セリフは「凝縮」して1秒4文字に。字幕翻訳家・菊地浩司に学ぶ、情報との向き合い方
どんなに長いセリフでも、わかりやすくコンパクトに、かつ、印象的な日本語で表現する字幕翻訳。「字幕は1秒4文字」のルールを決めた字幕翻訳家の菊地浩司さんから、情報との向き合い方を学ぶ。
博学な人は、知識の深掘りをどこで「もう十分」と判断しているのか。事業を畳んだ起業家は、どこで「やめる」決断をしたのか。冒険家は、どんな状況で進むことをやめ、撤退するのか。そこには、前に進むための「切り捨て力」とも言えるノウハウがあるのではないか。
「スタンド・バイ・ミー」「オーシャンズ11」「セブン」「スパイダーマン」「ゴッドファーザー」「ウエスト・サイド物語」「ワイルド・スピード」など、誰もが聞いたことがあるようなビッグタイトルの字幕翻訳を担当しているのが、ACクリエイトの菊地浩司さんだ。今の映画字幕の翻訳業界を牽引してきた菊地さんは「字幕は1秒4文字」というルールをつくった人でもある。
映画に含まれる膨大なセリフや情景を、少ない文字数の日本語に変換していく映画字幕づくりから、情報を凝縮するために必要なことを聞いた。
セリフの要素は切り捨てない。飲み込んで解釈し、凝縮して吐き出す
── 「1秒4文字」という映画字幕のルールはどのように作られたのでしょうか。
もともと、映画がフィルムで上映されている時代に「フィルムの長さ1フィート(=約30cm)あたり3文字」というルールがあったんです。しかし、時代の変化とともに、劇場上映用のフィルムだけでなく、ビデオ形式で映像作品が輸入されるようになってきた。するとフィルムの長さを基準にすることはできません。
そこで、1フィート3文字を、1秒あたりに計算し直して基準にすることにしたんです。計算上、4.5文字なのですが、スクリーン上映だけでなくテレビの小さい画面で映画作品を見るなら文字数は少ないほうがいい。そこで、1秒4文字にしようと決めました。当時はビデオに字幕をつけていたのが、うちの会社ともう一社しかありませんでした。そこで、お互いにルールを共有しようと1秒4文字がスタンダードになりました。
── 英文からその文字数に当てはめるには、さまざまな要素を切り捨てる必要があると思います。どのように字幕にされているのでしょうか。
字幕づくりにおいては、要素は切り捨ててはいけません。切り捨てるのではなく「凝縮」するんです。セリフの言葉をそのまま訳すのではなく、意味や気持ちを訳すことが大切です。
例えば「オーシャンズ11」にこんな場面があります。レストランで元夫婦のダニエル(ジョージ・クルーニー)とテス(ジュリア・ロバーツ)が会話をしている。泥棒家業から足を洗うつもりのないダニエルに愛想を尽かしたテスは、他の男性(アンディ・ガルシア)と恋仲になります。そんなテスに「あんな男とは別れろ」とダニエルが忠告したあとの会話です。
テス:Spoken like a true ex-husband.
ダニエル:I'm not joking, Tess.
テス:I'm not laughing.
これを直訳すると
テス:まるで前の旦那が言ってるみたいね。
ダニエル:僕は冗談を言ってるんじゃない、テス。
テス:私も笑ってはないわ。
となりますが、これでは長すぎます。そこで私はこう訳しました。
テス:さすが元の夫。
ダニエル:茶化すな。
テス:私は真剣よ。
── 確かに文字数は減っていますが、意味や情報量は変わらず、むしろ表現が豊かになっていますね。短い言葉に凝縮する際の手法を聞かせてください。
まずは、下準備として、映画の背景を知ることが大切です。例えば「セブン」のテーマはキリスト教の「七つの大罪」でした。日本人にはあまり馴染みがなく、実は私もよくわかっていませんでした。そこで、たくさんの参考文献を読んで、理解を深めました。映画が持つメッセージを可能な限り理解できるよう、背景知識を仕入れるんです。
その後、映画を見ます。最初から最後まで通しで、途中で止めたりはできません。そしてセリフを聞きながら、同時に英語で書かれた台本も読む。情景とテキストから情報を飲み込んで、解釈、自分が持つ言葉で吐き出すイメージです。セリフの直訳と吐き出した言葉は、基本的に一緒にはなりません。
例えば「I love you」は「私はあなたを愛しています」が直訳ですが「好き」の2文字で意味を十分に伝えられますよね。主語や目的語は訳していないけど、伝えるべき情報が減ったりはしない。
吹き替えと字幕を比べると、吹き替えのほうが伝えられる情報量は多い。しかし、映画を見終わったあと得られる情報は、吹き替えでも字幕でもさほど変わらないはずです。
字幕は他文化との橋渡し。英語だけでなくむしろ日本語が大事
── いい字幕原稿を書く上で、大事にしていることはありますか?
