丁寧なコミュニケーションでソフトクリームを独自の食文化に根付かせた「日世」

丁寧なコミュニケーションでソフトクリームを独自の食文化に根付かせた「日世」

文:土屋 智弘  写真:近藤 誠司 (写真は左から、松島さん、茨田さん)

突出したアイデアを形にしてオリジナルな市場を創り上げる。

近年、国内のアイスクリーム業界が伸びている。冬でもアイスを食べる習慣の定着などもあり、売上高も増加、市場規模は5000億円の大台に乗った。その中でソフトクリームのリーディングカンパニーとしてシェア6割強を占めるのが「日世」だ。

1947年に設立された同社は日本に初めてソフトクリームを持ち込んだ。近年は国際的に評価されるプレミアムソフトクリーム「クレミア」の投入で新たなブームを生み出している。同社はどのようにソフトクリームの独自市場を開拓したのか。そしていま描く未来とは。マーケティング部の茨田貢司さんと松島寛明さんに伺った。

日系二世による先進的なマインドが原点

日世とソフトクリームとの出会いは、創業直後まで遡る。

日世の前身となる二世商会は1947年に創業した。当初は進駐軍周りの貿易を生業とし、創業陣は日系二世が中心だった。

茨田 「日系二世で英語も話せる彼らは、戦後の復興期に志高くビジネスをしようと様々な商材を取り扱いました。その中で目をつけたひとつが、当時アメリカで人気のあったソフトクリーム、正式名称『ソフト・サーブ・アイスクリーム』だったんです」

ソフトクリームを店先で製造するマシーン「オートマティック・ソフト・サーブマシン(フリーザー)」を10台輸入。日世の創業者・田中穰治氏は「ソフトクリーム」という覚えやすいシンプルな名をつけ、百貨店などで販売を開始した。

松島 「外貨の獲得が難しい時代の投資で、かなりの冒険だったようです。ソフトクリームは当時高級品で、かけ蕎麦が15円だったのに対し50円という値付けでした。ただ朝鮮動乱の特需景気なども幸いして、デパートの食堂や有名レストランで広まっていきました」

この頃から、日世は事業をソフトクリーム一本に絞り、順調に売上を伸ばしていく。しかし、彼らはそこに満足せず、よりこの業界を深掘りしていく方向へ舵を切りはじめる。それはメーカーとしてすべてを自社で内製する道だった。

メーカーとして、ソフトクリームの総合商社へ

国産初の卓上・ダブルシリンダー型の空冷 ソフトクリームフリーザー CI-7548AE
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ソフトクリームを成り立たせるには三つの要素がある。ソフトクリームの液体原料である「ミックス」。ソフトクリームを製造する「フリーザー」。そして、可食容器である「コーン」だ。日世はまず、一番安価だが、輸入の際の湿気や割れの問題から歩留まりの悪かったコーンの内製化に着手。1953年に大阪市天王寺区、1955年には品川区荏原に自社生産工場を開設し、メーカーとしての道を歩み始めた。

茨田 「当時は国内でもコーンだけ、ミックスだけなどを別個に手がける会社が乱立していました。ただ、見よう見まねで作るところが多く、品質がバラバラだった。自分たちの満足のいくレベルを実現するためには内製化しかないと考え、自社工場で高品質なコーン作りに注力したんです」

コーンに続き、1963年から国産初となるフリーザーも自社で手掛け販売を開始。アイスクリーム類は乳製品であり、かつ加熱する訳ではない。製造の取り扱いを誤ると菌が増殖しやすいため、国の定める衛生基準も厳しいという。その衛生面をクリアするには、日本の基準に適した自前フリーザー開発が急務と感じていた。

松島 「衛生面をクリアすることで、ソフトクリームを安心安全な食品に育てようという思いがあったといいます。いまでこそ食品の安全性を謳うのは当たり前のことですが、当時は革新的なことでした。国内でも先駆的にフリーザーを開発したことで、製造する事業者を一気に増やすことにも寄与しました」

