未知に挑むから冒険になる。登山チーム・山菜採りオンラインが「未踏」を登る理由

誰も足を踏み入れたことのない世界だからこそ、冒険したくなる。登山チーム・山菜採りオンラインの姿勢から、“ワクワク”に従う大切さと、命がけのリスクへの向き合い方を学ぶ
自らの興味や好奇心を原動力に人生を突き進み活躍をしている人々は、どのような出来事に影響を受け、どのような価値観を持っているのだろうか。今回登場するのは、大学山岳部出身の三人が集まって結成された「山菜採りオンライン」のメンバー、川嵜摩周(かわさき・ましゅう)さんと橋本 哲(はしもと・てつ)さん。山菜採りオンラインは、国内外の未踏の山やルートでの登山を続けるほか、そのプロセスをYouTubeやSNSで継続的に発信している、ユニークな登山チームだ。(編注:取材時、もう一人のメンバーの河内咭亮さんは、海外遠征中)
“未踏”への挑戦は、命の危険とも常に隣り合わせである。なぜ、あえて険しい道へと臨み続けるのだろうか。大学山岳部で身につけたこと、山登りに魅了された理由、そして命がけの道へ挑むうえで大切にする姿勢や考え方を訊いた。
「険しい山を見ると登りたくなる」
― まずは「山菜採りオンライン」の活動概要を教えてください。
川嵜:「山菜採りオンライン」は、大学山岳部に所属した経験を持つ三人が集まり活動する登山チームです。まだ誰も登ったことのない国内外の山やルートを自分たちで見つけて、登るための戦略をイチから考えて、実際に山へと向かっていく……そんなチャレンジを日々続けています。
橋本:直近では、2024年の7月から8月にかけてパキスタンにある6350mの山・ラーマンゾムに、未踏ルートから登頂しました。また、同じくパキスタンにある5,709mの未踏峰シヤコゾムへの初登頂も達成しています。ほかにはアメリカのヨセミテや、北海道の利尻山などに挑戦してきました。

― どのような経緯で、山菜採りオンラインを結成することになったのでしょうか?
川嵜:きっかけは、僕と橋本が二人とも大学の山岳部出身で、学生時代から知り合いだったことです。それぞれ別の大学に所属していましたが、大学の垣根を超えて山岳部員どうしが交流する機会が定期的にあり、そこで1年生の頃に出会いました。
チームの結成を決めたのは、お互いが大学卒業を間近に控えたタイミングです。僕は周囲が就職活動を始めた時期から、「就職したい」よりも「これからも山に登りたい」という想いが強くありました。とはいえ、山は一人では安全に登れません。一人がロープをつないで、もう一人の安全を確保する。それを互いに繰り返して、初めて安全に登ることができます。だからこそ、信頼できるパートナーの存在は重要です。
パートナーを探していた時に、橋本に自分のやりたいことを話しました。それを聞いた橋本が、「じゃあ一緒に登山やろう」と。「登山を通してやりたいこと、実現したいことが自分と似ている」と以前から感じていた橋本だからこそ、決断自体はすごく自然な流れでした。
― まず川嵜さんと橋本さん、お二人で一緒にやることが決まったのですね。
川嵜:はい。ただその後すぐ、もう一人のメンバーの河内も合流することになりました。一緒にクライミングをしに行った時に、「僕も仲間に入れてほしい」と言ってくれたんです。
河内はもともと橋本の知り合いで、一緒に山を登った経験もあります。登山に対する考え方や価値観が、僕たちとすごく近いと感じていました。そんな彼だからこそ、「じゃあ一緒にやろう」とすぐに返事ができました。
橋本:三人とも、「この山を登りたい」という好みが似てるんです。たとえば、切り立った崖を見て「かっこいい、登りたい」と思うのか、「険しすぎて無理」と思うのか、人それぞれ考えがあるのですが、僕たちはそれが一致していると感じます。
あとは「険しい山を見ると登りたくなる」というのも三人の共通点です。その共通点があるからこそ、一緒に活動しているともいえます。

