コロナ禍で活動を制限された26歳の冒険家。それでも再び北極圏に挑む理由

コロナ禍で活動を制限された26歳の冒険家。それでも再び北極圏に挑む理由
文:森田 大理 写真:其田 有輝也

22歳で北極圏600kmを踏破するも、翌年はパンデミックの影響で冒険を断念。先の見通しが立たない時期が続いても夢を諦めなかった若き冒険家 大和田篤さんにとって、コロナ禍はどのような機会だったのか

かつての米国同時多発テロ事件(2001年)やリーマンショック(2008年)、東日本大震災(2011年)がそうであったように。社会の空気を一変させるような出来事は、当時の若者の価値観形成や進路選択に大きな影響を与えてきた。それならば、コロナ禍は2020年代の若者の価値観に少なからず影響があったはずだ。多感な時期に大きな社会変化を経験した彼らは、どのような人生の選択をはじめているのだろうか。

現在26歳の大和田篤さんは、22歳のときに北極冒険家の荻田泰永さんが主催する「北極圏ウォーク2019」に参加。アウトドアとは全く無縁の生活から一転して冒険家の道を歩みはじめた矢先に、新型コロナウイルスによる影響で長く活動を制限されてきた。社会を見渡せば、コロナ禍で先が見えないことを理由に目標を断念したり、別の道へ進んだりすることも珍しくはない。しかし大和田さんは、それでも諦めずに冒険の準備を進めている。自分が決めた道を突き進む若き冒険家にとって、コロナ禍はどのような機会だったのだろうか。在学中の滋賀大学大津キャンパスで話を聞いた。

何者でもない自分を変えたくて、大学を辞めて北極圏ウォークに参加

── 大和田さんはどうして冒険家を志したのですか。

小さいころは宇宙飛行士に憧れていて、冒険好きの気持ちはもともとあったのだと思います。人が行ったことがない、見たことがない景色を見てみたい。航空機のパイロットに憧れて自衛隊の試験を受けたこともありました。でも、視力が悪くてそれは叶わなかった。それで親のすすめもあって大学に進学したものの、当時の自分には大学で学ぶ明確な動機がなく、なんとなく選んだ法学部にも興味が持てず、授業にはほとんど出ていませんでした。

そうした毎日を過ごしていると、“まだ何者でもない自分”を突きつけられてますます嫌になる。少しでも誰かに認められようと、手段は何でもいいからとインターネットで広告収入を稼ごうと頑張った時期もあるんですが、それも上手くいかなくて。そんな時期にテレビで北極冒険家の荻田泰永さんの存在を知り、興味を持って講演会に足を運んだんです。

── そこで荻田さんが若者たちと一緒に冒険する、北極圏冒険ウォークの計画を知ったのですね。でも、いくらベテランの冒険家が同行するとはいえ、いきなり北極圏に行こうと思えたのはなぜですか。

実は僕、もともとウォーキングが趣味で40km~60kmくらいを歩いた経験があるんです。北極圏ウォークのコースは平地だったので、寒冷地の装備さえあれば自分にもできるだろう、「ただ歩くだけじゃん」ってそのときは軽く考えていました。

── 「経験がない」「リスクを伴う」など、“できない理由”を挙げればいくらでもあるのに、大和田さんは“できる理由”にフォーカスしてチャレンジしているところが面白いですね。

自分を変えるために、どうしても行きたかったんです。学校にも行かずにだらだらと大学生を続けている現状をなんとかしたかった。それで、北極圏に行くからと親を説得して大学も中退しました。

北極冒険家の荻田泰永さんと共に北極圏冒険ウォークに参加した時の様子

── 実際の北極圏ウォークはいかがでしたか。

29日間で600kmを踏破。準備やトレーニングも含めると現地で48日間過ごしました。でも、滞在中には冒険が楽しいとか、ここが自分の居場所だとかは一切思わなかったです。2日目には早くも耳が凍傷に。当たり前なんですけど、食事も飲み物も自分の好きな時に好きなだけとはいかないし、1週間しないうちに「早く日本に帰りたい」と思っていましたね。でも、途中で隊を離れて引き返す方がよっぽど危険なので、荻田さんたちと一緒に前に進むしかない。目標のポイントに到達しても感動するどころか「やった!あと○日で帰れる」と、そんなことばかり考えていました。

── そんな想いをしたのに、本格的に冒険家としての道を進む決意をしたのはなぜですか。

日本に帰ってくると、北極圏での体験が恋しくなってしまったんです。極地の環境は、日本の日常とはまるで違います。発泡スチロールの上を歩いているような雪の感触。大気中の不純物がないため息を吐いても白くならないこと。夜空を彩るオーロラ…。めちゃくちゃしんどい経験だったはずなのに、もう一度あの場所に行きたいと真剣に考えるようになりました。

まだベストも尽くしていないのに、諦めるわけにはいかない

── 2019年の北極圏ウォークから1年を経たずに、大和田さんは再度挑戦する準備を始めています。

北極圏ウォークはあくまでも荻田さんの力に頼って実現できたことなので、今度は自分の力で歩いてみたいと思ったんです。前回一緒に参加していた仲間と同じ想いで意気投合し、2020年の3月に3人でチャレンジする計画を立てました。

── それが新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が大混乱に陥った時期と重なってしまったのですね。

