新卒2年目、実績ゼロでスペイン移住。発信から掴んだサッカージャーナリストの道
サッカー好きの若者が選んだ、無謀とも思える挑戦。スペインサッカーの取材や解説を中心にサッカージャーナリストとして活躍する小澤一郎さんの歩みと、新卒2年目で単身スペインへ渡った理由。
LaLiga(スペインリーグ)を中心に、サッカーの最新情報の発信や取材を行う“サッカージャーナリスト”として20年以上にわたり活躍する小澤一郎さん。サッカー中継の解説者としても活動するほか、自身のYouTubeでは戦術分析や最新ニュースの考察、特別インタビューなどを積極的に公開。海外サッカーファンの間で根強い人気を集める、お馴染みの人物だ。
そんな同氏の活動の原点には、今から約20年前、新卒2年目で会社を辞めてスペインへと渡った経験があるという。「高校時代に魅せられた」と話すスペインサッカーを専門とし、唯一無二のキャリアを歩んできた小澤さん。スペイン行きを決めた当時の葛藤から、独自の道を進み続けられる理由、いま若い世代に伝えたいことまでを訊いた。
自分の好きなことを諦められなかった
── はじめに、小澤さんがサッカージャーナリストとして活動を始めたきっかけや、出発点となった出来事を教えてください。
2002年に新卒入社した会社を2年目で辞めて、一人スペインで暮らすことを決めたことですね。いま振り返ると、その決断と行動が自分の人生における分岐点の一つであり、サッカージャーナリストとしての出発点になったと感じています。
── なぜ新卒2年目を終えたタイミングで会社を辞め、思い切ってスペインへ渡ろうと考えたのでしょうか?
一言でいえば、大好きなサッカーを仕事にすることを諦めたくなかったからです。
幼い時からサッカーに夢中で、小学校から高校までプレーを続けました。その過程で指導者になることに関心を持ち、大学は教育学部に進学。サッカーサークルでは選手だけでなく監督役も務め、自ら練習メニューを考えたり、戦術を練ったりもしていました。
観戦も大好きで、子供の頃はテレビ録画した一つの試合を何度も見返していたほどです。だからこそ、2002 FIFAワールドカップ(日韓W杯)の開幕も心から待ち望んでいました。
しかし大会期間を通じて、結局ほとんどの試合をテレビですら観戦できなかった。大学卒業後に就職した学校法人での仕事があまりに忙しく、当時の自分にはサッカーに触れる余裕すらなかったのです。
その時はじめて「このままでは、本当に楽しみたいことを味わえないまま人生が終わってしまうのではないか……」と真剣に考えるようになりました。そんな気持ちの芽生えが、スペインへ渡る決断につながったように思います。
── 自分の素直な気持ちを尊重する姿勢は、リクルートが掲げる「Follow Your Heart」を体現しているようにも感じました。とはいえ、サッカーを仕事にするだけなら色々な選択肢があるかと思います。そのなかから、「スペインへ渡る」ことを選んだのはどんな理由からだったのでしょうか?
一つは、世界のなかでも特にスペインのサッカーが好きだったことです。高校時代に初めてリーガ・エスパニョーラ(※スペインのプロサッカーリーグの旧称)の試合をテレビで観戦し、果敢にゴールへ迫る攻撃的なスタイルや、観客やスタジアムの雰囲気も含めた華やかさに魅了されました。やがてスペインという国の文化や歴史にも興味を持つようになって。大学に入学すると、迷わずスペイン語を第二外国語の専攻に選びました。
その後大学2年生の夏に一度、就職が決まってから一度、1ヶ月から半年にわたってスペイン留学を経験しました。その際、FCバルセロナの本拠地であるカンプ・ノウというスタジアムに足を運び、生で試合を観戦する経験をしたんです。そこで味わった光景は、今でも鮮明に覚えています。「いつかこの国で暮らしてみたい」と心から思った瞬間でした。
他にも、スペインサッカーの育成環境に興味を持ったことも影響しています。先ほども触れたとおり、スペインへ渡った当時はサッカーの指導者になりたいと考えており、現地へ着いてからもそのための活動を重ねていました。スペインのサッカーにしかないレベルの高さや強さの根底には、独自の育成環境やメソッドがあるに違いない。それを自分の目で確かめたいと思ったことが、スペインを選ぶことにつながりました。
異国の地で「不安だらけ」。生きることで精一杯だった日々
── 夢に近づくためとはいえ、会社を新卒2年目で辞めること、その後海外へ渡ることは、かなり思い切った決断でしたね。実際にスペインへ行く前、葛藤や不安はなかったのでしょうか?
