仕方なく日本へ帰ったことがチャンスに。アメリカで食品化学を研究する大学生にコロナ禍がもたらしたこと
培養肉の研究を通して、食と健康の問題を解決したい。米国ペンシルベニア大学4年生 筧 路加さんにとって、パンデミックはどのような機会だったのか
かつての米国同時多発テロ事件(2001年)やリーマンショック(2008年)、東日本大震災(2011年)がそうであったように。社会の空気を一変させるような出来事は、当時の若者の価値観形成や進路選択に大きな影響を与えてきた。それならば、コロナ禍は2020年代の若者の価値観に少なからず影響があったはずだ。多感な時期に大きな社会変化を経験した彼らは、どのような人生の選択をはじめているのだろうか。
今回話を聞いたのは、米国ペンシルベニア大学で化学を専攻する筧 路加(かけひ・ろか)さん。筧さんは高校の途中からコスタリカに留学し、2019年にペンシルベニア大学に進学しているが、その半年後には新型コロナウイルスによるパンデミックが発生。通常の大学生活が送れなくなり、日本に一時帰国していた時期がある。予期せず大学を離れた経験は、その後の道のりにどのような影響を与えたのだろうか。大学のあるペンシルベニア州フィラデルフィア在住の筧さんに、オンラインでインタビューをおこなった。
「せっかくなら」と、高校2年でコスタリカへ留学
──筧さんは小さなころから化学に興味があったのですか。
そうですね。小学生の頃は科学技術館や博物館に行くのが好きで、燃焼実験や薬品の色が変わっていく様子を見ると「魔法みたいでカッコいい!」と思っていました。
──食品というテーマにはいつ頃出会ったのでしょうか。
正確には覚えていないのですが、記憶に残っている一番古い出来事は、中学3年の自由研究課題で、料理を化学の側面からアプローチしたことです。日常の行為である料理を、化学という異なる切り口で観察してみることが面白かったんです。
──一方で、留学を志したのはなぜですか。
留学の原点は、小学生のときにアメリカの大学をまわるツアーに参加したことです。当時は英語をあまり理解できていませんでしたが、その体験を通して海外の大学で過ごすことに漠然とした憧れを抱き、大学進学のタイミングで留学することを早い段階から夢見ていました。
それが、中学・高校と進むうちに、「大学まで待たずにもう少し早い段階で海外に行ってもいいのかな」と思うように。そこで、高校生でも行ける留学プログラムを探したところ出会ったのが、世界各国から選抜された高校生を受け入れる学校「United World College(UWC)」です。私は高校2年の夏に日本の学校を中退し、UWCのコスタリカ校で2年間を過ごしました。
──高校生の場合、交換留学など日本での復学を前提とした留学はよく聞きますが、学校を辞めて海外の学校に移る決断をしているのに驚きました。
色々な分野を学びたかったのも理由のひとつです。私は化学も好きだったけれど、国語も英語も好きで国際支援にも興味があった。日本の普通科の高校生は、一般的に高校1年時に文理選択をしますが、私は16歳の時点ではどちらかに決められませんでした。文系・理系のセグメントに縛られることなく自由に学びたい私には、海外の学校の方が合っているのではないかと考えました。
──筧さんの夢がアメリカの大学にあったのならば、高校もアメリカや他の英語圏へ行くのが順当な気もしますが、なぜコスタリカだったのでしょうか。
せっかくなら日本ともアメリカとも違う環境に行こうと思ったんです。それで日本から一番離れているコスタリカ校に興味を持ちました。また、コスタリカはスペイン語が公用語で、学校もスペイン語と英語のバイリンガル校だったことも留学先として選んだポイントのひとつです。英語は大学でアメリカへ行けば必然的に向き合うものだし、それなら高校は英語以外を学ぶ機会にしようと思いました。
──コスタリカの高校生活で、筧さんはどんな学びを得たのでしょうか。
いろんな国からやってきた、多様な人種・価値観の人たちと一緒に生活できたことが非常に刺激的でした。日本にいる頃から「グローバル」や「ダイバーシティ」といったテーマに関心はありましたが、実際にその環境に入ったのは初めての経験。はじめのうちは相手との価値観の違いに驚きつつも、結局のところは属性やバックグラウンドに関係なくその人個人を見ることが大事なんだと学びましたね。
また、文理に縛られず広くいろんな授業を履修したことで、その中でもやっぱり私は化学が好きなんだと認識できたことも非常に良い経験でした。だからこそ、大学でも化学を専攻する決意を固められたんです。
日本に一時帰国したからこそ、大学では挑戦しづらい研究に踏み込めた
──ペンシルベニア大学に進学したのはどのような理由からなのでしょうか。
食品化学を専攻できる大学は、アメリカといえども多くはありません。その中でペンシルベニアの場合、化学を専攻しつつも、世界トップクラスの看護学部で栄養学を学ぶことができます。化学×栄養学という掛け合わせで化学を軸にしながら食に関われると考え、この大学を選びました。
──2019年秋に入学し、その半年後には新型コロナウイルスによるパンデミックが起こりました。筧さんはどう過ごしていたのでしょうか。
はじめのうちは様子を見ていたのですが、事態が急変したのは2020年の春休みのこと。遊びに出かけていたボストンからの帰りに大学からメールが届きました。「感染拡大防止のために学生寮を閉鎖するので、全員1週間以内に荷物をまとめて出るように」とのこと。アメリカ人の友人たちは実家に戻ったのですが、私はアメリカ国内に身を寄せる先がなく、仕方なく急いでチケットを取って日本へ帰ることにしました。日本は緊急事態宣言の発令前。ぎりぎり滑り込みで帰国した感覚ですね。
