ジャーナリスト佐々木俊尚氏流、「人生100年時代」をより軽やかに生きるためのコツ。

ジャーナリスト佐々木俊尚氏流、「人生100年時代」をより軽やかに生きるためのコツ。

文:富岡麻美 写真:佐野達也

昨年、政府主導の一億総活躍社会実現へ向けた「人生100年時代構想推進室」が発足。本格的な「人生100年時代」を我々はどう生きるべきか。

2016年2月の『LIFE SHIFT』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著/東洋経済新報社)出版以来、多くの人たちが「人生100年時代」というキーワードを意識するようになった。一方で「そうは言っても、一体何からはじめたら良いのかわからない」と、戸惑いを感じる人も多いだろう。そんな人たちのために、数年前より来るべき未来を予測し、持続可能=サステナブルな暮らしを実践してきたジャーナリストの佐々木俊尚さんに、これからの未来をどう生きるべきか伺った。

「人生100年時代」に大切なのは「より良い人間関係」と「健康」

― ここ1、2年で「人生100年時代」というキーワードがいたるところで話題となっていますが、それ以前からそういった思考をされていた佐々木さんご自身は、この状況をどのように捉えていらっしゃいますか?

まず、60歳定年という仕組みがなぜ決まったのか、という点から考えはじめると分かりやすいかもしれません。僕は最初、新聞社に入社しましたが、当時は55歳が定年だった。今、僕は56歳なので、すでに定年を超えていますね。

同じように、映画や小説などの世界で誇張される「老人」をイメージしてみてください。現代の60歳と、ひと昔前の60歳とでは全然違うと思いませんか?今の60歳って、意外と若々しいんです。我々がイメージするいわゆる「おじいさん・おばあさん」には、80歳近くになってようやく近づく。つまり現代は、60代70代も生産人口の年齢として働くことは可能ですし、実際に健康管理や医療の進歩で若返っているのは間違いないのです。

一方で、歳をとるとだんだん人間関係が狭くなるということが現実に起こります。なぜなら、昔のように地縁血縁でつながっていないからです。地方では今でも多少あるでしょうが、都市部に関してはそれがなくなってきているので、だんだん孤独になる。そんな中で、良い老後をどう過ごすのか。その具体的なロールモデルが今は存在していない、ということに少し懸念を感じています。

― これまで多くの人が思い描いていた"良い老後"とは異なった未来がやってくることに、皆、戸惑いを感じているということでしょうか。

そうですね。なおかつ、経済誌やメディアなどでは、老後の資金として1億円程度必要だとか書いてありますが、日本人のなかでそれだけの金額を貯められる人が一体何人いるのか。そしてもし仮に1億円の貯蓄があったとしたら本当に安心なのか。例えば、年間500万円使う人なら、20年で底をついてしまう。そう考えると、お金は安心感にはならないのです。

といったことを「人生100年時代」と言われ始める前から、僕なりに考えていました。そこでわかったのは、良い老後を過ごすための要素は2つあり、そのひとつは「人間関係」で、最終的にセーフティネットとなるのは、お金や地位ではなく、良い人間関係をいかに作るか、ということなのです。

そしてもうひとつは「健康」。50歳くらいになると身体が痛いとか言っている人がたくさんいます。ところが僕は毎日5km走り、筋トレをし、月に2度は山登りをしますから、どこも痛くないし、非常に健康です。たまに病気はするけれど、病気は新聞記者時代に相当身体を壊した経験がありますから、早めに受診するようにしている。日常は生活習慣病にならないように体力を維持しつつ、異変を感じたらすぐに病院へ行くなど、常に自分の健康管理をしています。

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人生にはリズムがある。浮き沈みを受け止めながら、いかにサステナブルであるか。

― 筋トレやランニングなどフィジカルなこと以外で、100年という人生を見据えて意識していることはありますか。

ランニングを真面目に始めた10年程前は「100年」という言葉は考えていませんでしたが、自分の老後をどう構築するかを考えるようになりました。人生って浮き沈みがあるじゃないですか。会社員ならば別かもしれませんが、僕は2002年からフリーでやっているので、浮き沈みが生活に直結するんです。そうすると、沈んだときにそれをどう乗り越えるか、というのが悩みの種で、それは避けられない。

