ポケベル電波が防災無線に。立役者・清野英俊氏に聞く、プロに求めるマインドセット
防災無線を広げるという役割を全うしたら、いつ死んでもいいとすら思っています----。かつて一世を風靡したポケベルの電波は今、防災無線用として新しい役割を得て活躍している。
その立役者は、銀行員、外資系ヘッジファンドを経て、東京テレメッセージ代表取締役社長に就任した清野英俊氏だ。今でこそ同社の防災無線を採用する自治体は増え続けているが、それは清野氏の強い使命感と、幅広いビジネススキルを遺憾なく発揮してこそなし得た実績だ。同氏はいかに、その道のりを歩んできたのか。その経験から、ビジネスに大切なものは何かを紐解いていく。
この防災無線は、日本絶対に必要。だから役割を引き受けた
東京テレメッセージは、ポケベルの通信サービスを提供する企業として1986年に創業した。しかし、ポケベルは携帯電話やインターネットに取って代わられる。2007年3月に最大手のNTTドコモがサービスを終了。2017年3月以降は、ポケベルの電波免許を持っているのは同社のみとなった。
現在の東京テレメッセージは、ポケベルの電波を使い、防災無線サービスを全国の自治体に展開する事業へと軸足を移している。
ポケベルの電波は「より遠く(到達性)、より確実に(受信性)、建物内でも(浸透性)」届く特性を持つ。自治体や国家機関のための非常時通信システムとして設計されており、災害時にも通信制限や停電によるサービス停止が起きない。そして、市区町村と中央省庁や内閣、消防、防災無線を導入している家庭などを同じ回線でつなげられる。
「私たちの防災無線は、日本に絶対に必要なものです。なぜなら、実際の災害時に従来の防災無線にできなかったことを、実現できるからです。
従来の防災無線は、市区町村ごとにシステムが分かれており、被災地の自治体職員が無線を発信する必要があります。しかし、被災地では状況を正確に判断できません。東日本大震災では、迫りくる津波の状況を現地で正しく把握し、整理して、適切に発信する方法がほぼありませんでした。テレビを見ていた、遠くにいる人のほうが把握していたのです。津波のことを知らずに間違った方向に避難した市民や、防災無線をひたすら流し続けて犠牲になった自治体の職員が大勢いる。こんなことをもう繰り返したくないのです」
清野氏は、防災無線に強い使命感を持っていた。東日本大震災の被災地である福島県福島市に生まれた清野氏は、大学を卒業して23年間の銀行員生活ののち、外資系のヘッジファンドに転職。そこでシニアアナリストを務めていた。
2007年当時、清野氏が融資を担当したのが東京テレメッセージの前身となるYOZANだった。その時、すでに同社は破産申立の一歩手前。破産申立をすれば、3つの自治体が採用している同社の防災無線も止めることになる。災害時に多くの人の命を救うサービスを、停止させるわけにはいかない。そう感じた清野氏は、自身のヘッジファンドを説得して新たな融資を取り付け、防災無線に関わる部署だけを独立させるなど、事業存続をサポートした。
「その後、2012年は私が代表取締役社長に就任することになりました。そうしなければ、防災無線事業が継続できなかったからです。分社化したにもかかわらず、従業員への給料は遅れ、税金も払えておらず、年間数千万円の赤字が出ていました。さらに訴訟も起こされるも、弁護士を雇う費用もありません。私が社長を引き受けて、再建するしかなかったのです」
就任して臨んだ裁判では清野氏は自ら弁論を引き受けた。社長就任後も、顕在化していたいくつもの課題と対峙。目前の課題をなんとか乗り越えた後、清野氏による経営改善へ着手。防災無線サービスは、当初3つの自治体でしか使われていなかったが、今では30の自治体が導入を決め、防災無線の受信機は受注ベースで17万台を突破。ポケベル最盛期には契約数が120万強だったが、すでにその10分の1を超え、さらに成長を続けている。年商も19億円まで回復した。
全員に"社長意識"をインストールし、会社の成長を促す
清野氏は、度重なる困難を解決し、傾ききった事業を土台から建て直していった。この成果をたぐり寄せたのは、銀行員時代、ヘッジファンド時代から培ってきたビジネスマインドが影響しているという。清野氏が同社で力を入れたのは、社内のあらゆるメンバーに、"社長マインド"を持ってもらうことだ。
「一番強い会社とは『みんなが社長の役割を果たす会社』です。つまり、一人ひとりが『社長ならこのときどうするか』を把握し、それ通りに行動ができること。大事なことはWHYです。社長が「なぜ◯◯をやっているのか」を、社内のみんなが理解する。これが徹底されると、日々の業務の中で細かい指示をせずとも、スタッフは正しいジャッジができるようになります。その状態をつくるために、定例会議で私のスケジュールを見せながら、どこに行ったか、どんな目的だったか、何を話したかなどを明確に共有するのです。その会議では、スタッフが何をしているかは聞きません。とにかく私がやっていることと、それをなぜやっているのかを共有することに集中します」
