ロングライフデザインの提唱者、ナガオカケンメイが振り返る「平成」とは
見直すものづくりから、生み出すものづくりへ。D&DEPARTMENTを率いるナガオカケンメイが平成のもの作りと思考を振り返る。
平成という時代の終わりを目前にひかえた今、私たちは何を思い、考えるべきか――。デジタルテクノロジーの劇的な進展、経済の低迷や大規模災害など、変転著しい30年が私たちにもたらしたものを振り返るとき、そこにはさまざまな思考のタネや次代へのアイデアが見つかるに違いない。"平成的思考"から脱却し、新時代を生き抜くための来たるべき未来を予測していく。
息の長いその土地らしいデザイン="ロングライフデザイン"を提唱するD&DEPARTMENT PROJECTディレクター・ナガオカケンメイさんに、平成の総括とネクストステージへの展望を伺った。
浮き彫りになった"モノとコト"の違い
― ナガオカさんにとって、平成はどんな時代でしたか?
「モノはいらない」「モノはシェアするもので所有するものではない」「モノで豊かになることはない」という境地にたどり着いた人と、そうではない人とで世の中が二極化していった時代だったと思います。
私がD&DEPARTMENTを立ち上げた平成12年(2000年)は、社会的活動と物販や飲食サービスを融合させて起業・開業をした数が多いタイミングでした。以来、物販ビジネスをしながら、社会的変化を目の当たりにしてきなかで、私たちもかなりの改革をしてきました。
最近では、オンラインで購入する層が想像以上に増加したため、広い面積にたくさんの商品を並べるスタイルはすでに崩壊しており、私たちも大きい店舗はその役割を終え、店舗の規模を改め、次の時代のスタイルへとリニューアルしようとしています。とは言っても、ここ10年間で発生したコミュニティやシェア的発想など、拠点としての路面店は依然として必要とされるはずです。
公民館や図書館など行政が管理しているスペースを民間が運営するなど、既存の公共性を変えていく活動スタイルの企業が増えましたよね。例えばカルチュア・コンビニエンス・クラブが図書館の運営を手がけていたり、studio-Lの山崎亮さんは公民館を活動拠点にしたりと、民間主体でさまざまな取り組みが行われるようなりました。
私たちのショップも公共性をともなうべく、地域と物販をセットにした観光案内所的機能を持つようになりました。次の段階として、これからどうしていくのかが重要ですね。
― 2000年から社会的活動と販売・飲食のサービスが融合する流れが生まれたとのことですが、その背景にはどういった動きがあったのでしょうか?
インターネットもコンピューターも携帯電話も珍しかった90年代から一転し、2000年に差し掛かる頃には、そうしたデジタルデバイスが一般化しました。この変化にどう対応していくかという課題感は当時の変化の社会変化にも大きく影響を与えていると思います。
このタイミングで爆発的に増えた物販ビジネスは、デザイン事務所を母体にしていたところが多かったように思います。私自身、当時日本デザインセンターでクライアントワークに従事していましたが、新たな時代が到来する兆しから、活動のフィールドを開拓していかないとまずいという意識を持ち、デザイナーという立場への疑念を抱くようになったんです。
その意識から、1999年に細々と事務所の片隅でネット通販をやるようになり、結果D&DEPARTMENTの立ち上げにつながっていきました。
日本のものづくりを改めて受け継いでいくタイミング
― モノとの向き合い方も変わってきているのでしょうか?