― 登山において、お二人が特に楽しいと感じる瞬間はありますか?
川嵜:まず計画の段階で「この山まだ誰も登り切ってないぞ」「このルートは誰も行ってないぞ」と気づいた時は、すごくワクワクします。ただ、そのあと具体的な計画を進めていくうちに、いつも不安や緊張感も出てきます。実際に登山するまでは、そうやってワクワクと不安とが何度も交互に訪れるような感覚です。
それから実際に現地へ入り、いざ山を登り始めると、一気に山を登っている実感が湧き上がってきます。やっぱり登るのが好きなので、「これこれ!」と楽しくなるんです。その意味では、やっぱり実際に登っている時が一番楽しいですね。
橋本:本やWebで山の写真を見つけてきて、「このルートなら、山頂まで一直線に行けるかもしれない」と自分で見つけ出した時に、僕もすごくワクワクします。ただ川嵜も触れたように、準備期間のうちは「本当に生きて帰ってこられるのか」という葛藤も少なからずあります。ただ、当日を迎えてしまえば、集中して今までやってきたことを一つひとつやっていくだけ。だからこそ一気にスイッチが入って、そこで初めて、純粋に楽しめるのだと思います。
山岳部で身につけた“リスク”との向き合い方
― 今お二人の話にもあがりましたが、登山、特に未踏の山やルートへ向かうというのは、命の危険と隣り合わせの挑戦でもあると思います。そうしたリスクとも向き合ううえで、特に大事にしていることはありますか?
川嵜:一つは、事前に「こういうことが起きたらどうするか」をシミュレーションすることです。たとえば滑落や落石、雪崩、天候など、死に至るかもしれないリスクをできる限り洗い出して、まずは認識する。そして、そうしたリスクを少しでも小さくできないか、なにか工夫できないかを考えます。
そのうえで、達成感や充実感といった得られるものと、起こりうるリスクとを天秤にかけるんです。得られるものの方が多いと思えれば、迷わず登りに行く。そうした判断を怠らないことを、いつも大事にしています。
橋本:僕らが一番恐れるのは落石や雪崩といった、いわゆる外的な要因から生まれるリスクです。外的な要因は、内的な要因と比べてコントロールの余地がほとんどありません。
内的な要因とは、たとえば登っている最中に自分の技術的な限界が理由で先に進めなくなるといったことです。これは予測がある程度立てられます。
一方の外的要因から生まれるリスクは、予測できる範囲に限界があります。だからこその怖さがあるのは事実です。そのうえで、前もってさまざまな予測を行い、ある程度の確率や被害の大きさを見積もることには大きな意味があります。最後は自分たちの見立てを拠り所にして、リスクが許容できるかどうかを検討するようにしています。
― 「登山」と聞くと実際に山を登る場面が真っ先に思い浮かびますが、その前の準備段階での計画や予測がとても大切なのですね。
川嵜:そうですね。それこそ大学の山岳部では、基本的に「備えすぎ」というくらい備えます。たとえば僕が所属していた明治大学の山岳部では、10日間で山を登る計画に対して、10日間分の食料に加えて、予備でもう10日分持って行くといったこともありました。道具も壊れたら困るので、すべて2セット準備する。そうやって、小さくできるリスクを徹底的に小さくしていきます。
僕たち山菜採りオンラインでも、出発の2週間前から天気をチェックして、地図をよく見て崖や雪崩のポイントを把握して、もし事故があったらどこから下山するかを考えて…といったシミュレーションは、すべてやり尽くすようにしています。そういう備えの考え方自体は、やはり学生時代に山岳部で身についたものだと感じます。
「遠い世界」が少しずつ近づいていく実感
― そもそもお二人が登山に興味を抱くようになったのは、いつ頃のことなのでしょうか?
川嵜:僕が登山を本格的に始めたのは、大学に入ってからのことです。
子どもの頃から、電柱や鉄塔を見つけると「登りたい」と思うクセがあって。気づいたら、どうやって登るかまで考えてしまうんです。もちろん、実際には登りませんが…(笑)。それもあって、なんとなく「将来は何かを“登る”仕事をするのかな」と、薄っすらと思っていました。
もちろん、山登りのことも知ってはいました。ただ、子どもの頃はその興味が「登山をする」ことと明確に結びつくことはありませんでした。
「登山に挑戦したい」とはっきり思うようになったのは、大学進学を直前に控えたタイミングでのことです。このままなんとなく、合格した大学に行って良いのだろうか。それが本当に、自分のやりたいことにつながっていくのだろうか。そんなことを考えるようになった時期がありました。
その時に色々考えた結果、思い切ってその進学をやめて、一年間浪人して、山岳部がある大学に入ろうと決めたんです。それからどこへ進学するか調べていたら、「明治大学の山岳部は相当きついらしい」という情報を目にして。だったらそこに入ろうと思い、一年後に明治大学の山岳部へ進みました。
― その時やりたいことは何か、自分の気持ちを改めて考え決断したことが、今へとつながっているのですね。
川嵜:はい。「自分の心の声に耳を傾けること」は、自分なりにこれまでずっと大事にしてきたことの一つです。
浪人を決めた時、就職が不利になるかもしれないとか、同級生のなかで出遅れるかもしれないとか、たしかに不安も少なくありませんでした。でも今振り返ると、そこで不安に負けず、自分の気持ちを信じて良かったと心から言えます。もし自分の心に嘘をついていたら、今こうして三人で登山をすることもなかったかもしれないからです。
― そう考えると、山菜採りオンラインの始動にもつながる大きな決断でしたね。
川嵜:そうですね。今は誰も行ったことがない、「未知」への挑戦を楽しめています。未知に挑むこと自体が魅力ですし、だからこその「冒険」だとも感じるんです。
― 橋本さんは、いつ頃から登山に興味を抱くようになったのでしょうか?
橋本:僕は小学生の時です。強く印象に残っているのは、たしか小学3年生の頃に、父と父の友人の方たちと富士山に登ったこと。それが一つのきっかけで、小学校の高学年になってからは、月に一回くらいのペースで父と山へ行くようになりました。
もう一つ、子どもの頃の思い出として印象深いのは、小学6年生で長野と岐阜の境にある槍ヶ岳に登ったことですね。テレビで槍ヶ岳の特集を見て、「すごい!アドベンチャーだ」と感じたんです。もともと公園とかで遊んでいても、高いところに登るのが好きだったので、槍ヶ岳を見て「あんな尖った山に登ってみたい」と思いました。それを父に言ったら、「じゃあトレーニングしよう」となり、槍ヶ岳を登れるようになるまで関東近郊の色々な山を訪れたのも覚えています。
山を登って雲海を見たり、ちょっとした岩場を歩いたり、それが子どもながらにすごく楽しくて。山道ではなく壁を登っている人たちを初めて見たことで、「より険しい山を登りたい」と思うようにもなりました。もちろん、きつさもありましたけど、それよりも楽しさの方がずっと勝っていた。だからこそ、今でも続けるくらい好きになれたのだと思います。

