ファッションからサステナビリティへ。徳島に移住したZ世代がごみ問題に取り組む理由
1997年生まれの大塚桃奈さんは、徳島県上勝町でゼロ・ウェイスト(Zero=0、Waste=廃棄物)に取り組む。海外で学び、新卒で上勝町での仕事を選んだZ世代の価値観を知る。
徳島空港から車で1時間ほどに位置する徳島県の上勝町。同町は、2003 年に自治体としては日本初の「ゼロ・ウェイスト宣言」を行い、80%以上のリサイクル率を誇る。2020年にオープンしたゼロ・ウェイストセンターは、町民のゴミステーションでありながら、ゼロ・ウェイストの取り組みを町外に広げるための宿泊施設にもなっており、全国から人が集まっている。
上勝町にとって、ゼロ・ウェイストはごみ処理の話にとどまらない。人々の協働を促し、新しいコミュニティを生んでいる。前編では上勝町役場企画環境課の菅翠(すが・みどり)さんと、民間の立場から上勝町のゼロ・ウェイストを推進してきた藤井園苗(ふじい・そのえ)さんに、上勝町で培われた協働の方法とそこで生まれる価値について話を聞いた。
後編は1997年生まれのZ世代、BIG EYE COMPANYのChief Environmental Officerの大塚桃奈(おおつか・ももな)さんにインタビュー。大塚さんは、大学卒業とともに上勝町に移住し、ビジネスを通じてサステナブルな社会の実現を目指し活動している。さまざまな国への留学を経て、日本の山間の町を拠点に選んだ大塚さんの考え方から、Z世代の価値観を学ぶ。
ファッションからサステナビリティへ、グローバルからローカルへ
── 大塚さんの今の仕事と、ゼロ・ウエイストセンターについて教えてください.
私は、上勝町ゼロ・ウェイストセンターを運営するBIG EYE COMPANYで、ゼロ・ウェイストセンターのホテル業務やメディア視察の対応、学校やイベントでの講演などを担当しています。
ゼロ・ウェイスト宣言をもとに、上勝町では現在ごみの再利用・再資源化を進め、13種類45分別を行っています。ゼロ・ウェイストセンターは、住民のみなさんがごみを持ち寄るゴミステーションですが、宿泊施設の「HOTEL WHY」も併設。宿泊者には、「ゼロ・ウェイストアクション」をコンセプトに上勝町のゼロ・ウェイストの歴史や仕組みを紹介し、チェックアウト時には自分が出したごみを上勝町のルールで仕分ける分別体験にも参加いただいています。
── 今の仕事に就くまでの経緯を教えていただけますか。
はじまりは、ある本をきっかけにファッションに興味をもったことでした。小学校4年生のときアメリカへ訪れる機会があったんです。そのとき立ち寄った本屋で、子ども向けの服のデザイン本に出会いました。その本は、色紙と服の型が付いていて、擬似的に服のデザインができるもの。その本がすごく楽しくて、帰国後に友達と服をデザインしたり、コーティネートしたりして遊ぶようになりました。
その延長で、とあるアパレルと職業体験型アミューズメントパーク企業が主催した衣服のデザイン画コンテストに応募したところ、グランプリに選出されました。賞品は受賞作品のデザインをもとに仕立てられた服。初めて自分のデザインが実物になる経験をし、とてもうれしかったことを覚えています。それからファッションへの興味が加速しました。中学・高校とファッションショー形式のコンテストに友人と応募。私がデザインをし、みんなで夏休みに服を制作しました。すると、そこでも金賞をいただくことができたんです。幸運にも成功体験が続き、背中を押されるような気持ちでした。
自分の進路を考える際にも、服が起点になりました。衣服を手段にしつつ自分の可能性を広げられるだろうと考え、国際系の大学に進学しようと決めました。
── 衣服づくりやデザインを専門的に学ぼうとは思わなかったのですか。
服が好きな気持ちを大切にしながらも「自分の可能性を広げる」ことを重視した方が、社会の役に立てるかもと考えたんです。正直なところ、美大に進むほどデザインや絵を描くことに自信はなかったし、自分に特別な才能があるとも思えませんでした。かといって、専門学校に行くのは可能性を広げたいという自分の気持ちとは逆の方向性だと感じました。
あとは、高校3年生のときに参加した海外の大学のサマーコースからも、大きな影響を受けました。私が行ったのは、イギリスのロンドン芸術大学。デザインやメディアのコースを選び、6週間、ヨーロッパの学生たちと一緒に学びました。現地での学びはもちろん、留学の準備や、官民協働の奨学金プログラムを通じた事前・事後研修を経て、衣服との向き合い方が変わったんです。