そこでひとつ考えるようになったのは「人生にはリズムがある」ということです。ですから沈んだとしても「今は沈んでいるときだな」とリズムとして受け止めて、そのときしかできないことをする。そして浮いたときには調子に乗らず「今は浮いたときだから、いつまでも続くと思わないようにしよう」と、そのリズムにうまく乗りつつ、暮らす。重要なことは持続していくこと、つまり、サステナビリティなんです。

― 『LIFE SHIFT』出版以降、佐々木さんご自身のライフスタイルやお仕事の面で、何か変化はありましたか?

少なくともあの本が出たことで、サステナブルな人生観に共感する人が増えてきたというのはありますね。50代になると人生の終わりを感じている人が多くて、いつも「それは違うだろ」と思っていたんですが、その認識が広がってきた感覚はあります。

― 佐々木さんがおっしゃっていたことに、ようやく時代が追い付いて来たという感じでしょうか。

そう言うと少し偉そうですが、僕がこれまで考えてきたことが伝わりやすくなったり、実践していることを周囲に理解されやすくなってきていますね。

理想的なコミュニティは壁の中の広場ではなく「網の目のようなもの」

― 2011年から東京以外にも拠点を持った生活を送られ、2015年からは3拠点での生活を始められたそうですが、何か決め手となるきっかけがあったのでしょうか。

直接のきっかけは東日本大震災で、東京にしか家がないのは不安だと感じたことです。当初は北海道など、遠いところを考えていましたが、結果的には軽井沢という地の利の良い場所に落ち着きました。その後拠点としたのは福井。もともと福井県に友人が多くいて、交流しているうちに何となく家を借りましょうという話になりました(笑)。実際に暮らし始めると、どの土地も人間関係から生活が成立したことを強く感じます。

複数の拠点での生活に関しては、いずれそれが当たり前になると思うんです。今、地方には人がいないと言われ、移住者を求めています。もちろん都会の人が全員移住することはあり得ませんし、都会は必要です。一方で、移動しながら仕事をしたいというニーズは増えていて、地方のゲストハウスにはコワーキングスペースが併設されていたりします。転々としながら気分を変えて仕事をしたいという人が増えている。いずれは拠点間を移動しながら暮らすことが当たり前になってくるんじゃないかなと。それを自分で実践し、何が見えてくるかを考えてみたいと思ったんです。

― 各地の人々との交流を通じて、ご自身の生活も変えて行ったのですね。豊かな老後を見据えたとき、心地よい人間関係はどうしたら構築できるのでしょうか。

多くの人が年齢を重ねるとだんだん偉そうになってきて、自己承認欲求の強い、付き合いづらい人になってしまうんです。これは個人的な話なので一般化はできないかもしれませんが、僕が承認欲求の鬼のようにならずに済んでいるのは、若い人と会っても、社会に対する認識や新しいライフスタイルに対する展望については、自分の方がよくわかっているという自信がある。ですから、自分の価値観を押し付けるようなことはしませんし、若い人の価値観を受け入れることができます。そのときに自分に課しているルールが3つあります。

ひとつは「年齢で差別しない」。若いからとか、年寄りだからというような扱い方をしないことです。もうひとつは「自分にないものを持っている人はリスペクトする」。年齢に関係なく、色んなことを知っている人はちゃんとリスペクトしましょうと。そして最後は「マウンティングしない」。すぐに自分の子分にしたがる人って多いじゃないですか。でも僕はしないようにしている。その3つを必ず守ります。そうするとこの人は嫌なことをしない人だと認知されるんです。

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― そうした上手な付き合いをした上で、佐々木さんの考える「理想的なコミュニティ」とはどんなものですか。

