「自分にやさしく」がマネジメントに効く?組織のためのセルフ・コンパッション
自分のあるがままを受け入れ、心身の健康につなげる概念「セルフ・コンパッション」。日本の研究第一人者、関西学院大学 有光興記教授に、前向きで持続性の高い組織へと活かす秘訣を聞く
メンタルヘルスに不調を感じる人が増えている。2020年12月の厚生労働省の発表によれば、新型コロナウイルス感染症の拡大及びこれに伴う行動制限等の対策により、何らかの不安を感じた人は5割以上。仕事や暮らしが一変し、様々な情報が錯綜するなか、過度に怒りや恐れを抱く人も現れている。これは、個人の健康問題だけでなく、組織としても従業員のパフォーマンス低下や休職・離職の引き金になりかねない問題だ。
そんな今だからこそ、注目されはじめているのが「セルフ・コンパッション」という考え方。直訳すれば「自分への思いやり」となるこの概念は、「こうありたい」と無理をするのではなく自分の「あるがまま」を認めるのが特徴。その実践には、どのような効果があるのだろうか。今回は、日本のセルフ・コンパッション研究の第一人者である、関西学院大学 有光興記教授にインタビューした内容を前後編でご紹介。前編ではセルフ・コンパッションの基本的な考え方と、マネジメントへの取り入れ方をお届けする。
自分にやさしくなれたら、人にもやさしくできる
―― はじめに、「セルフ・コンパッション」とはどんな概念なのかを教えてください。
端的に言えば、人に対してやさしくするように、自分に対してもやさしい言葉をかけることです。人の心は、嫌なことがあったときには「自分だけがこんな目にあっている」「どうして自分はダメなんだろう」…と、「ダメな自分」だけに注目しがちです。
でも、同じ状況が親友に起きていたらどうでしょうか。もちろんダメなところを指摘することもあるでしょうが、批判だけはしないですよね。「そんなことないよ」「あなたはがんばってるよ」「私も同じだよ」といった言葉をかけるはず。自分を一人の人間として客観視し、親友のように慈しむことが、セルフ・コンパッションのベースとなる考え方です。
―― 反省して改善することよりも、「頑張ったところもあるよね」と健闘をたたえるようなイメージでしょうか。では、セルフ・コンパッションを実践するとどんな効果がありますか。
まず、良いことも悪いことも「あるがまま」を受け入れることで、自分自身の心の安定が期待できます。また、セルフ・コンパッションは自分だけではなく他者にもやさしくなれる。なぜなら、自分自身を見つめるだけでなく、周囲を見渡してみることも非常に大切だからです。「人間誰でもそんなときはあるよ」と思うことは心の安定にもつながりますし、他人との共通点を発見すれば、その人にもやさしくなれる。「自分にやさしくすることで、人にもやさしくなる」という好循環が生まれます。
―― 「自分にやさしく」と言われると、甘えているようにも感じてしまいます。甘えとは何が違うのでしょうか。
そのように感じるのは、人から繰り返し反省を促され、批判や評価に晒される社会に生きてきたからです。特に日本を含むアジア諸国は儒教の教えが影響して、自分を律することを厳しく求められて育った人たちが多い。もちろん、それ自体が悪いわけではありませんが、人によっては自律が行き過ぎて感情を押さえこんでいる場合があります。
幼い頃から「泣くな」「我慢しなさい」などと言われ続けた結果、自分の感情を素直に出すことが悪いことのように感じられる。セルフ・コンパッションは、自分を甘やかすのではなく、自分の内なる感情を認め「辛いなら辛いと言って良いよ」と語り掛けるようなもの。甘えではなく、「思いやり」なんです。
競争重視の社会で、私たちは幸せになれたのか
―― セルフ・コンパッションが生まれたのは、どういった背景があるのでしょうか。
多くの人が競争社会に限界を感じ始めていることです。セルフ・コンパッションは、2000年代初頭にアメリカの心理学者、クリスティーン・ネフ博士が提唱したものであり、背景には資本主義大国アメリカで競争に疲れている人が増えていることがあります。日本でもバブル経済の崩壊を経験し、ただひたすらにお金を儲けるために競争を続けることや、「自分はもっとできる」と走り続けるだけでは幸せになれないと感じた人は多いですよね。
また、特にアメリカではテロや自然災害の他に、軍の影響も大きいと考えられます。アメリカは「地球防衛軍」的な振舞いで世界中の紛争に介入し、軍隊を派遣してきました。しかし、国のため・世界のために戦おうと入隊したのに現地の人々にはあまり感謝されず、過酷な環境に身を置き続けた結果、心身を病んでしまう。戦うこと・争うことだけの社会はもうこりごりだという感覚が広がったことも、セルフ・コンパッションを支持する人が増えている一因でしょう。
―― 企業・組織の側面ではいかがですか。
リーダーシップのあり方の変化は大きな要因のひとつです。これまでのリーダーシップは、組織内の競争を勝ち抜いた、一人の優秀なリーダーが組織を力強くひっぱっていくことが理想のリーダー像とされていました。しかし、近年は組織を構成する一人ひとりがお互いの能力を認めあい、みんなで組織を動かしていくことを指向する組織が徐々に増加。部下の痛みや辛さに寄り添う「コンパッショネイト・リーダーシップ」や相手の話に意識を集中し、しっかりと耳と傾ける「マインドフルリスニング」といった手法を取り入れるリーダーが増えています。
―― 従来の仕組みに、痛みや辛さを抱える人が増えていることが背景にあるのですね。では、日本の場合はいかがでしょうか。
