難題といわれた「災害廃材」と向き合う姿勢に学ぶ、共に立ち向かう仲間の作り方

難題といわれた「災害廃材」と向き合う姿勢に学ぶ、共に立ち向かう仲間の作り方
文:葛原信太郎 写真:須古恵

産業廃棄物処理、循環型農業、災害廃材を使った家具ブランド。誰かが「捨てた」あらゆるものを活用する野原健史さんに聞く循環型経済への足がかり

大量生産・大量廃棄を前提にした経済から、サーキュラーエコノミー(循環型経済)へ。多くの人がその必然性に納得する一方で、課題の壮大さに自分一人に何ができるのかと無力感を覚える人も少なくないだろう。

では、循環型経済への足がかりはどこにあるのか。産業廃棄物処理、循環型農業や災害廃材を使った家具ブランドの立ち上げなど、循環型経済に関わり続けている野原健史(のはら・けんじ)さんに話を聞き、そのヒントを探った。後編では、家具ブランドを立ち上げるに至ったストーリーと、一緒に課題に立ち向かう仲間をつくっていくために大切にしていることを伺った。

前編:産廃処理からオーガニック農家へ。かつてのスケボー少年が循環型社会を志す理由

ルールは絶対じゃない

── 循環型農業で試行錯誤している最中に起きた2016年の熊本地震。野原さん自身の被害も大きかったのでしょうか。

それなりの被害でしたよ。家族に怪我はなかったけど、住む家は半壊してしまい、しばらくは畑の倉庫に寝泊まりしていました。何よりもピンチだったのではスイカの売り先がなくなってしまったこと。とても甘く大きく育つうちのスイカは、手間暇がかかる分、価格も比較的高く、主に贈答用として地域の皆さんに買ってもらっていました。しかし、地域全体が被災地になり、贈答用のスイカなんて買っている余裕がない。スイカはどんどん育つのに…。

そんな俺たちをサポートをしてくれたのは、キャンドル作家のCANDLE JUNEくんでした。東日本大震災の被災地を始め、全国の災害被災地を回って支援活動をしているJUNEくんは、熊本地震でもすぐに、支援物資で満杯になったトラックで熊本に助けに来てくれた。配り終えたらトラックは空になるから、そこにスイカを詰めて東京で売ってくれるというんです。

とあるイベントに居合わせて知り合いではあったのですが、ちゃんと話したのはこのときが初めて。なんでこんなに親切にしてくれるんだと尋ねたら「こんなに元気の良い被災者に会ったのは初めて(笑)。熊本は野原さんががんばれば大丈夫。だから、野原さんが思いっきりがんばれるように、誰よりも先に助けます」と。

そう言われて「そうか、俺ががんばんなきゃ」と、ずいぶんと心を支えてもらいました。生まれて初めて「ボランティア」をしてみた。自分だけじゃなくて熊本にいる昔からの仲間に「なんでもいいからできることをやろうぜ」って声をかけた。みんな、長いことここに住んでいるから、街のことをよく知っているんです。どこからともなく、どこどこのお年寄りが困っているという情報が入れば、困っていることないかと顔を見せに行く。みんなで不良だった頃の罪滅ぼしですよ(笑)。

熊本で起こった地震や水害をきっかけに災害ゴミと向き合ったと語る野原健史さん

── かつての不良たちが活躍したんですね。

不良ってルールを守らないでしょ?(笑)。日常においては機能するルールも、緊急事態に誰かを助けるためには邪魔になるときがある。そういうときに不良は「目の前で人が困っているに、ルールを守っている場合か!人を助けるためのルールじゃないのか」と堂々と主張できるんですよ。そのまっすぐな主張が、街の人や行政を動かし、誰かを助けられた場面がたくさんありました。

CANDLE JUNEくんをきっかけに、多くのミュージシャンたちと交流が生まれました。フェスの一番でかいステージで大トリを務めるような日本を代表するミュージシャンたちが、地震のときも、2020年の熊本県人吉市の水害のときも、人知れず大きなサポートをしてくれました。彼らには本当に感謝しています。

地震と水害。こうした大きな2つの自然災害を体験したことで、新しい仲間に出会えたと同時に、大量の「災害ゴミ」と向き合うことになった。地震でも水害でも、うちの産廃処分場で受け入れたので、どんなものが災害ゴミとされるかはよくわかっていました。それらの中には百年を超えて家を支えてきた立派な柱や梁もあったんです。簡単にゴミとは切り捨てることのできないこれらを循環させたいと強く思ったけれど、実際にやるのはなかなか大変でした。

ルールを変えるスイッチはどこにある?

