急がず、あえて「遅さ」で勝負する。グリーンズ鈴木菜央が捉えたビジネスの速度
日本全国、世界各地の社会課題を解決するアイデアや企業を取材・発信するWebマガジン「greenz.jp」の移り変わりから、ビジネスと「速度」の関係を考える。
「速度」はビジネスにおいて重要な要素だ。素早く決断することが功を奏することもあれば、じわじわと時間をかけて浸透させることで人々の生活に根付くこともある。意図や段階によって適切な速度があり、どちらが正しいとは言い切れないだろう。
今回は、速度の中でも「遅さ」にフォーカスする。話を聞いたのは、日本をはじめ世界各地で実践されている社会課題を解決するアイデアや企業を取材しているWebマガジン「greenz.jp」の編集長の鈴木菜央さんだ。
最短距離での右肩上がりな成長を目指す一般的な資本主義が「速さ」を活かした経済ならば、greenz.jpで紹介されている地方移住、小商い、社会起業など一般解とはあえて異なるアプローチの中にあるのは「遅さ」を活かした経済と言えるのではないか。
10年以上にわたりgreenz.jpを続けながら見えてきた、ビジネスにおける速度の捉え方について、話を聞いた。
社会課題の解決が、企業の未来と重なってきた
――はじめに、greenz.jpを立ち上げるきっかけを教えてください。
始まりは、阪神淡路大震災でのボランティア活動でした。もともと僕は社会課題への取り組みに関心が強かったのですが、大学入学直前に阪神淡路大震災が発生し、友だちに誘われボランティア活動のために現地に向かいました。
そこには、"当たり前"が一瞬で崩れ落ちたことによる絶望がありました。そんな中、現地には高校を卒業したばかりの僕が出会ったこともないような、パンクロッカーから実業家までさまざまなボランティアが全国から集まり、山積する課題を、高いモチベーションとクリエイティビティを発揮しながら、次々と解決していっていた。そのエネルギッシュな姿を見て、人が本来持つ力強さや、課題解決能力の高さに感銘を受けたんです。絶望と同時に希望もあった、と感じながらボランティア活動を終えました。
その一方で、日常の生活に戻ってみると、満員電車に揺られ、モチベーションは上がらず、疲れ切っている人々を目にすることは珍しくなかった。どうすれば、多くの人がエネルギーに満ち溢れた生活を送れるのか。被災地で見たボランティアのように、あれだけのパッションが発揮できれば、自分が感心を持っていた環境問題や社会課題にも対処できるんじゃないか。そう考えたんです。
――社会課題解決には、人が「エネルギーにあふれた状態」であることが必要だと。
そうです。そこでボランティアの人と日常生活を送る多くの人の差がどこにあるかを考えたところ、それは「自分が本当にやりたいことをやっているかどうか」だと感じました。そこで、「自分が本当にやりたいことやる」ことの大切さや、元々関心のあった「社会課題の解決」について発信する仕事をしたいと思い、メディアの仕事を志そうと考えました。
そこから、大学卒業後は経験を積むためにソーシャルグッドをテーマとする雑誌の編集部で3年ほど勤務。2006年に独立し、仲間とともにgreenz.jpを立ち上げました。創刊当時は「ECOスゴイ未来がやってくる!」をキャッチコピーに掲げ、エコで楽しい生き方をしたい人、している人を増やし環境保護活動を応援することを主軸にスタートしました。
――2006年というと、SGDsは存在せずCSRに取り組みはじめた企業が少しずつ増え始めたくらいの時期だったと思います。社会課題の解決とビジネスの距離が遠かった中、事業的に成立させていくのは大変だったのではないでしょうか?