戦後は何もないからこそ、モノを欲していました。そして60年代の高度経済成長期を経てモノが溢れ飽和状態に陥った結果、モノだけでは幸せにはなれないと人々が気づき始めたのが現代です。
現代人の多くが豊かさを求めてコトを消費しています。しかし、辿り着くのは結局モノではないかと私は考えています。モノの時代からコトの時代へと変わっているのは確実ですが、コトの背後には必ずモノがある。その事実を軽視した物販店の存続は難しくなるでしょう。
私たちのような販売店はこれからモノに辿り着いてもらうために、無形のモノを並べる必要がある。トラベル誌を発刊しているのもそのためです。
その一方で、これからは新しいモノをつくり出していかなければなりません。
私たちは2000年から「人々の暮らしの中で長く使い続けられているデザイン」を「ロングライフデザイン」として提唱してきました。そこには"新しくつくる"ではなく"見直す"という意味合いがあり、社会的にもそうした時代が20年ほど続きました。
しかし、その間に日本のものづくりは世界に遅れを取るようになり、日本のものづくりを再び伸ばさなければいけない時代に来ている。これからは"新しくつくる時代"になっていくでしょう。
― 日本のものづくりを再び伸ばすために、ナガオカさんは何が必要だと考えられていますか?
福岡県にある久留米絣(くるめかすり)という生地の産地に訪れた際、現地の若者が新しい久留米絣をつくろうとチャレンジしていました。反面、多くの年長者が新しいものは認めず、「久留米絣とはこういうものだ」と定義付けをする様子も見受けられました。これは、一見伝統を守る行為のようですが、実は新たな可能性を潰してしまうことにも繋がります。
こうしたことは今に始まったことではなく、全国各地で以前から起きていました。すると面白いものづくりをしたいと考える若者たちは、窮屈な青年会よりもネットを通じて外へと飛び出してしまい、結果的に伝統が消えてしまうことに。残すべきは技術であり、スタイルではないはずです。圧力となってしまっていた年配者が今後、若者たちに道を明け渡していくことで、技術を使った新しいものづくりが飛躍すると考えています。
こうした二極化は至るところで起きています。もちろん、両者をつなぐ重要な役割を果たす人もいます。平成が終わりを迎えるいまは、完全にバトンを渡す途上にあるのです。
新旧の橋渡しという役目では、私たちの活動では、例えば、「60VISION」というプロジェクトがあります。「60」は1960年代のことですが、その頃のものづくりってすごく健全だったと思うんです。特にマーケティングもしていなかったし、職人肌の人々が夢を抱いて新しいものをつくろうとチャレンジしていた時代です。
この"健やかなものづくりの時代"を体感した人がいなくなってしまう直前のいまこそ、このストーリーを伝えなければいけない。さもなくば、ものづくりをするうえで必要な根っこがないまま、新しい世代はチャレンジすることになってしまいます。伝統技術がギリギリ現役ないま、まさに過渡期です。
中国から学ぶこれからの日本の"ものづくり"
― モノからコトへと時代は動きつつも、改めてモノを考えなければいけなくなっていると。では、次はどんな時代になっていくのでしょうか?
私はもう53歳になり、もはや過去の人間です(笑)。僕らの世代では誰もが憧れるような高価なモノを持っていれば幸せでした。でも、若い人たちの観点からすれば、モノを持たなくても幸せなんです。今の世代はお金なんてなくても、幸せなことはたくさんあると本気で考えている。こうした世代間での意識のズレは感じますね。だから、僕はもうモノを売っている場合じゃない。ストーリーの継承にコミットするような働きかけをしないといけないんです。
日本の外に目を向けてみると、例えば中国では国民全体の文化意識の底上げにつながるような投資が盛んです。目先の経済的利益よりも、長期的な文化促進に投資することで、その先に途方も無く広大な市場が待ち受けているからですね。こういった取り組みを日本もしていかないと、置いていかれてしまいます。私たちもこの10月にD&DEPARTMENTの中国店を立ち上げて、中国市場の可能性に期待しています。
― 短期的にモノをつくって売る思考よりも、中長期的に価値を積み上げていく思考が強くなっていると。
中国はまだモノが少ないのでかつての日本のように、「モノ=豊かさ」の図式が大勢です。コピー商品ではなく本物を求めつつ、旅や学びなどの体験に消費の波が移行しています。同時に文化的価値を大切にし、人民大革命で全てが白紙に戻ってしまう以前の中国の文化が保存されている日本へ、文化的意識の高い中国人が感謝の念とともに訪れるようになっています。
― 日本は文化的な投資に対して意識が足りていないという実感がありますか?