― 子どもの頃お父さんがサポートしてくれたことも、大きく影響しているのですね。
橋本:はい。特に子どもの頃は、登山に興味を持っている友だちは周りにいなくて。父を含め、大人と一緒に登ることがほとんどでした。
そうして色々な山を登っているうちに、ちょっとずつ技術が身についてきて。高校生の頃には「日本だけでなく、海外のかっこいい山にも登りたい」という目標を、自然と持つようになりました。大学でも少しずつステップアップして、ここ数年でようやく実際に海外でも登れるようになってきた。最初は遠い世界と感じていたことが、少しずつ近づいてきたんです。その変化がすごく嬉しくて、今はもっと難しくてかっこいい山に挑戦したいという気持ちがあります。
「登山の魅力の伝え方は、きっとまだまだある」
― 山菜採りオンラインでは、登山の記録をYouTubeやSNSで継続的に発信されています。これにはどのような理由があるのでしょうか?
川嵜:山菜採りオンラインを始める時に、せっかくなら色々な人をワクワクさせられるような活動をしていきたいと思っていたからです。そこでただ山を登るだけではなく、その記録や登山の魅力を発信していこうと考えて、YouTubeやInstagramなどを始めることにしました。僕自身が、もともと写真を撮るのが好きだったことも影響しています。
― その想いが、結果的に山菜採りオンラインならではの活動につながっているのですね。ところで、「山菜採りオンライン」という名前もユニークですよね。どんな由来なのでしょうか?
川嵜:実はこれ、生成AIに考えてもらった名前なんです(笑)。「親しみやすいアウトドア系の名前はないか」と聞いて、30個くらい提案してもらったうちの一つがこれでした。山菜を採りに行く予定も、オンラインで活動する予定もなかったのですが…(笑)。これが一番可愛らしくて、直感的にこれにしようと決めました。
いま振り返ると、変にかっこつけた名前にしなくて本当に良かったなと思っています。名前がプレッシャーになってしまったら、楽しんで山を登り続けられなかったかもしれないので。この名前のおかげもあって、僕たちも良い意味で肩の力を抜いて活動できています。

― その山菜採りオンラインの活動としては、今後どのようなことに取り組んでいきたいと考えていますか?
橋本:川嵜も河内も同じ気持ちだと思いますが、やっぱり登りたい山はまだまだ多くあります。実力的にすぐには行けない場所もありますが、数年以内に挑戦したい山があって。川嵜が学生の頃から登りたいと思っていた山でもあるのですが、そこは僕も登りたいという気持ちがあります。
以前なら「今はまだやめておこう」と思ったような山も、大学の山岳部で基礎を身につけて、いくつか海外の山を登り、パキスタンの遠征も乗り切れた今なら、挑んでみたいと素直に思えます。
そのうえで、今は一人で登るよりも、パートナーと一緒に登るスタイルを続けたいとも思っています。ともに山頂で喜びを分かち合う瞬間が好きなんです。三人ともそれぞれの目標がありますが、その中でも、川嵜や河内と色々な山に挑戦していきたいと思っています。
川嵜:僕は登山自体はもちろん、どうやったらもっと人をワクワクさせられるのか、その形を模索していきたいと思っています。
今はエンジニアの仕事もしているので、その経験を活かして取り組めることがあるのではと考えています。たとえばメタバースの技術を用いて、バーチャル空間で山の魅力を体感してもらうような何かができるかもしれない。具体的にはこれからですが、山の映像をより臨場感をもって味わってもらうための、試行錯誤をしてみたいです。
何より、登山の魅力を一人でも多くに知ってほしい。そのための方法は、きっとまだまだあるはずです。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 川嵜摩周(かわさき・ましゅう)
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1999年生まれ。明治大学山岳部出身。大学2年時から同山岳部の主将を務める。2023年にはネパールの未踏峰・Anidesh Chuli(6960m)に挑んだが、残り300mで山を後にした。2024年11月よりMILLETアンバサダーとしても活動中。
- 橋本 哲(はしもと・てつ)
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2001年生まれ。東京農業大学山岳部出身。同大学の山岳部で3年間活動し、その後は社会人山岳会へ転身。2017年には日本山岳耐久レース(長谷川恒男cup)で世代別優勝を果たす。小学生の頃から登山を始め、ヒマラヤで山登りすることに憧れ続けてきた。