そうですね……正直「不安だらけ」だったと思います。留学の経験はあったものの、期間を定めずに暮らしたことはなかったので、それがうまくいくのか心配でした。最初の1年間は学生ビザでの暮らしのため、現地で仕事もできない。貯金を食いつぶしながら生活するしかなく、それもまた不安の種の一つでしたね。
何より、当時の自分にはまだ何の実績もありません。仮に帰国することになったとして、日本でどんな職につけるかもわからない。ワクワクする気持ちもありましたが、それ以上にさまざまな不安が常に傍らにあるような状態でした。
── 異国の地で一人過ごすなか、どのようにしてそうした不安と向き合い、乗り越えていったのでしょうか。
振り返ると、「余裕がなかった」からこそ乗り越えられたのだと思います。言い換えれば、「そもそも不安だと感じる余裕すらなかった」と表現できるかもしれません。
実際に現地での生活がスタートすると、その日常は想像をはるかに超えて大変でした。文化やコミュニケーションの違いに戸惑いながら、文字通り生きることで精一杯な毎日を送っていたんです。
目の前のことに精一杯で、その日その日を集中して過ごしていたからこそ、悩みや不安が入り込んでくる隙間さえなかった。「より自立できるために」という理由から、当時日本人の少なかったバレンシアの街を拠点に選んだことも、いま思えば良い方向に影響したのかもしれません。
── 怒涛ともいえる日々を送るうえで、小澤さんの支えになっていたものは何だったのでしょうか。
大好きなサッカーが日本にいた時よりも、うんと身近にあったことだと思います。当時は、自分が憧れていたバレンシアCFというチームの練習場のすぐ近くで暮らしていました。そこへ通い詰め、トレーニングの様子をじっくりと毎日のように観察できた。どのように選手を育成しているかのヒントも、たくさん得ることができました。自分にとっては夢のような日常が、何よりも生きる糧になっていたと思います。
自分を満たすことが、誰かを満たすことにつながっていく
── 指導者を目指してスペインへ渡ったのち、サッカージャーナリストの道を歩むことになった背景にはどんなきっかけがあったのでしょうか?
私がスペインに移ってから始めたブログがきっかけです。そのブログでは、バレンシアCFの練習場へ毎日足を運べることを活かして、トレーニングや戦術の分析、選手たちへの取材記録などを更新していました。指導者の目線を交えていたこともあり、世界中を見渡しても珍しい内容だったのだと思います。
すると、そのブログが日本のメディア関係者の目に止まり、一つの執筆依頼が舞い込みました。仕事につなげたい、何か売り込みたいと思って始めたものではなかったので、いただいたときは少し驚いたのを覚えています。それを契機に少しずつ他の媒体でも取材や執筆をするようになり、気づけばサッカージャーナリストとして歩み始めていました。
── 2000年始めというと、ブログはそれほどポピュラーなものではなかったと思います。そのなかでスタートしたのはどんな動機からだったのでしょうか?
一番は、自分自身が戦術や選手の考えなどをより理解したいという想いからでした。練習場で取材した内容を改めて整理し、自分のなかにより深く落とし込んでいく。そうすることで、学びや発見をより大きなものにできる感覚があったんです。
もちろん、発信するからには誰かに読んでもらいたい気持ちも少なからずありました。ただそれ以上に、当時は自分自身の学びが最優先だった。「サッカーにかかわり続けていきたい」という明確な目標があったことで、自然と始めたことの一つだったのかもしれません。
── 当時に比べ、誰もがより多様な方法で“発信”できる時代になりました。小澤さんご自身の経験から、発信するうえで私たちがいま大切にすべきことは何だと考えますか?
先ほどの話とも通じますが、まずは「自分自身を満たす」ことが大切だと思います。そのうえで、「自分自身を満たすために、何が必要か?」を考えてみることが、最も重要なのではないでしょうか。その答えは必ずしも、大勢から注目を集めたり、たくさん拡散されたりすることではないかもしれません。
自分はどんなことがやりたいのか、何のためにやりたいのか。そうして少しずつ自分と向き合いながら、自分を満たすためのヒントを探っていく。そこから見えてきた気づきや想いを活かすからこそ、その人にしかできない、誰かを満たせる発信へつながっていくのだと思います。
自分だからこそできる、行動の後押しがしたい
── スペインへ渡ってから今までの約20年間、改めて振り返るとどのような想いや考えを大切にしながら活動されてきたと感じますか?