日本ではまだそこまで浸透しているとは言えないものの、セルフ・コンパッションを実践するうえで大切な「マインドフルネス」を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。日本でマインドフルネスが広まった原点は、2000年代の医療分野です。医療技術が飛躍的に進歩していながらも、「痛み」は治療で消すことができなかった。そこで、痛みを「なくすのではなく受け入れる」というアプローチで、マインドフルネスが注目されるようになりました。マインドフルネスは瞑想に近いので、日本でも比較的受け入れやすかったようです。
ビジネスシーンでは、Googleをはじめシリコンバレーの先進的な企業が取り入れていると紹介されたことが大きいように感じます。また、厚生労働省はメンタルヘルス対策の趣旨で企業に従業員の「セルフケア」の促進を求めており、ここ10年で社員研修などにマインドフルネスなどの心理学的プログラムを設ける企業も増加。この流れでセルフ・コンパッションも徐々に注目されるようになりました。
一人で頑張るのではなく、自分の弱さを見せられる仲間と成果を出す
―― では、企業や組織ではセルフ・コンパッションをどう取り入れると良いのでしょうか。企業活動は事業成長や目標達成が前提であり、「あるがまま」を受け入れる考え方とは両立が難しいように感じられます。
確かに何事にも目標を設定することは大切ですし、私も目標が悪だとは思いません。ただ、目標は達成すれば嬉しいけれど、達成しないと落ち込みます。人によっては過度に自分を責めてしまうこともあるでしょう。
また、仕事における目標は達成してもそこでゴールではなく、次の目標がやってくる。できなかったらどうしようと絶えずストレスに晒されており、疲れ果ててしまいます。「目標だけ」のマネジメントでは、持続的に成果を出し続けられる組織にするのは難しいのではないでしょうか。
―― だからこそ、セルフ・コンパッションだと。
先ほども申し上げた通り、コンパッションは「思いやり」です。思いやりを持つには「何のためにやるか」と、仕事の目的をどう掲げるかが重要。目標の立て方とパフォーマンスに関する実験では、同じ仕事でも「数値や評価を目標とするとき」より「人の助けになることを目標にしたとき」の方が、仕事の意欲が持続したという結果が得られています。世の中の人への思いやりで溢れた組織にすることは、持続的に成果を出し続けられる組織にするために、効果的なのです。
―― 「一番になりたい」「良い暮らしがしたい」など、自分が何かを得るためではだめなのでしょうか。
もちろんその気持ちは否定しませんが、それはどちらかといえば競争の価値観でしょう。競争は、勝っている間は良いけれど負けたら終わり。恐怖との戦いという側面があります。ここ一番のときにいつも以上の力を出すことや、瞬間的な負荷に耐えるための動機にはなりえますが、長続きはしません。
持続的にやる気が出る状態とは、「またやりたいと思えるか」が重要。恐怖から逃げ続ける戦いは、またやりたいとは思えませんよね。この状態を続けたいと思うには、「誰かのために変化を起こす」「チームのみんなで成し遂げる」のような、温かな関係性を前提とした環境の方が、重要ではないでしょうか。
―― たしかに、みんなが自分のためだけに仕事をしていては、相互の協力も生まれにくいですよね。
そうです。わかりやすい例を挙げるなら、個人業績に比重を置いたマネジメントよりも、チームの成果に重きを置いた方が良いでしょう。というのも、一人で目標を追いかけさせれば、どうしても頑張りすぎてしまう人が現れます。そういう人は、「同僚はできているのに、自分はなぜできないんだろう」と比較しがち。比較は人間として自然な行為ですが、上を見て劣等感を抱き、下を見て優越感を覚えるという、不健全な精神状態に陥りやすいことには気を付けた方がよいでしょう。
―― どうやってマネジメントを変えたら良いのでしょうか。今のリーダーの多くは、まさしく競争社会を駆け上ってきた人たちばかりです。「自分の弱さを見せるべきではない」「辛いと言ってはいけない」という価値観が根付いている人も多いと感じます。
だからこそ、リーダーのみなさんに実践してもらいたいのがセルフ・コンパッションです。どんなに競争を勝ち抜いてきた人でも、過去には何かしら苦労し傷ついた経験はあるはず。でもそれを人に見せまいとするうちに、その感情から逃げ、蓋をしてきた側面もあるのではないでしょうか。
自分の内なる感情に向き合い、親しい友人のようにやさしい言葉をかけてあげること。自分の弱さや過去の失敗談も受け入れ、周囲にも自己開示できるようになれば、部下の不安や悩みに丁寧に応えられるマネジメントへと変化できるはずです。
(後編に続きます)
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 有光 興記(ありみつ・こうき)
- 関西学院大学文学部 教授
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2000年、関西学院大学大学院 文学研究科心理学専攻博士課程後期課程単位取得満期退学。博士(心理学)、公認心理師。2017年より現職。専門は臨床感情科学。著書は、『自己意識的感情の心理学』(共編著,北大路書房),『モラルの心理学』(共編書,北大路書房),『マインドフルネス:基礎と実践』(分担執筆,日本評論社)、『自分を思いやる練習 ストレスに強くなり、やさしさに包まれる習慣』(朝日新聞出版)など