その後、春休み明けはオンラインで授業する旨が通知され、私は日本から大学の講義を受けていました。半年くらいは覚悟していたものの、2年生になってもオンライン授業は続行。このときは、さすがに途方に暮れましたね。時差のせいで、大抵の授業が日本時間の深夜になってしまうのも辛かったですし、オンラインの動画と音声だけで授業の内容を理解するのは、非ネイティブの留学生にはハードルが高い。コロナでしょうがないとはいえ、帰るつもりがなかった日本で歯痒い思いをしました。
──たしかに、物理的な距離は越えられても時差はどうにもならないし、対面よりコミュニケーションしづらい側面はどうしてもありますよね。海外のオンライン授業を日本で受けることの限界を感じた、と。
そうですね。でも、くよくよしていても仕方がないので、せっかく日本にいるならここで自分の興味のある研究をしてみようとも思ったんです。私はアメリカでとある記事を読んで以来、食品化学の中でも培養肉に興味を持っていたのですが、自分の大学では行われていない分野でした。今なら大学での学びに縛られず自由に探究できるチャンス。日本で培養肉を研究している機関を調べて直談判のメールを送ったところ、東京女子医科大学 先端生命医科学研究所のご厚意で研究できることになりました。
──その後、筧さんは2021年から22年にかけて1年休学する決断をしています。
その前の1年間は、アメリカのオンライン授業と日本での研究を並行していたんですが、並行させるのは思っていたより大変で…。それなら、今は日本での研究に集中しよう。結果を出してからアメリカに戻ろうと考えました。
私の研究は、培養するウシの筋細胞の凍結保存に関するもの。凍結・解凍することができれば、培養肉の生産拡大や生産コストの低減に大きく貢献できますが、そのためには凍結・解凍によって細胞にどのような影響が出るのかを明らかにする必要がありました。実験を繰り返し、大きな影響はないという研究結果を発表。まだまだ始まったばかりの新しい食品技術分野で論文を発表できたのは、私の中でひとつの自信になりました。
世界中の誰もが健康的な食料にアクセスできる社会を目指して
──期せずして帰国した日本で研究の機会を掴んだことは、その後大学に戻られた筧さんにどう影響していますか。
培養肉の研究を経たことで、食品化学のなかでも自分の追究したいテーマが定まってきました。ひとつは、これからも培養肉を含む新しい食品技術に携わっていきたいこと。ただ、その技術を使って生まれた食品を実際に人々に食べてもらうまでには、安全性の証明や安全基準の策定が欠かせないことも実感しました。例えば、新しい技術で人々が安価に安定的に食料を手に入れられたとしても、それによって栄養バランスが偏り、生活習慣病を誘発するような別の問題が生じてはいけない。私はそうした問題をクリアにするための研究をしていきたいと思うようになりました。
そんな今の自分の興味に一番近いのが公衆衛生学。この夏はハーバード大学の公衆衛生スクールにインターンとして参加しました。今は来年の大学院進学を視野に入れているところですが、公衆衛生学の一つである「栄養疫学」を専攻したいと考えています。
──まだまだ研究の道のりは続くと思いますが、筧さんは研究を通して、何を実現したいのでしょうか。
新しい食品技術が安全に人々に利用される状態を実現し、食にまつわる様々な問題を解決したいです。例えば、私が高校時代を過ごしたコスタリカでは、豊かな食文化がある一方で肥満の問題も深刻。化学技術によってその文化を守りながら健康的な食事を成立させることで、文化と健康の両面から人々を豊かにしたいです。
また、培養肉をはじめとした新しい食品技術は、発展途上の段階。例えば植物由来の代用肉は確かにメリットもありますが、塩分が高いなどのデメリットも指摘されており、本当に私たちの健康に役立つかは引き続き検証が必要です。私は栄養疫学の観点から新しい食品技術に携わり、人々が正しく活用できるようにコントロールしていく役割を担っていきたいです。
──改めて振り返ってみると、コロナ禍の数年は筧さんのこれからのキャリアにどう繋がっていると思いますか。
ひとつは、自分の興味を見つめ直す良い機会になったこと。コロナ禍の前はアメリカの大学の授業に追いつくので精一杯で、もしあのまま大学生活が続いていたら、何のために学ぶのかを見失っていたかもしれません。望んで帰国したわけではなかったけれど、一度立ち止まってみたことで、本当にやりたいことが何か考えるきっかけになったと思います。
あとは、「自分の思い通りにいかないこともある」というマインドを持てたことも大きいですね。人生には努力だけでは何ともならないことがあるけれど、大事なのはそこで何をしてどう機会を掴むのか。困難に直面しても柔軟に方向転換しながら乗り越えていくレジリエンスが鍛えられた気がします。
──困難を前向きに捉え直したから、結果的に自分の望む機会がやってきたということですね。
私がそう捉えられるのは、幸いにも自分が罹患することなく、身内にも大ごとになった人がいないからなので、コロナ禍の困難をどう受け止めるかに正解はないと思います。その上で、私は転んでもそれをチャンスにしようと思った。だから、日本に帰ってきて良かったと思えることを何かしようと、研究室探しに動いた。そうやって自分で掴んだ機会だからこそ、コロナ禍を肯定的に振り返ることができるのかもしれません。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 筧 路加(かけひ・ろか)
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2000年大阪府生まれ。高校2年まで日本の女子校で過ごしたのち、高2の夏に高校を中退しコスタリカのインターナショナルスクールに入学(United World College Costa Rica)。その後米国ペンシルベニア大学に進学し、化学(専攻)、栄養学(副専攻)を学ぶ。2022年は大学を1年休学し培養肉の研究を行い、論文を執筆。培養肉の研究を通して、世界の食の定義を変え、テクノロジーの観点から向上させることを目指す。