翻訳とは、日本とはまるで違う文化で生まれて、自分とは違う背景を持つ登場人物が言うことを、違和感なく日本の観客に伝える仕事。言葉だけでなく、文化の橋渡し役として観客が映画を十分に理解できるよう努めています。主語ひとつとっても、「I」を「私」と訳すか「俺」なのか「僕」なのか。映画作品をきちんと咀嚼し、その国の文化や映画の内容、時代背景などをふまえ適切な言葉を選び取るのが字幕翻訳の役割です。
同時に、私の場合は自分の翻訳技術に合った仕事を選ぶことも大切にしています。例えば、女性3人が話しているシーンを私が訳すと、3人が同じような言葉になってしまい、観客は混乱してしまいます。でも、女性翻訳家が訳すと、短い言葉だけでちゃんと3人のキャラクター書き分けられたりする。逆に、荒っぽい言葉遣いをするアクション映画の男性のセリフを、女性翻訳家が訳すと表現が一辺倒になってしまったりする。私は汚い言葉もたくさん知っていますから、バリエーションが出せるんです(笑)。
── 経験を重ねれば、自分の適性以外の翻訳がうまくなることもあるのでしょうか。
残念ながらそうとも限りません。もちろん経験も大事ですが、必ずしも上手になるわけではない。私が、最近つくられた映画の若者のセリフを翻訳したら、おそらく違和感が生じてしまうでしょう。最近の若者の言葉遣いを知らないからです。逆に、若い子がおじいさんのセリフを訳すのも難しい。登場人物のおじいさんは、年齢を重ねた分だけ、いろんなことを理解しています。その理解の上で生み出される言葉の真意を十分に理解するのは難しいからです。
── ハイレベルな英語の知識も必要ですよね。
いや、むしろ翻訳には、英語よりも日本語の力が問われるんです。観客が読んでいるのは日本語ですから。もちろん、英語が得意であることに越したことはありません。ですが、字幕翻訳は同時通訳ではありませんから、時間をかけて調べたり聞いたりすることで英語力の不足部分は補えるんです。
鍛えるべきは、日本語力です。優れた日本語力を持っている翻訳家が訳すると、ときに名訳が生まれます。例えば1942年にアメリカで公開された『カサブランカ』にはこんなセリフが登場します。
Here's looking at you, kid.
直訳すると「君を見つめて乾杯」というニュアンスですが、これを日本を代表する翻訳家である高瀬鎮夫さんは
「君の瞳に乾杯」
と訳しました。聞いたことあるでしょ?(笑)。
── だれもが知っているあのフレーズですね。日本語力を鍛えることは、ビジネスシーンでも武器になるように思いました。どのように磨いていけばよいのでしょう。
絵かきはデッサンが大事だとよく言われますが、言葉によるデッサンは、翻訳のための鍛錬方法のひとつです。例えば、誰が読んでも同じようにその情景をイメージできるように、この部屋を言葉で描いてみる。壁の色、窓から見える風景、音、温度...。読んだ人に、どれだけ正確にこの部屋が伝わるかを考えて言葉で表現することで、相手に伝えるために必要な表現力やコミュニケーション方法が身につきます。実際にやってみるとわかりますが、誰が読んでも同じように伝わるような表現って、なかなか難しいんですよ。
切り捨てることで失うこと
── ここまでセリフの要素をどう凝縮して字幕にするかにフォーカスしてきましたが、どうしても凝縮が難しい場面もありますよね。
あります。何かを説明するセリフは大変です。例えば「ニューヨークからサンフランシスコまで、12時間かけてマスタングで走る」というセリフがあったとしたら、1秒4文字の縛りの中に当てはめるのは難しいですよね。そういうときは、そのセリフだけで解決するのではなく、前後の文脈をみて考えるんです。直前のシーンに次のセリフの要素を入れ込んだりして、トータルで見たときに情報が切り捨てられないようにするのです。
── あくまでも「切り捨て」はしないのですね。
そうです。字幕で映画そのものを良い作品に変えることはできないけれど、悪くすることはできてしまう。「あの映画、難しかったなぁ」と感じたときは、映画が難しいのではなく、字幕が情報を切り捨て過ぎていることも多いんです。
全体を理解しないと、切り捨てはいけない要素を切り捨ててしまうこともある。2時間の映画は1000〜1500の字幕で構成されています。そこにまとめられた言葉にはすべて関係性がある。最初に出てきた言葉が伏線となり、最後で回収されるような映画も少なくありません。その場では切り捨てていいと思える要素も、あとから振り返ったらとても大事な要素なときもある。このセリフをどう訳すのが良いか、のように「部分」に注目しすぎると、見逃してしまう要素があるわけです。
とはいえ、実は私も若いときは、切り捨ててもいいと思っていたんです(笑)。
1931年公開の名作「モロッコ」を公開50年記念で再上映することになったときのこと。この作品は、日本で最初に字幕がついて公開された映画なのですが、50年もたてば日本語の言葉遣いが変化しているので、翻訳し直したんです。私は再翻訳を担当することになった。映画の中にこんなセリフがあります。
I wish I'd met you ten years ago.
私は
ずっと前に会いたかった。
と訳したんです。そしたら大先輩に激怒されました。なぜなら公開当時、このセリフは
10年前に逢いたかった。
と訳され、このフレーズによって映画が大流行したそうなんです。この映画にとって、とても大事なセリフだったんです。そんなことは知らずに、自分流に翻訳しなおしてしまった。
── 「10年前」という言葉は、切り捨ててはいけない要素だったですね。
そう。何事も失敗しながら、人間は学んでいくんだと思いますよ(笑)。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 菊地 浩司(きくち・こうじ)
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1947年東京生まれ。学習院大学法学部政治学科卒業。卒業後ベルギーに1年滞在、帰国後舞台活動を経て27歳で英会話教室「Apple English Club」を始める。その後Apple English Clubの頭文字ACをとって「ACクリエイト株式会社」を設立。現在の日本語版制作会社ACクリエイトに至る。