── 災害ゴミの「循環」にはどのような大変さがあったのでしょうか。

一般的な産業廃棄物は自治体で管理していますが、災害ゴミは環境省に厳密に管理されていて、簡単には循環させられない。でも、ただ埋めてしまうにはあまりにももったない価値があるものがある。そこで災害ゴミを循環させるために、自分なりに動いてみました。

産廃の仕事をしていたから、あらゆる「ゴミ」が、どこの管轄でどうやって処分されるか知っているし、誰に・どんなタイミングで交渉したらいいのかもなんとなくわかります。それに、思いを誰かに伝えると「それならこの人を紹介できるよ」って人が現れて、会いに行って思いを伝えて、また別の人とつながって…。そんな形で生まれる人の輪は、ミュージシャンや地元住民にとどまらず、自治体のトップや環境省の偉い人まで広がっていきました。最後は決済権のある人に「ルールがあるのは承知している。でも俺らの代でやってみませんか?時代を変えていきませんか?」って熱意を伝えたら、ついにルールが変わった。災害ゴミを活用できることになったんです。

災害廃材の中からピックアップした木材
災害廃材の中からピックアップした木材。全国から集まるボランティアと共に、一つ一つ釘を取り除き、製材する。途方も無い労力をかけて家具を作る木材となる

同時に、被災地のボランティアをしていたらとある家具会社の若手と知り合うことができた。年数の経った柱や梁は、木材としての価値は高いものの堅すぎて建築材料として再利用するのが難しいそうなんです。でも、家具ならいけるんじゃないか、と。しかも、彼は福岡県大川市っていう日本でも一番の家具の産地で家具屋をやっていたんです。昔から家具業を営んでいるから、自社工場でいろんな家具を作れるし、独自の流通網があって配送コストもクリアできる。災害廃材を循環させるための土台があるんじゃないかとピンときました。

気候変動により引き起こされ増えてしまった自然災害が生んだ災害ゴミから、日常で使う家具をつくる。自然と人が共生していくために何が必要か、そんなメッセージを込めた家具がつくりたいと思い、家具ブランド「mash room」を立ち上げることになりました。

ひとまず今は仲間に特注でベンチだったりラックだったりをつくるところからはじめていますが、実は災害廃材でスケートパークをつくる計画もあるんです。俺はスケートボードを通じてたくさんの仲間ができた。同世代の仲間も多いけど、先輩にも後輩にも恵まれました。とくに先輩にはたくさん助けてもらった。俺ももういい歳だから、自分が前に出たり上に立つのはやめて、後輩にバトンを渡していきたいと思っています。若い子たちには「とにかく自由に、やるだけやってみて」って言っています。困ったら助けるっていう自分の覚悟も同時に。

mash roomを立ち上げた寿家具 代表取締役専務の辻和仁さん、園田産業 代表取締役社長の園田康介さん、野原健史さん
mash roomを立ち上げた3人。左から 寿家具 代表取締役専務の辻和仁さん、園田産業 代表取締役社長の園田康介さん

飾らない自分で居続ける

── 野原さんのお話を聞いていると、良い人との出会いがたくさんありますね。

俺は熊本県スケートボード協会の理事もやっているんです。パークの計画を進めるにあたって市役所に挨拶にいったら、地震のときに「ルールを守る/守らない」でやりあった担当者が異動でこっちの担当になってて(笑)。野原さんっていつも誰かのことを考えてるんですねって言われて、あーあの時はどうも、って笑い合いました。

なんだか不思議ですが、人には恵まれてると思います。でもそれは自分と合わない人が自然と去っていくからかもしれない(笑)。相手が誰だろうと、態度を変えないようにしてるんです。「これが野原健史だ」と言わんばかりに、誰であっても素で接している。そうすると、相手も反りが合うかどうか、すぐわかるでしょう。合う人とはすぐに深い話ができるし、合わない人と腹を探り合う無駄な時間が省ける。そうやって仲良くなった仲間がたくさんいます。

そんな仲間の一人に坂本龍一さんがいます。以前坂本さんと飲んだ日に、「野原くんの“未来”ってどんなイメージ?」って聞かれたんです。俺が「このまま行けば、たくさんの森が失われて、災害が増えて、空には鳥の代わりにドローンが飛んでいて…」なんて言ったら「このまま行けばそうかもしれないけど、未来はいくらでも変えれるんだよ。野原くんとその仲間が良い未来を想像して行動すれば、絶対変わる。未来は、今から変わっていくんだよ」って言われて。今でもすごく心に残ってるんです。

未来は自分たちで変えていける。自分がおもしろいと思えることを一生懸命やっていると、自然とおもしろい仲間が集ってくる。それを続けると、おもしろい未来もやってくると思うんです。坂本さんにもらったこの言葉は、これからもずっと大切にしていきますよ。

(編注:取材は2023年3月に実施しました)

「のはら農研塾」主宰の野原健史さん

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

野原健史(のはら・けんじ)

1971年生まれ。熊本で循環型オーガニック農業を実践する「のはら農研塾」を主宰。ゴミの最終処分場を営む家に生まれたからこそ挑戦できる農法は、人が捨てたものを循環させ、産業として上手に回る仕組みとして、業界内外から注目を集める。2021年には災害廃材でつくる家具ブランド「MASH ROOM」も立ち上げ、更に「循環」に力を注ぐ。

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