松島寛明さん

そして、1966年に原材料のミックスを製造開始。ソフトクリームの三要素をすべて自前で揃えることで、日世はソフトクリームの総合会社を目指した。「現在にいたるまでソフトクリームシェアの大部分を手にすることができているのも、総合的に内製化できたのことが大きい」と松島氏は振り返る。

1970年の大阪万博では200台のフリーザーを用意。ソフトクリーム片手にパビリオンを回る人々の姿が注目を集め、全国的なブームを生み出すきっかけになったという。

現在では日常光景となったが、軽食の「食べ歩きのスタイル」が生まれたきっかけだったとも言われている。

手厚い販売店サポートでシェアを拡大

こうしてソフトクリームの総合メーカーとして成長した日世。同社の強みは、単なる販売だけにとどまらないことにもある。そのひとつが、販売店との強固なパートナーシップだ。背景には、ソフトクリームならではの独自な環境があった。

茨田 「我々は、フリーザーを持つ販売店を、生産拠点である自前工場のような存在として大切に考えています。ミックスやコーン、そしてフリーザーを売り切って終わりというわけではありません。個店単体では対応が難しい、複雑な構造のフリーザーの衛生面を指導するなど、幅広いアフターサービスや関係性構築が必須だったのです」

食品衛生法上もソフトクリームの衛生管理を厳しく定め、販売店も基本的には「アイスクリーム製造業」の許可を得ないと運営ができない。そこで日世は当時では珍しい「衛生管理部」という部署を設けて、販売店のフリーザー保守点検、衛生指導などの細かい対応にあたった。こうしたコミュニケーションを通じて販売店とのパートナーシップは強固なものになった。

松島 「フリーザーの衛生面はもちろんミックスやコーンの品質管理、客数に応じたフリーザーの大きさや台数の提案など運営オペレーションにまで責任を持って販売店さんと付き合っています。その信頼関係から顧客の声を集め、新規メニューの開発やフレーバーの拡充にもつながりました」

ソフトクリームしかない!迷うことなく本業で突き進む

茨田貢司さん

同社は、会社名が消費者に知れるというよりも、いわば縁の下の力持ちとして市場全体の拡大を下支えした。販売店ごとへ細かいメニュー開発を行うことで、全国のご当地フレーバーのソフトクリームブームを起こすなど、日世が仕掛けた市場は順調に伸びていった。

しかし、加熱したブームは必ず冷める。90年代のデパ地下スイーツのブームや、2000年代のネット発信スイーツなど市場は多様化。スイーツの選択肢が増えたことで、ソフトクリームはクラシックな存在として、一部消費者離れのような現象が起きた。他のアイスクリームやスイーツに転向する企業もあったが、日世はソフトクリームを主力として勝負する道を選んだ。それこそ日本に初めて導入した時の気持ちでこの困難な状況へ臨んだという。

茨田 「レジャーブームで行楽地に行き、家族や仲間で食べるソフトクリームというイメージは根付いて行ったのですが『子どもの頃、家族の行楽で食べた』『美味しいものというイメージはあるが、もう卒業』というF1層が出始めた時期がありました。少子高齢化が言われ始め、家族で食べるというソフトクリームもこのままでは将来が危ぶまれると感じていました」

松島 「F1層に受けのいいカフェなど販売拠点を増やすべく、小型化したフリーザーを開発導入などしましたが、もっと画期的な新しいメニューが必要でした。そこで投入したのが2013年に開発した『クレミア』という商品です」