そうですね。正直、当時の売り上げ構成で言うと「おもしろいメディアをやっている制作会社」という状態でした。パンフレットやWebサイト制作などで売り上げを立て、それを使ってgreenz.jpをまわしていました。
しかし、途中からこれが「自分たちが本当にやりたいこと」なんだっけと違和感を感じるようになっていったんです。本当にやりたいことは、greenz.jpを通じて企業の姿勢に変化を起こすことや、持続可能な社会に向け取り組んでいる企業のお手伝いすること。時間がかかったとしても、そのために本質的な価値を生む仕事をしたかった。にもかかわらず、実際は制作業務で忙しくなってしまい、greenz.jpをやる余裕もないような状況になっていました。
それに気づいてから、受託制作の業務を段々と縮小。全体の売り上げは減ったとしても、本当にやりたいことにフォーカスしていくようになりました。greenz.jpとして収入を得ていけるようになったのは、2012年ころです。
――greenz.jpを軸に事業を回せるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
社会の変化もとても大きかったなと思います。創刊当時、環境問題と言えば「地球温暖化の影響で、北極に住むシロクマが死んでしまう」というような、自分たちの生活と距離がある話題が主でした。しかし、気候変動が進み、実生活でも夏の過酷な暑さや台風被害などに直面するなど、環境問題との距離は身体感覚としても近いものになっていきました。
加えて、事業を営む企業側もSDGsなどが語られる前から、中長期での事業継続性を考えると、社会課題は無視できないものになってきた。社会全体として時間をかけて向き合うべきものを無視できない状況になったんです。
言うなれば、時代の変化とともに、僕らが描く未来と、企業の目指す未来が重なってきた。結果、僕らが「本当にやりたかったのはこれだ」と思うようなお仕事の相談が徐々に増えていきました。
「遅さ」は全体を育て、多様な価値を生む
――どのような取り組みが増えていったのでしょうか。
きっかけとなったのは、2013年ごろから今も続いている、大阪ガスのお仕事です。彼らは、ガスの小売全面自由化にともない「選ばれる会社」「選ばれ続けるために、地域の人々に必要な会社」になろうと考えていました。大阪ガスが登壇したトークイベントに僕も出ていたことをきっかけに相談を受け、半年間ほど伴走しながらできることを考え取り組んだのが、地域を元気にするコミュニティづくりでした。
近畿エリアのNPOや社会起業家を取材したり、イベントを企画したりしながら、コミュニティを中長期的に育てる。困り事があれば人や場を提供する。そうした活動を、かなり長い目線で続けています。最近では、ガス料金に応じて付与されるポイントをつかって、ユーザーがNPOや社会起業家に寄付できる仕組みもできました。
こうした地域と向き合う活動を続けていると「大阪ガスの取り組み、なんか良いな」と好意的に捉え選んでくれる人も徐々に出てくる。さらには大阪ガスで働く人も自分の会社が好きになったり、大阪ガスで働きたいという人が増えたりと、多様な価値が生まれていったんです。
――そのお仕事は、速度の観点でとらえると「速さ」と「遅さ」どちらを大切にするものでしたか?
まさに、遅さですね。地域やコミュニティを育てるのには時間がかかります。その中で速さを重視してしまうと、生まれる結果が限られてしまいますし、育てることも難しい。逆に言うと、「遅さ」を大切にすれば、多様な結果を生み、地域にしみこむように根付くものになるんです。
たしかに、短期間で結果を出すべき場面はあると思います。得たい目的や価値がシンプルだったり数が少ないときなど、速さが活きることもある。ですが、すべてを急いでしまうと、「遅さ」がなければ得られないたくさんのことがこぼれ落ちてしまう。「速さ」ばかりを重視していく必要はありません。
とはいえ不思議なもので、ビジネスで結果を求めていると、どうしてもだんだん速くなっていってしまうんですよね。遅さの必要性を理解している僕でも、greenz.jpの運営を急ぎすぎて失敗してしまった経験があります。
急ぎすぎは「幸せのドーナツ化現象」を生む
――鈴木さんの失敗とはどのようなものですか。
大阪ガスとのお仕事以降greenz.jpは収益的にも伸び、社会に良い変化を起こせていると自負できる仕事が増えていきました。僕自身もやりたくてやっていることだったので、多少無理をしてでも頑張ろうと、どんどん忙しく働くようになっていったんです。
その結果、持病の喘息を悪化させ、うつ病を患うなど体調を崩してしまったんです。加えて仕事ばかりを大事にした結果、妻には離婚を切り出されてしまいました。いうなれば、「社会課題の解決」というミッションを"急いで"追い求めてしまった弊害が、次々と表出してきたんです。
greenz.jpで取材してきたような僕らの仲間たちも、同じような問題に直面した経験のある人が少なくありませんでした。社会をいい方向に進めることに集中しすぎた結果、自分のすぐ近くにあったはずの幸せを大事にできなくなっていた。本来、幸せを感じるポイントはたくさんあるはずなのに、仕事による幸せにフォーカスしすぎて、他の幸せを逃してしまった。僕はこれを「幸せのドーナツ化現象」と呼んでいます。
結果、そこから数年間は自分の体調や働き方のバランスを模索する日々を続けました。その中で思い出したのが、学生のときに学んだ「パーマカルチャー」だったんです。
――なぜ農法にたどり着いたのでしょう?