「日本サッカーを強くしたい」という自分なりの信念と自分事を超越した大義名分を持って、これまで活動を続けています。スペインへ渡る前から持ち続けている想いであり、その気持ちはこの先も変わりません。
先ほども触れた通り、スペインへ渡った当初はサッカーの指導者になることを目指していました。その立場から、日本サッカーの成長や発展に貢献したいと思っていたんです。それがさまざまな縁や機会が重なり、今の道を歩むことになった。サッカーで言う「ポジションチェンジ」です。サッカージャーナリストとして活動するようになってからも、この仕事だからこそ日本サッカー界のために貢献できること、自分にしかできないことがあるはずだと考えながら過ごしてきました。
たとえば、私には日本とスペインの両方で若年層などの“育成年代”の指導に携わった経験があります。指導者の目線を持ち合わせるだけでなく、日本とスペインの育成環境を実際に体感したサッカージャーナリストは、世界を見渡しても自分しかいないかもしれない。だからこそ、今までの活動だけにとどまらず、今後さらに日本サッカーのために果たせることがあるはずだと思っています。
── 小澤さんがサッカージャーナリストとして、唯一無二の活動を続けられている要因は何だと感じますか?
繰り返しになりますが、「日本サッカーの発展に貢献する」という大義名分があることです。だからこそ、それまでの仕事や肩書にこだわりすぎることなく、柔軟な姿勢で取り組んでこれたのだと感じます。指導者を夢見てスペインに渡ったわけですが、結果的にジャーナリストの仕事を得て帰国しました。
一見、夢を諦めたようにも映りますが、目的のために自分の仕事、ポジションを変えただけなので指導者になれなかったことへの後悔は一切ありません。だからこそ、「自分」という主語を外した人生の目的や大義名分は重要だと思います。
スペイン在住時代は雑誌媒体向けの取材や執筆が中心で、ライティング活動ばかりでした。しかしメディアが紙からWEBに移行した今は、動画やSNSが中心です。比較的早い時期からすべて一人でYouTubeチャンネルを運営したり、試合中継の解説者に挑戦したりできているのも自分の軸があるからです。
── 変わらない自分なりの軸があるからこそ、失敗を過度に恐れず、柔軟な姿勢で色々なチャレンジができる。その積み重ねが、結果として唯一無二のキャリアを築くことにつながっているのですね。
私の場合はそうでした。一方で社会に目を向けると、少しずつ「行動を起こしにくい時代」になっているとも感じるんです。
その理由は、より多くの情報が簡単に得やすくなっていること。SNSなどを通じて、自分が必要としていない情報が目に入る場面も少なくありません。その結果、リスクやデメリットなど、行動するうえで不安となりうる情報に、意図せず触れる機会も増えました。
もちろん、ポジティブな情報もたくさん流通しています。とはいえ、今は必要以上に不安の種が可視化されており、行動を起こしにくい時代にもなっていると感じます。たとえば私も20年前ではなく今この時代だったとしたら、スペインへ渡る決断はできなかったかもしれません。
── お話を伺いながら、実際にやってみること、挑戦してみることの積み重ねでしか開けない道もあると、改めて感じています。だからこそ、まずは小さな行動から始めていけるとよいのかもしれません。
そうですね。私もこれまでの経験から、仕事やキャリアに一発逆転の道はないということを身をもって学んできました。人生はサッカーと同じで1点ずつしか入りません。一つずつ自分なりの行動を積み重ねていくことでしか見えてこないもの、たどり着けないものばかりです。
行動といっても、それは必ずしも無謀な挑戦である必要はない。私自身、これまで心がけ続けてきたのは「小さくても良いから行動し続けること」でした。周囲から見ると大きな動きに見えるものも、その前後で小さなアクションを重ねている。今後もその考え方を大切に、果たす役割やポジションにとらわれない試行錯誤を続けていきたいです。
そして何より、もし当時の自分のように行動したいと考えている、あるいは迷っている若者がいたら、そっと背中を押してあげたいと思っています。サッカージャーナリストとして、活動を続けてきた自分だからこそできること、助けられることがあるに違いない。その可能性に目を向けながら、一人でも多くの人生を少しずつ後押しできたらと思います。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 小澤一郎(おざわ・いちろう)
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1977年生まれ、京都府出身。 早稲田大学卒業後、社会人経験を経て2004年にスペイン移住。バレンシアCFの詳細なリポートを扱ったブログが話題を呼び、サッカージャーナリストとしての活動を開始し、2010年に帰国。日本とスペインで育成年代の指導経験を持ち、指導者目線の戦術論やインタビューを得意とする。欧州サッカー(LaLiga)の解説業、専門番組の出演など。これまでに著書7冊、構成書4冊、訳書5冊。株式会社アレナトーレ所属。