社長の行動の「WHY」を伝えれば、同じ「WHY」を持ち行動を素早く再現できる。素早さがあれば、課題が生じても初期段階で解決できる。では、清野氏はどんなWHY、つまり考え方を共有しているのだろうか。清野氏は2つの例をあげた。
「まずは『嘘をつかない』こと。なぜなら、多くの人が、嘘をつき信頼を失うからです。嘘をつかないためには、嘘が必要な状況に陥らないよう、努力が必要になる。その努力こそが信頼を積み上げていくのです」
清野氏のこの考えは、アメリカでの経験に基づいている。当時、日本からやってきて、ネイティブスピーカーのようには英語を使いこなせなかった清野氏は、クライアントから信用を得るために、愚直に努力した。自分で言ったことは必ず実行させる。つまり、自分の言ったことを嘘にしないということだ。それにこだわり続けた結果、ヒルトンホテルやマリオネットホテルなど、世界的なハイクラスホテルから信用を得てきたという。
「もうひとつは、困難に直面してしまったら『困っていることが深刻な順に解決していく』ことです。誰が一番困っているかをいち早く想像し、その人のために今何をすべきかを考えていち早く実行する。その根本には、過去に様々なピンチや困難の経験があります。また、自分の性格も影響しているかもしれません。困った人を助けたい、自分が助けるんだ、という気持ちがいつもあります」
「嘘をつかない」「困っている深刻度が重大なことから対処する」というような行動指針を、清野氏は武術の型のようなものだと説明した。どんな場合おいても、型の組み合わせと応用で対処できるそうだ。これらをスタッフにインストールすることで、清野氏が下すであろう適切な判断をスタッフの誰もが下せるようにしている。
ミッションを実現し、役割を全うするのがプロフェッショナル
清野氏は、自分が培ってきたビジネスの型をスタッフに教え、それを実践させることでビジネスを成長させてきた。ただ、これはあくまで表層的なノウハウやスキルにすぎない。
清野氏のより根本にあるビジネスと向き合うマインドはどこにあるのか。インタビューを進めるうちに、「役割を忠実に果たす」ことこそが、プロフェッショナルであるという清野氏の考えに行き着いた。
「プロの仕事とは、ミッションを確実に遂行すること。ビジネススキルはそのための手段です。いくらスキルを身につけても、なにに使うか、つまり目的がなければ意味がない。これまでのビジネスで、私利私欲や、営業成績のための判断、自分を守るための嘘などに出会ってきました。それらに惑わされるのではなく、より上位概念で思考することが大切です。
経営者であれば自身の経営のミッション、サラリーマンであれば会社のミッションを実現することにフォーカスすべきです。例えば、スティーブ・ジョブズは非常に感情の起伏が激しい人であったと言われています。そのジョブスが後任に選んだのは、冷静沈着なティム・クックでした。彼はミッションに真摯に向き合う人物です。スティーブ・ジョブズが彼を選んだ理由がよく分かります」
スタッフが会社のミッションを実現するために、清野氏は自らのビジネスの型をスタッフに教えて、ビジネスを進めていく。それではスタッフのミッションの大本となる、清野氏にとってのミッションとはなんだろうか。
「私のミッションは、私たちの防災無線を社会に広げて、災害時に一人でも多くの命を救うことです。私はこれまで、自分のビジネススキルを訓練してきました。営業、データ分析、財務会計、英語、さらには訴訟対応もできた。たまたま前職で融資の担当をしていただけの私が、防災無線を未来につなげるために必要なスキルをことごとく持っていた。その上、私の故郷は福島県です。この防災無線事業をやりきる経験と実績と気持ちを合わせ持っているのは、恐らく私しかいない。自分にしかできないことに出会ってしまったとき、それはその人のミッションです。あとはやるだけ。私は、このミッションをやりきったら、いつ死んでもいいと思っています」
清野氏は、防災無線で災害被害を少なくすることに人生をかけて挑んでいる。天から与えられたと思えるような役割を忠実にこなすために、スタッフたちを指導し、見事に事業を立て直した。
現時点で、自分自身のミッションに出会えていない人も多いだろう。しかし、いつどこでそんな運命的なメッセージに出会うか分からない。いつか出会ったときのために、ビジネススキルを磨き続けることは、人生を濃く生きるための第一歩ではないだろうか。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 清野 英俊(せいの・ひでとし)
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昭和29年 福島県生まれ。
東北大学経済大学を卒業後、三井信託銀行株式会社(現三井住友信託銀行株式会社)に入行。外資系ファンドをを経て、平成24年より現職。