600kmのうち最初の200kmはカナダの国立公園を歩くことになるのですが、現地でその手続きをしている矢先に国立公園が閉鎖になってしまったんです。ルートを変更するという選択肢もありはしました。でも、現地のみなさんも未知のウイルスへの不安が募っている中で、これ以上長居するのは良くないと判断。だから、2020年は現地でトレーニングをして帰ってきただけなんです。

── その後、世界を自由に行き来することができない時期が長く続きました。社会全体でも、先が見えないことから転職や廃業をする人も少なくありませんでした。大和田さんは冒険の夢を諦めようとは思わなかったのですか。

すぐにまた北極圏に行けると思っていたので、さすがに長かったなとは思いますよ。ただ、それでも冒険への想いが揺らがなかったのは、まだベストを尽くしていないからですね。自力では出発すらしていないのに諦めるなんて、僕にはどうしてもできない。2020年に断念したときも、絶対戻ってくるぞと誓って帰ってきました。

「冒険への想いが揺らがなかったのは、まだベストを尽くしていないから」と語る大和田篤さん

── この3年はどのような活動をしていたのでしょうか。

働いて資金を貯めながら、日本国内でできるトレーニングを続けていました。どうせなら他の冒険家が持っていない力をつけたいと思って、登山のトレーニングをしていた時期もありますよ。極地を歩くスキルと、高い山に登るスキルを組み合わせたら、唯一無二になれるかなと思ってはじめたんです。

ただ、このふたつは同時にできないこともやってみて分かりました。極地の冒険は寒さから身を守るために体重を増やしていくのですが、登山は酸素が薄くなる中での活動なので、筋肉をつけすぎると酸素消費が増して不利になります。だから先輩たちはやらないんだって、身をもって知りましたね。でも登山を経験したことで、どちらにも挑戦したいという想いも芽生えてきて。今は極地冒険のためのトレーニングに集中していますが、次は山を攻めたいなという新たな目標もできました。

── 大和田さんが自分の好奇心に従って飛び込んでいく姿は、リクルートが掲げる「Follow Your Heart」を体現しているようにも感じました。そのエネルギーはどこから湧いてくるのですか。

昔から、一度はまったものにはとことん熱中するタイプなんです。興味のあるものは徹底的に調べるし、なんでもやってみないと分からないじゃないですか。それに僕の場合は、一度北極圏を歩いていることが大きいですね。自分だけの力ではなかったけれど、それでも「一度やってみた」経験がある。実際に五感で北極を感じたからこそ、好きだと言い切れる気がします。

もし宇宙を冒険できるなら、片道切符でも良いから行ってみたい

── 現在の大和田さんは2026年の北極圏冒険を目指した準備をしながら、滋賀大学にも在学中です。一度は別の大学を中退したのに、改めて大学に進んだのはなぜですか。

冒険を通して、大学で学びたいことが明確になったからです。自分の経験を社会に還元するとしたら、次の世代に伝えることで一人でも多くの子どもたちが自信を持てるようになってほしい。将来的に教師を目指したいという気持ちも生まれ、教育学部で学んでいます。

── 振り返ってみると、昔の大和田さんが悩んでいたものはなんだと思いますか。

それこそ今の子どもたちにも多いと思いますよ。自分に自信がなかったんです。少年時代の僕は、一番になれることが何もなく、“平凡な自分”に劣等感がありました。だから、最初に北極圏ウォークに志願したときは、好奇心だけでなく「他人に認められたい」という気持ちも強かった。でも、冒険をしてみたことで、他人の評価よりも自分の好きなことに思い切り打ち込むことに目覚めたんです。そもそも極地での冒険なんて、まず反対されますからね。でも、信念があれば周りに何を言われようが関係ない。ワクワクすることに出会えていたから、コロナ禍でも心が折れなかったんだと思っています。

2026年の北極圏冒険を目指す大和田篤さん

── それほどの気持ちにさせる北極には、何があるのですか。

何もないんです(笑)。何かを求めて行くわけでなく、シンプルに目標を達成したいという気持ちですね。極地に行ってみたいという好奇心が、自分を動かしている感覚。南極大陸にも行ってみたいですし、登山なら七大陸最高峰も制覇したいです。人が普通には行けないという意味では、深海にも興味ありますよ。

── 純粋な好奇心に突き動かされている大和田さんの生き方は、幼いころに憧れたという宇宙飛行士の夢をそのまま持ち込んだようでもありますね。

たしかにそうですね。極地に憧れているのは、同じ地球なのに違う惑星にいるみたいでどこか宇宙的なところも理由なんです。いつか、チャンスがあるなら宇宙にも行ってみたい。たとえ地球に帰ってこられなくても良い、片道切符でも良いから挑戦してみたい夢のひとつ。それくらいの好奇心と覚悟を持って、これからも挑戦を続けたいです。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

大和田 篤(おおわだ・あつし)

1996年生まれ、千葉県市川市出身。人生に思い悩んでいる時期に北極冒険家 荻田泰永氏と出会い、同氏が企画した「北極圏を目指す冒険ウォーク2019」に22歳で参加。北極圏600kmを踏破する。翌年、自力での北極圏踏破を目指すも、新型コロナウイルスの感染拡大により途中帰国。現在は、2026年の再挑戦に向けて準備中。

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