特に印象に残ったのは、留学前に見たファストファッションの現状を伝えるドキュメンタリーフィルムです、安価な衣服は製造過程で人権侵害や環境破壊などネガティブなインパクトを引き起こしている。そんな現実をその時に初めて知りました。
それまでは、安い服だからといって特別な意識を持たずに買っていました。でも留学を経て、誰かに負担や悪影響をもたらしていないか、製造過程や廃棄についても考えなければと思ったんです。
── 「衣服」だけではなく、それに関係するさまざまな要素・影響範囲までも考えるようになったんですね。
「衣服を作ること」だけにとどまらず「自分がどんなアクションを取れば環境問題の解決に貢献できるか」を考え、大学は国際基督教大学に進学。専攻は公共政策、副専攻は環境研究でした。環境先進国であるコスタリカや自然と人々の生活がとても近いスウェーデンへも短期留学しました。どちらの国も、私と同世代の若者が積極的に環境活動に取り組んでいたし、先進的な行政の仕組みやビジネスも学べました。
上勝町をはじめて訪れたのは、大学1年のときです。上勝町ではすでに2003年からゼロ・ウェイストに取り組んでおり、その先進性にとても感動しました。スウェーデン留学中に依頼されたヨーロッパ視察のコーディネートなどを通じて、上勝町の魅力に触れると同時に、過疎化が進む町の課題と同時に変化をつくる可能性を感じるようになりました。
ゼロ・ウェイストセンターのプロジェクトメンバーの方に声をかけていただいたこともあり、大学卒業とともに上勝町に移住し、今の仕事をはじめました。
相手も自分も客観的に理解し、距離感を測る
── お話を伺っていると、衣服から環境問題、海外から日本の地方へと、次々と自分の興味を広げていくのが印象的です。海外への興味はいつ頃から持たれていたのでしょうか。
母は「これからは英語が必要だ」と考えていたようで、英語学習には小さい頃から力を入れてくれていました。でも、それだけで海外に興味が沸いたわけではないんです。
私には父が2人いて、2人目の父はアメリカ人なんです。その父と暮らし始めたとき、私は小学校3年生でした。当時の私は反抗期で、英語学習にも、英語で父とコミュニケーションを取ることにも不満を持っていて。父との関係もそれほどうまくいっていませんでした。
ただ、その状況を変える出来事があったんです。その年の夏休みの作文のテーマが「異文化交流」で、そのとき初めて、父への思いを拙いながらも言語化したんです。今思うと、それまでの衝突は自分と異質なものに対する差別的な反応だったのかもしれません。文章を英語のスピーチにして父の前で発表したことで、わだかまりがちょっとずつほどけていったんです。
また我が家では、ホストファミリーとして海外から来た学生の受け入れもやっていました。ドイツ、スペイン、韓国、メキシコ、コロンビア、アメリカ…さまざまな国から学生が家に来て2週間ほど一緒に生活するんです。それぞれのライフスタイルやカルチャーは違うけれど、みんな私と同じ年くらいの若者でしたから、興味は似ている。一緒に遊んだり、恋バナをしたり、という経験が海外への興味のベースになっていきました。
── 幼い頃から自分が好きなものや感情への解像度が高かったんですね。
それは、環境が変わり続けた経験が影響しているかも知れません。小学生のときに4回転校しているんです。転校のたびに、新しい環境に合わせて生きていかなければいけなかった。自分のことも環境のことも、客観的によく観察していたのだと思います。その場に適した態度やコミュニケーションを取るためには、よく観察することが必要ですから。
ホームステイをしていた留学生との交流においても、相手の環境をよく知り、自分の環境を理解してもらうことが大切でした。
── なるほど。お父さんとのお話も、転校やホストファミリーのお話も、他者との違いについて考える機会が多かったとも言えそうです。
そうかもしれません。社会にはいろんな人がいて、いろんな暮らし方があると、自然と理解するようになった感覚はあります。だからこそ、上勝町に移住することにもそれほど高い心理的ハードルはありませんでした。
ここに引っ越してきても、大切にしていることは一緒ですね。積極的に地域のことを知りたいので、地域での役割や行事へなるべく参加します。ちょっとしたことであっても、存在を認知してもらうところからコミュニケーションがはじまるので。
その一方で、自分の時間も大切にしています。私は、町民でもあるけど、会社の人でもあるし、ひとりの個人でもある。それぞれの立場のバランスを取っていくことも大事だと思っています。