よく「コミュニティはどうやって作るの?」と聞かれますが、一般的なコミュニティは、村の広場に集まる人たちのようなイメージですよね。けれどもそうすると、村の外と中に壁ができて、排除の論理が働く。しかも容易に同調圧力が生まれ面倒になったり、いじめが起きたりする。そういうのは嫌じゃないですか。僕が会社を作らないのも、壁的なものを作りたくないからです。例えば仕事をするときは色んなプロジェクトを同時並行で進めますが、その都度、人間関係を作ってそこで仕事をするというやり方をしています。

そこでの人間関係は壁の中の広場ではなく、網の目のようなイメージです。囲んでしまうのではなく、自由に出入りができて、自分と誰かがつながり、その誰かと別の誰かがつながる。緩やかに、芋づる式に人とつながっていく......。これはプライベートにおける人間関係も同じかもしれません。このようなコミュニティでは、誰も排除されませんし、かといって強引に仲間扱いもされない、ゆるやかで居心地が良い。今後は、そういった人間関係を維持したコミュニティが必要とされているのではないでしょうか。

以前出版した『21世紀の自由論』という本に「ネットワーク共同体」ということを書きましたが、多分これからの社会には排除の論理が働かない共同体主義が必要なのだと思います。

どこに中心があるのかわからないような共同体、例えるならフェイスブックの人間関係みたいなものです。ネットワークだから共同体にはならないと思われているかもしれませんが、網の目のように人間関係が広がっているということに、何となくある種の共同体感覚があると思います。

そして芋づる式の人間関係をうまく広げていく上では、相手が良い人かどうかを見極める能力がある程度必要です。自分の周りを気持ちの良い人間関係にしておくことが大切ですね。

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時代の感覚を捉えるためには、まず自らが実践者となること

― 気持ちの良い人間関係が構築できれば、自分の心を乱されることも少なくなり、常に穏やかな心でいられる気がします。そのためには「人生のリズム」だけでなく、世の中の動きにも敏感になる必要があるのでしょうか。

そうですね。今の時代のトレンドや何がこれから流行るのか、さらにツールを使いこなすということにも敏感である必要があります。かといって、がむしゃらになるのではなく、フワフワした感覚でも、一緒に仕事をしてくれる人が現れるような人間関係をたくさん作っておいた方が実は良いんじゃないかと思うんです。現に、僕は営業をしませんし。

― これまで構築してきた人間関係のなかから自然発生的に仕事が生まれる感じですね。すると仕事と生活の垣根がなくなってくるのでしょうか。

仕事の内容にもよるので一概には言えませんが、ジャーナリストという仕事に関しては、自分のなかにいかに知見や体験を蓄積していくかがすごく大事なんです。生活のなかから得るものも多いので、そういった意味では、仕事と生活の垣根はむしろないかもしれません。

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モノを書くという仕事は、グラスのコップが溢れるものだと思っていて、継続性を持ち続けるためには、コップに水を注ぎ続けなければならない。注ぎ続けているということは、常にコップのなかに水がなみなみとある状態で、コップから溢れているんですね。その溢れているものを文字にすると。

― コップに水を注ぎ続けるのは自助努力だということですね。つまり自分のなかでテーマを縛るのではなく、自分が興味を持ったものには何でも挑戦してみることが必要になりますね。

そうですね。よく「どこどこへ行った」と言うと「それ仕事ですか?」と聞かれますが、何が仕事で何が仕事じゃないのかは自分でもわかりません(笑)。山を登るのでさえ仕事じゃないかと思うときがあります。山登り自体は単なる趣味ですが、山を登るという経験自体がやはりひとつの仕事の材料になってきます。時代の感覚を捉えるというのは非常に大切で、そのためにはまず自分が実践者になることなんです。

― 現代は情報過多ということもあり、体験せずとも、見聞きしたことでわかった気になっている人が多いのかもしれません。

体験と、そこでつながる人間関係が非常に重要で、自分にとって仕事の大きなリソースになっています。身体感覚はすごく大事なんです。僕は毎朝ジムで5km走るんですが、それを終えて外に出ると、全身の神経がすみずみまで行き届いている感じがします。身体の感覚を鋭敏に感じていること自体が、自分をコントロールするという感覚につながっている。出張などで走れない日が続くと、自分の身体が自分のものでなくなってしまう感じになってしまいます。自分をコントロールできなくなったらリズムも掴めないし、実践もできなくなる。