パーマカルチャーは農法から転じて、多様な領域で「遅さ」を取り入れる手法として注目されているんです。
パーマカルチャー(permaculture)は、permanent(永続可能な)と、agriculture(農業)を組み合わせた言葉です。元々は、持続不可能な、大量の地下水や農薬を使う環境負荷の高い大規模農業に対し、少ない資源を効率よく使い、多様な食物を育てる持続可能な農法にヒントを得て体系化された農法でした。
それが世界に広がるにつれて、少ない資源を無駄にせず最大限の効果を出す考え方として、教育や建築、まちづくりなど、さまざまな分野へと応用されていきました。今では農業のみにとどまらず、さまざまな分野における「パーマカルチャー的アプローチ」が研究・実践されています。
このパーマカルチャーの概念を思い出し、greenz.jpにも、自分の生活にも活かしていくことにしました。その結果、2013年から使っていたgreenz.jpのキャッチコピー「ほしい未来は、つくろう」を2018年に「いかしあうつながり」に変更。社会の課題を解決していくために、人と人、人と地域、人と社会などの「関係」に着目する方針に変化していきました。
私生活では、東京から千葉県いすみ市に移住しました。いろんな場所を見て回りましたが、いすみ市は移住促進に力を入れていて地元の人が移住者に寛容でした。そのおかげか、東京で活躍する映像関係者、写真家、音楽家など、クリエイティブな人も何人か住んでいたんです。加えて、東京から1時間半圏内で近すぎず、遠すぎないほどよい距離感の地域です。
いすみ市では、greenz.jpで培った遅さを活かしたビジネス的手法を用いて、街づくりにも関わるようになりました。
速さで勝てないなら、遅さで勝負をすればいい
――「遅さ」を活かした街づくりとはどんなものでしょうか。
はじまりは、いすみ市から大企業誘致の相談を受けたことです。大企業誘致は街の活性化における「速い」解決方法。成功すれば税収や雇用にはつながりますが、その企業頼りになりますし、撤退してしまったら何も残りません。それに大企業誘致にはわざわざ移転してくる経済的合理性が必要です。しかし、いすみ市は賃金が安いわけでもなければ、地の利があるわけでもない。合理的な速さの勝負では勝てないと考えました。
そこで、僕は大企業誘致ではなく、もっと中長期的に効果を生むような施策を選んだほうがいいとお伝えしました。すると、僕の話が影響したかは分かりませんが、その後中長期的に地域経済を育てるために地域の起業支援事業がスタートしたんです。そのパートナー募集を目にし、greenz.jpで応募し取り組むことになりました。具体的には、いすみ市で起業したい人やすでに始めている人のコミュニティをつくり、お互いの困りごとを相談や協力体制を構築。コラボレーションを生んだり、仕事を受発注し合う関係性を作っていっています。
――このアプローチはパーマカルチャーに影響を受けているのでしょうか?
そうですね。少ない資源で最大限の効果を生むには、時間をかけて、そこにある資源を最大限活かせる土壌作りがかかせません。街におけるそれは、関係性やコミュニティを育てることなんです。
いまは3年目で、18人が起業し、雇用を少しずつ生み出したり銀行から融資を受ける企業も出始めてきています。さらに、いすみ市のコミュニティへの興味がきっかけで、何十人もの人が移住してきてくれました。
もちろんこの成果は時間の経過とともに少しずつ生まれるようになったものです。でも、今の結果は大企業誘致では得られなかったいすみ市ならではの価値が生まれてきていると感じています。
ローカル起業家が複数育つということは、地域の課題を解決するのはもちろん、地域の課題を解決できる人が増えるということでもあるんです。地域の課題は、常に変化しながら発生していきますが、それを解決できる人が育っていけば生まれるたびに解決方法を見つけられますから。
地域やコミュニティなどを中長期的に育てることは時間がかかりますが、速いだけでは得られない多様な価値を生む。人の成長、協力し会える関係性、課題解決のナレッジなど、結果として求めたこと以外にもさまざまな価値を生みます。
繰り返しになりますが、もちろんビジネスは急がないといけないときもあります。しかし、長期的に急ぎ続けることはできないと思うんです。体調や心のリズムを無視して急ぎ続ければ、幸せのドーナツ化現象に陥りますし、歳を取れば体力も落ちる。
だから、速くすすめることと、遅くすること、双方を選択できる状態が大事だと思うんです。結果を求めていつの間にか速くなってしまうことは避けられない。でも意図せず急ぐことに一辺倒になっていたら、一度自分を見直してみる。急ぎすぎて、取りこぼしているものがあるかもしれませんよ。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 鈴木菜央(すずき・なお)
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NPOグリーンズ代表理事、greenz.jp編集長。76年バンコク生まれ東京育ち。6歳で来日時は日本語が話せずに成績が低迷するもなんとか進学。妄想だけが友達の日々を送る。その後絵が描けないのに東京造形大学卒に進学。デザインに落ちこぼれて中二病的発想で「こうなったら社会をデザインしてやる」と意気込む。高校入学直前まで作文を母親に頼んでいた分際で編集者になる。ソトコトで編集などを経て2006年にWebマガジン「greenz.jp」を創刊。千葉県いすみ市在住。関係性のデザインを通じた持続可能な生き方、社会のつくりかたを模索中。著作に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』など。