カレッジに入学しました。でも大学に行くよりも、スチールフレーミング工法を実践しているアメリカ企業の現場で地元の作業員と共に毎日のように働いていました。
─そんな簡単に日本での仕事を辞めて渡米されたなんて、すごい行動力ですね。
自分が売っている鉄板の需要がなくなりつつあるのを実感していたからというのも大きかったです。極端な話、営業に行っても塩を投げつけられるような扱いを受けることもありました。当時は鉄鋼業界全体が斜陽になっており、これはすぐに行動しなければいけないと考えました。
─ 帰国後、学ばれた工法をすぐに日本で普及させられたのでしょうか?
学んだ工法を日本で普及させるためには、日本の厳しい耐震基準をクリアしなければいけません。特許取得と国土交通省による大臣認定をもらうことを目標に、耐震性、耐火性、遮音性、耐久性、断熱性などさまざまな試験に臨みました。最終的には、全部の認定が下りるのに7年かかり、各種実験の費用で多額の借金を抱えました。
許可が取れたあとは、この工法を採用してもらうようさまざまな営業活動を重ねました。最初は平屋建築から始まり、2階建て戸建住宅、コンビニ、ファミレス、共同住宅と、規模もどんどん大きくしていきました。そのなかでお話をいただいた、滋賀県の3階建ての高齢者向け賃貸住宅が、後の私の人生に大きな影響を与えました。
その話を頂いた当時は、まだ高齢者向けの賃貸住宅は少なく、制度もありませんでした。ただ、この分野はこれからもっとニーズが増えると確信しました。その時点でもコンビニやファミレスは十分すぎるほどありましたし、戸建てや共同住宅は、空家、空室が目立つような状態でしたから。
─ そこで「福祉」や「介護」分野への興味をもたれたんですね。
興味を持って、そこから仕事が休みの度に高齢者向けの住宅や施設の視察に回りました。福祉先進国であるデンマーク、ノルウェーなどの北欧や、イギリス、フランス、アメリカ、ハワイ、そして韓国にも行きましたね。例えば北欧では高齢者向け住宅はあっても高齢者施設はほとんどない。デンマークでは、おばあちゃんが朝ごはんを作るなどいつもの生活パターンで生活をし、そのいつもの生活の中で難しくなってきたことを専門家がサポートするというスタイルです。イギリスのホスピス(終末期ケアを行う施設)では、抗がん剤治療で心身ボロボロになって終末期を過ごすのではなく、自然な方法で痛みだけを緩和してあげて普通に生活を送っています。他にも、ハワイの高齢者向け住宅もとても印象に残りました。入居者たちは趣味の域を超えて興味のあることに取り組んでいて、自発的にさまざまなサークルを入居者自身が立ち上げて人員を募り、活動を行っていて、驚きました。
─ 日本の高齢者向けの施設とは異なる状況でしたか?
日本の施設も視察しましたが、海外とはギャップがあるのが正直な印象でした。日本の施設の場合リハビリテーションといっても、歌を歌うとか体操をするとか、介護スタッフが入居者に指示をして行っているところがほとんどです。高齢者の方自らが楽しんで余生を過ごせる状態が一番いい、と強く思いました。
─ そこから、施設の運営をスタートさせるにはどのような経緯があったのでしょうか?