― 佐々木さんにとっては、走ること=自らをコントロールすることにつながるということですね。ロングトレイルに惹かれたのも同じ理由でしょうか。

もともと山登りは好きだったんですが、この10年くらいの間に、頂上に行っても楽しくないということに気付いて。体力がものすごくあると、登る行為自体はつらくないんです。ただ大地を踏みしめる行為が楽しいから、頂上に行かなくても良いなと。それよりは景色がどんどん変わる感じが、人生と同じような感覚のあるロングトレイルの方が楽しいなと思ったんです。自分の人生のコントローラブル感というか、自分が生きているということが、ある意味そういったことに象徴されるみたいな感覚が大事なんじゃないかと思います。

― 頂上を目指すのではなく、周りの景色を眺めながらプロセスを楽しむ。それが人生にも通じるのですね。

最近、目標に向かってまっしぐらというのはあり得ないと思っています。やりたいことはもちろんありますが、それは一大目標ではない。では自分の人生の目標は何かというと、そんな目標を立てる必要はないと思うんです。その局面局面で出会う人と、何かをする。それらをしっかりと選択していれば、流されているように見えながらも、良い方向に流れていけるのではないかと思います。

一般的には目標設定をして、それに向かって行くことが良しとされていますが、それだけではないんじゃないかな、と。なぜ人々がそう思うかというと、経営者本や自己啓発本を読むからです。そこには大抵、その経営者がなぜ成功したかということが書かれていますが、あれは半分くらい運です(笑)。けれども成功した人はそうは思わず、自分がこうしたからだと思っている。でもそこは後付けで正当化しているケースが多い。もちろん努力はしたでしょうが、必ずしも死ぬほどやった努力が成功に結びついているわけではない。ですから僕は、成功例よりも失敗例を読んだ方が意味のあることだと思います。

― 今後100年時代を生きる20代30代の方に向けてメッセージをいただけますか。

成功ではなく、持続を心がけた方が良いと思います。持続のために自分を一気に解放するのではなく、細々とで良いからエネルギーを小出しにしていく。その感覚を持つことが大事なんじゃないかな。根幹的には健康や食事に気を付けることが必要ですが、僕は「日常性」が大切だと思うので、極端なヘルシー志向ではなくきちんと持続的に生きることが大事です。

先ほども言いましたが、今必要なのは、失敗から学ぶということと、その都度その都度の難局を切り抜ける応用技術を身に付けること。ピンチを乗り切ろうとしているうちに、気が付いたらワンステップ上がっているというケースが多いんです。

目標があればそこに向かって生きれば良いのでわかりやすいですが、目標がはっきりしない、持続が大切だと言われても何を軸にして生きていけば良いのかよくわからないと思われる方も多いでしょう。そこで軸となるのが生活です。毎日料理をしてきちんと食事するとか、毎日掃除するとか。これは禅寺での修行とほとんど変わりませんが、それがイコール自分の生きる軸となり得るのです。

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プロフィール/敬称略

佐々木俊尚(ささき・としなお)

毎日新聞社会部記者として、警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人や誘拐、海外テロ、オウム真理教事件などの取材に当たる。その後、月刊アスキー編集部デスクを経てフリージャーナリストに。著書に「キュレーションの時代」(2011年/ちくま新書)、「『当事者』の時代」(2012年/光文社新書)。「自分でつくるセーフティネット〜生存戦略としてのIT入門〜」(2014年/大和書房)、「21世紀の自由論」(2015年/NHK出版)などがある。

『広く弱くつながって生きる』

『広く弱くつながって生きる』

著者:佐々木俊尚/842円(税込)/発行・発売:幻冬舎新書
リーマンショックと東日本大震災を機に人とのつながり方を変えたことにより、世代を超えた交流が始まり、小さい仕事が沢山舞い込むようになった著者。そのコツは、浅く広くつながることだった。佐々木氏自らの経験をもとに息苦しさから解放される、現代の人間関係の提言書。

幻冬舎」 全国書店、ネットショップなどで発売中。

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