無理に町に染まろうとし過ぎず、移住者として町の外ともつながり続けることで、町に貢献できることもあると思うんです。例えば、メディアに出たり、講演したりすると、全国のいろんな場所からお客さまが上勝町まで足を運んで来てくれます。その中には同世代も多い。泊まるだけでなく、インターンとして上勝町で生活しながら学びに来てくれる人も出てきています。
実際、去年宿泊した同世代のお客さんが、今月から上勝町の住民になって一緒に働いてくれています。そうやってどんどん若い人が来て、挑戦できる環境がある町として知られるようになれば、町にも自分たちにとってもポジティブです。
この先もずっと私がこの町に住み続けるかどうかはわかりません。でも、仮に私が町を離れたからといって、関係性が終わるわけじゃない。今は多様なかたちで関係を保てる時代ですから。1人が同じ場所でずっと頑張るのではなく、同じ思いを持った仲間がたくさんいて、それぞれができる関わり方を持つほうが、地域としてもサステナブルだと思います。
自分の関心を広げ、深めることができるのがZ世代
── 大塚さんのまわりにいる同世代は、活動に興味を持っていますか。
そうですね。特に高校・大学の友人や、海外出身の友達は関心を持ってくれる人が多く、何人も遊びに来てくれています。地元の友人も、メディアに出たことをきっかけに連絡をくれました。
また、去年の秋からは、母校の大学がインターンシップ授業にここでのボランティアを取り入れてくれたので、学生の来訪は増えていますね。一度のみならず、リピートして泊まりに来てくれる方もいます。上勝町の説明やホテルでの体験を通じて「ゼロ・ウェイスト」の認知が少しずつ広がっているという実感があります。
── この記事のテーマは「Z世代の価値観」ですが、大塚さん自身にも、同世代の友人にも共通するキーワードや考え方はあると感じますか。
最近、インタビューや登壇でその質問をいただく機会が増えました。そのときにお答えするのは「可能性をどんどん広げられる世代」ということです。
「Z世代は環境問題に関心が強い」とよく言われますが、どんな世代でも環境活動をしてきた人はいますし、それをもって「Z世代」とひとくくりにはできないと思います。でも、私たちの世代の特徴的は、スマホを使って世界中の情報にアクセスできるし、同じ興味をもつ世界中の人とつながれる。オンラインでのアクションや連帯も珍しいことではありません。
私が、ファッションへの興味からサステナビリティーやフェアトレードといった社会的なキーワードに出会ったのもインターネットがあったからだし、SNSがあったから詳しい人にコンタクトが取れた。自分の世界をどんどん広げていける環境がZ世代には揃っています。
── 興味や関心だけにとどまらず、具体的な行動までも可視化されているからこそ、Z世代の環境活動に注目が集まるのかもしれませんね。
「Z世代=環境問題に関心が強い」わけではないと言ったものの、私たちの世代特有の社会問題との距離感があるとも思います。私が東日本大震災を体験したのは、中学1年生の春でした。自然の圧倒的な力や、それによって破壊されてしまう日常、そこから生まれたさまざまな社会問題と同時進行で、学生時代を過ごしてきました。
社会的な出来事の影響は、その世代の価値観に影響を与えると思います。今は、次々と新しいSNSが生まれているし、SDGs達成に向けて企業や行政の後押しもある。現役の大学生や高校生と話すと、自分たちよりもさらにフットワーク軽く、環境問題へのアクションにも積極的で驚きます。これからもっともっと、活躍する若い世代が社会に出ていくと思いますよ。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 大塚桃奈(おおつか・ももな)
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BIG EYE COMPANY Chief Environmental Officer。1997年生まれ。高校3年生のとき、ロンドン芸術大学にファッション留学。モノがどのように作られ、使われ、捨てられるのか見つめ直すようになり、そのなかで上勝町の取り組みを知る。大学では公共政策を専攻、環境研究を副専攻。コスタリカとスウェーデンをはじめ、学生時代に5か国7回の留学を経験。2020年3月、国際基督教大学卒業後、徳島県上勝町に移住し、「上勝町ゼロ・ウェイストセンター」で働きはじめる。