最初は自分が高齢者向けの施設を運営するなんて考えていませんでした。ただ「日本の高齢者向け住宅がこれからすごく重要なポジションになる」といつもオーナーさんに力説していたんです。そしたら、「じゃあ、建築費は出すから自分で運営してみたらいい」と言われ、「じゃあ、やります」と。
けど、まったく専門外の分野でしたから、すべてゼロからのスタートです。病院でも介護施設でもなく、必要最低限のサポートが用意された、人としての尊厳を保ちながら生活のできる場所を目指し、2011年7月に「銀木犀〈鎌ケ谷〉」をオープンしました。
─ 「銀木犀」の外観はまるでデザインホテルのようですし、建物に入るとファッションやアートの写真集が飾られ、ヒノキの無垢材を使ったフローリングや木製の机と椅子などが置かれた空間はおしゃれなカフェのような空間で正直驚きました。
単純に、居心地の良い空間を考えた結果です。ヒノキの無垢材は一般的には滑りやすいという理由で採用されません。でもリスクを完全に排除してしまったら、かえって不自然ですし入居者の自主性も奪いかねません。
─入居者の自主性を尊重されているんですね。
入居者の方には配膳や洗濯など自分でできることは何でもしてもらいます。歩き方が不安定でも、歩ける方にはできる限り歩いてもらいますし、ご家族にもそのように伝えています。一番大事なのはできることを取り上げないことです。
─ 施設の入り口に駄菓子屋さんがあったのにも驚きました。
入居者の夢を叶えるプロジェクトとして、「駄菓子屋をやりたい」という女性のために施設入り口に駄菓子屋を作りました。発案してくれたのは認知症の方でしたが、駄菓子屋の店長をやるようになって毎日が楽しいと話しています。近所の子供たちが買いにきてくれて、地域の交流にもつながっています。 その駄菓子屋を見て、俺は「居酒屋をやりたい」という入居者の男性もおり、不定期ですが居酒屋もオープンしています。誰かの役にたつことは、いくつになっても嬉しいものです。そのことが生きがいにもつながっているのだと思います。
─ 今年から、仮想現実(VR)を体感できるデバイスを用いた、コンテンツの制作をスタートされたとお伺いしました。こちらも介護事業の延長上なのでしょうか?
現在、日本には認知症のある方が800万人いるといわれ、後期高齢者の4人に一人は認知症です。しかし、社会の中で認知症は異質なもの、施設に入るべきという認識の人が少なくないと聞きます。
そこで、認知症の一人称体験ができたら、現実世界においての認知症のある方への接し方も絶対に変わってくるはずというのが、僕たちがVRコンテンツの制作を手がけることとなったきっかけです。
現実に、自分の周りに認知症の人が現れた時、このコンテンツを体験していることで声のかけ方ひとつにしても想像力を持って接することができる。経験をすることで、共感を持つことができると考えています。 実際に体験してくれた学生さんが、街中で「もしかしたらこの人は認知症なのでは」という事で行動を起こせた、とお便りを貰った事もあります。
ほかにも、ガンの告知を受ける疑似体験や、ディスレクシア(学習障害)の疑似体験、また自閉症がある方の生活に密着した疑似体験などの課題に向けてのコンテンツも製作中です。VRを用いて社会課題と対峙し、リアルなものを見せる。いつかはそういうライブラリーを作って、大抵のことはそこで疑似体験できるようにしたいと思っています。
話として「知っている」だけではなく、擬似的にでも実際に体験して、理解してもらうと、きっともっとみんなが優しい、よい社会につながるんじゃないかと思って、今展開を進めているところなんです。
─ スチールパネルから、高齢者住宅、VRと一見関係なさそうに見える事業ですが、全てがつながっていたのですね。
アンゾフという経済学者が考えた『成長マトリックス』という指標に自分たちの事業を当てはめると、とてもわかりやすいんです。既存事業である鉄の事業があり、既存事業を成長させるために生まれたのがスチールパネル工法です。その工法を使って高齢者住宅という新市場を見つけました。そして高齢者住宅「銀木犀」の運営を始め、たくさんの高齢者と接していくなかで「認知症」という新たなテーマを見つけました。その先にVRがあると思っているんです。それぞれの事業が既存の鉄の事業から派生していったんです。突拍子もない事業をスタートさせたとは思っていません。一連の流れの中で仕事をさせてもらっているなと思っています。すべてが一連の流れの中で出会ってきたからこそ必然性を感じますし、まったく携わったことのない分野でも、「こうなるといい」という目標が明確であるからこそ、挑戦し続けられるのだと思います。
プロフィール/敬称略
- 下河原忠道(しもがわら・ただみち)
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1971年東京都生まれ。1992年より父親の経営する鉄鋼会社に勤務し、1998年に渡米。ロサンゼルスのオレンジ・コースト・カレッジでスチールフレーミング工法を学び、帰国後2000年に株式会社シルバーウッドを設立。スチールパネル工法を開発し特許を取得、国土交通省より大臣認定を受ける。耐震性に優れた住宅・店舗などの設計・施工を行う。2005年に高齢者向け住宅工事を受注したのをきっかけに高齢者向け住宅・施設の企画・開発事業を開始。2011年7月にサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀〈鎌ヶ谷〉」を開設。現在、銀木犀シリーズを6棟直轄運営。一般財団法人サービス付き高齢者向け住宅協会理事。アジア太平洋高齢者ケア・イノベーション・アワード2015大賞受賞。