多数決の意見に従うのはなく自らの感覚を信じる

「クレミア」は、同社がこれまで培った技術があったからこそ生まれた商品だった。ミックスはそれまで脂肪分の限界とされた8%を1.5倍の12.5%に伸ばし、業界の常識を打ち破る25%の生クリーム、口どけのいい切れ味の良い甘さをつくる4種の砂糖を組合わせた。ラングドシャのコーンも新開発するなど、手間やコスト、従来のメニュー開発の経験を活かしつつも、全く異なる挑戦の繰り返しだった。もちろん、社内でも賛否は分かれる。開発に関わった茨田氏は社内でどんな批判的な意見がでても、必ず形にしようと邁進した。

 /> <figcaption>プレミアムソフトクリーム「クレミア」</figcaption> </figure> <p><span class=茨田 「常識を覆すようなまったく新しい商品が必要でした。そのためには、みんなの総意ではなく、突き抜けたアイデアを形にしなければいけない。自分は誰よりもこの新商品について考え抜いた自信があったので、やりたいだけやり抜かせてもらいました」

茨田氏の自信を裏付けたのは、これまで関係性を築いてきた、販売店の方々や実際に商品を購入してもらいたい消費者の声だった。

茨田 「クレミアの開発にあたってお客様の試食会を重ね、意見を集めました。その中で改良した点もありますし、これで行けると確信を持つこともできました。回を重ねるごとに社内の開発陣の様子も変わっていきましたし、販売店の皆様に紹介したとき自信が伝わったのか、ソフトクリームで500円以上という常識外れの価格設定でしたが、是非うちにと手を挙げていただく結果となりました」

「クレミア」は販売開始と共に、大きな注目を集める。味はもちろん、フォルムの上質感、新発想のラングドシャコーンはSNSを通じて話題を呼んだ。海外においても評価され、国際味覚審査機構(iTQi)で5年連続優秀味覚賞を受賞し続けている。日本のソフトクリームが世界に羽ばたいたのだ。

時代の感性に合うようチャレンジを

「ソフトクリームを日本の食文化に根付かせたのは自分たちだ」という自負とともに日世は成長してきた。そして市場の波風を受けても、中心をぶらさず、パイオニア精神を忘れず今日の発展を築き上げた。

茨田 「これからも新しいこと、価値のあるものに挑戦していこうと思っています。日本国内を見ると少子高齢化で、需要は当然減っていきますし、ソフトクリームをサーブするスタッフの人材不足も将来起きるでしょう。しかしそうした逆境も乗り越えることで、商品の価値は上がり、会社も強くなっていくのだと感じています」

日世の企業理念には「ソフトコミュニケーションで世界を結ぶ日世」とある。それにのっとり、中国やベトナムを始めとした海外市場にもすでに進出し、成功を収めている。さらに、テクノロジーを駆使した未来のソフトクリームの青写真も描き始めている。

茨田 「我々の技術や、商品の味の良さが徐々に伝わりつつあり、すでに中国だけでも130億円の市場を作りました。次なる挑戦はAIやIoTを活用した販売店の生産や衛生管理の一元化です。さらなる安心安全な食文化の提供とともに、近年注視されるフードロスの最小化を目指します。また、人手不足への打ち手として、ロボットがサーブするソフトクリームなども構想しています」

ソフトクリームは、対面で目の前のカップに注がれる製造過程が消費者に与える影響が大きいという。顧客から見えるところにフリーザーを置き、ソフトクリームを作り上げるパフォーマンスをする店舗とそうでない店舗では、日世の統計上1.4倍の売り上げの差が出るそうだ。

そうしたエンタテイメントも含めて楽しめる「ソフトクリーム」を通じて、みんなを笑顔にしたいと願う日世。彼らが描く近未来は、きっと楽しくワクワクするものになるに違いない。

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プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

茨田貢司(ばらだ・こうじ)

日世株式会社 マーケティング部兼営業業務部執行役員
1979年入社。営業所所長、ナショナルチェーン店担当責任者を経て、2013年より現職。

松島寛明(まつしま・ひろあき)

日世株式会社 マーケティング部企画グループ東京課長
1988年入社。大手コンビニエンスストア担当部門、成長戦略室を経て、2013年より現職。

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