そうですね。だから日本でも中国に倣うように、これから文化的投資が増えるでしょう。過疎化した街を税金でなんとかするのではなく、民間主導で改革していく。そこに観光客が来てお金を落とし、健やかに観光地化していくのではないでしょうか。
中国は国家レベルで大々的に国民の文化意識を底上げしようとしていますが、日本はある時期にすでに一度大きく底上げされています。平成から新たな年号へと変わるタイミング以降で第二段階の底上げが行われるかもしれませんね。
― 日本における次なる底上げは、どこから起こっていくのでしょうか?
やっぱり若者ですよ。最近30代の人たちの間で「田舎暮らしの豊かさ」を知ることが普及しているようです。僕にはなんだか単なるスタイルにしか見えませんが、どうやら彼らは本気でその豊かさを謳歌しているようです。どうしてもモノに豊かさを求めてしまう僕には、その感覚を理解するのが難しいのですが(笑)。
― ナガオカさんは先ほど、伝統を知る人と時代の担い手とをつなぐ役に徹していると仰っていましたが、伝統工芸が健全にビジネスとして成り立つような仕組みをつくることで、日本でも中国のような文化的意識の高まりが多く見られるのでしょうか?
もともと日本には民芸の考え方が根付いていて、生活雑器の持つ美しさを内輪で認め合う、内向的な美学があったのだと思います。フランスのエルメスもイタリアのフェラーリも、言うなれば伝統工芸です。でも、単なる伝統工芸に留まらず、グローバルマーケットに進出し、「生きたモノ」として評価を集めています。
日本の伝統工芸はどんなにその美しさが世界的に認められても、"伝統工芸"という小さな枠組の中から出ることはありません。日本の伝統工芸も夢を持って世界の市場へ出ていくことが、これから重要になっていくでしょう。
中国や韓国の若者は、日本の影響を強く受けています。例えば中国の焼き物の産地・景徳鎮で、20代の若者が金継ぎのユニットを組んでいます。彼らは国中から金継ぎの依頼を請け負っていて、オンボロの家をリノベーションした作業場で現代音楽がガンガンにかけている。
でもやっていることはものすごく緻密な伝統的手作業なんです。「なぜこんなことをしているんだ?」と問いかけると、彼らは「日本の金継ぎがかっこいいからだ」と。日本でもこうした動きがグローバルに向けて起こるといいですね。
― 次の元号のもと、新しい時代においてナガオカさんはどのように活躍していきたいとお考えでしょうか?
いま"青年会"を重要なキーワードに据えています。継承の応援団として彼らに関わっていくことが、向こう10年の僕の役割だと思っています。大きくなったD&DEPARTMENTを縮小し、地元の伝統工芸士さんたちと僕らが一緒につくった、そこでしか買えないものを売ることに主眼に置きます。
次の元号はものづくりが集中して伸びていく時代になるでしょう。いい時代であることは言えますが、ただ、うわべだけのものづくりは淘汰されるはずなので、翻って厳しい時代とも言えるかもしれませんね。(2018年8月取材)
プロフィール/敬称略
- ナガオカケンメイ
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デザイン活動家・ディアンドデパートメント株式会社代表
1965年、北海道生まれ。90年に日本デザインセンター入社後、原デザイン研究所設立に参画。2000年、東京世田谷に"ロングライフデザイン"をテーマにしたD&DEPARTMENTを開業。03年からは日本のデザインを正しく購入できる"ストアインフラ"をイメージして同店を47都道府県に展開するプロジェクトを開始。09年に旅行文化誌『d design travel』を刊行、日本初の47都道府県をテーマとしたデザインミュージアム「d47 MUSEUM」も発案・運営する。13年、毎日デザイン賞を受賞。