なぜ寺田倉庫は文化を興し、街をつくるのか――創業68年の企業が迎えた変革期
いま天王洲エリアにある変化が起きている。天王洲といえば品川にほど近いオフィス街の中心地としてビジネスパーソンが働くエリアとして認知されてきた。しかし、最近はおしゃれなカフェやショップが立ち並び、土日ともなると家族連れで賑わう場所として注目を集めている。それを仕掛けたのは、1950年代から天王洲に拠点を置く「寺田倉庫」だ。「倉庫会社がまちづくり?」とピンと来ないかもしれない。しかし地域に根付いた企業だからこそ、地元に懸ける思いがあった。
原点回帰から芽生えた、革新の芽
― いま、天王洲エリアはおしゃれなスポットとして変化しつつあります。そのムーブメントの一翼を担っているのが寺田倉庫さんとお聞きしました。まずは御社の歴史について教えてください。
月森正憲氏(寺田倉庫執行役員) 寺田倉庫は1950年創業で、当初はお米をお預かりしていました。現在は「余白創造のプロフェッショナル」をビジョンとして掲げ、あらゆるものの保管・保存状態を最適化するため、設備投資や技術向上に全力を尽くしてきました。長年倉庫業に従事している当社ですが、そのターニングポイントの一つは、2001年前後の不動産業界がトランクルーム事業に参入してきた頃です。
― 倉庫業界に変化が訪れた時期に、どのように打ち手を考えたのですか?
月森 単純にものを預かるだけでは価格競争の波に呑まれてしまい、大手企業に対抗できません。当社も試行錯誤を繰り返していた時期でもありました。めまぐるしい変化の中で、「最適な空間とは何か」「他社がやりたがらない事業とは何か」という創業当時の想いを忘れてしまっていたんですね。そこで、原点回帰を図る、つまり「寺田倉庫らしい事業とはなんだろう」、とあらためて考えてみることにしました。
― まさに変革期をむかえたということですね。原点回帰を図ったことで、新たな取り組みはスムーズに進んだのでしょうか。
月森 長く所属する社員も多い一方、新しく入ってくる社員も大勢います。そうすると、創業時の話や、どういった想いで寺田倉庫が天王洲に拠点を構えたのかを知らない世代も当然出てきます。そもそも回帰するべき原点が社員全員にきちんと見えていない、ということも問題でした。
そこから社員一人ひとりに寺田倉庫のマインドを理解してもらうべく、意識改革を行っていきました。端的にいうとルーティン業務に従事していたメンバーに、イノベーティブな仕事に取り組んでもらうため、社内における価値基準の統一を図ることにしたんです。価値基準を設定し、丁寧にメンバーに理解してもらいました。
そうした意識改革のもと、次世代のトランクルームの在り方を探求したひとつの答えとして2012年に誕生したのが「minikura(ミニクラ)」です。minikuraは「いつでも、どこでも、だれでも自分だけの倉庫を持つことができる」をコンセプトに、ウェブ上で手軽に個人が倉庫を利用できるようにしたサービスです。まさに「寺田倉庫らしい事業とはなんだろう」という原点に基づいた事業でした。その時期を境に事業はアート、まちづくりへと展開していきます。
例えば、倉庫スペースにアートギャラリーを誘致したり、展覧会を開いたり、若手作家にスペースを与えて創作活動を行ってもらったりと、トランクルームビジネスのみならず、多様なコンテンツビジネスへと移行しています。
― minikuraは既存の倉庫事業の延長とも捉えられます。一方、アート事業はまったく別のジャンルかと思いますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
月森 もともと当社は美術品の保管もしていましたので、間接的ではあるもののアートに関する文化や素養といったものはあったわけです。余白創造のプロフェッショナルとして、単にスペースを使うのではなく、人々の生活や活動の質を向上させ、ひいては文化の創造に貢献するような事業にスペースを活用することが、私たちのあるべき姿だと考えています。アート事業はそのビジョンを達成するための柱のひとつなんです。
― 具体的にどういった事業を展開しているのでしょうか。
月森 例えば、複数の現代アートギャラリーや、若手アーティスト向けのレンタルアトリエスペースを構えるアート複合施設「TERRADA ART COMPLEX」や、希少な画材を取り揃えた画材ラボ「PIGMENT TOKYO(ピグモン トウキョウ)」、国内唯一の建築模型に特化した「建築倉庫ミュージアム」の運営、また周辺にインテリアショップや飲食店など感度の高いテナントを誘致してきました。そうしたスポットの展開が集合体となり、まちづくりへと繋がっていきました。
文化創造の先にビジネスの未来がある
― エリア開発にあたりコンセプトはあるのでしょうか。
月森 天王洲エリアは運河に囲まれています。一方でニューヨークのなかでもおしゃれな街として人気を集めるエリアにブルックリンがあります。ここも天王洲と同じように都心の水辺に面した地域で、そうした環境から文化は育まれるという当社代表の考えがエリア開発の根底にあります。周辺は少し前まで外資系の企業が多数入居するビルがひしめく、オフィス街のイメージしかありませんでしたし、事実、土日ともなると人の気配がなくなる寂しいエリアでした。
ですが、ふと街全体を見渡すと、水に囲まれて、どこかゆったりとした時間が流れる居心地のいい場所でもあります。オフィス街でありつつも、人が自ずと集うような街にするため、魅力的なテナントを誘致したり、緑化に力を入れたり、電線を地中化したりと景観整備を行いました。
― そうした動きが街として栄え、天王洲エリアに人が集まってくるというわけですね。
月森 いままでにないお客様の動きになってきました。たとえば銀座や代官山、表参道、二子玉川といった街ともまた違った、洗練された雰囲気を持ち始めているように思います。
こうした取り組みができたのも2011年に自分たちのビジネスの妥当性を真剣に検討する機会があったからこそです。組織としても適度な大きさにスリム化することができたので、様々なことに柔軟に、スピード感を持って対応できるようになりました。
また、新しいことにチャレンジすることが主になってきたので仕事に対する社員の姿勢も自ずと積極的になりました。クリエイティブな仕事も増え、従業員が楽しく仕事をしているように思います。昔も今も、忙しいことに変わりはありませんが、業務に対する姿勢がまったく違います。
― 寺田倉庫として今後、天王洲エリアをどんな街にしていきたいですか?
月森 我々が一方的にコンテンツを打ち出すのではなく、多様な感性を持った人たちと共に街をつくっていきたいです。様々な人が集まり刺激を与え合うことで、天王洲を文化の香りが立ち込める街にしたいですね。
われわれは、企業のビジョンとして、「文創企業」を掲げています。保管する「モノの価値」の創造から、モノが生みだす「余白の価値」の創造へとシフトし、「文化」という未来の価値を作り出す。天王洲という街はもちろんですが、事業を含め、"文化"を軸に価値を生み出す存在であり続けたいと考えています。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 月森 正憲(つきもり・まさのり)
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寺田倉庫 専務執行役員 MINIKURA担当
1998年、新卒で入社し物流事業部に配属。約7年間、倉庫の現場業務に従事した後、ロジスティクスの法人営業や企画職を経て、新規事業開発室に異動。2012年の「minikura」リリースを皮切りに、新サービスを続々と生み出し、その企画・開発・運営の陣頭指揮を執る。
関連リンク
- ・寺田倉庫