変化が激しい時代の必修科目?起業家的アプローチ「エフェクチュエーション」に学ぶ
優れた起業家たちが実践している意思決定の法則「エフェクチュエーション」。日本の研究者である神戸大学 吉田満梨准教授に、不確実性の高い社会で新たな価値を創造する秘訣を聞く
人口減少、気候変動、テクノロジーの進化などを背景に、社会の常識がめまぐるしく変わり続ける現代。「エフェクチュエーション」という理論が近年注目を集めている。優れた起業家が共通して実践している意思決定のパターンを体系化したというこの理論は、不確実性の高い社会を生きる私たちのヒントになるのではないだろうか。
そこで今回は、日本での研究をリードする神戸大学大学院経営学研究科 吉田満梨准教授へのインタビューを前後編でお届けする。前編では、エフェクチュエーションの基本とビジネスシーンでの実践法についてお話しいただいた。
「起業家的アプローチ」は、起業家だけのものではない
― まず、エフェクチュエーションとはどんな理論なのかを教えてください。
一言で表すならば、「熟達した起業家から発見された、“予測”ではなく“コントロール”によって不確実性に対処する思考様式」のことです。従来の経営学においては、様々な角度から情報を収集・分析することで不確実性を徹底的に削減する=未来を確度高く予測することこそ、合理性の高いアプローチだと考えられてきました。しかし、まだ世の中に存在しない事業やサービスを新しく創ろうとしている起業家たちは、不確実性が非常に高い状態で意思決定をしています。なぜ彼らはそうした環境で決断をすることができるのでしょうか。
エフェクチュエーションの提唱者である米国のサラス・サラスバシー教授は、そうした起業家を対象にした実験で、彼らの意思決定に共通項があることを見出しました。彼らは未来を予測することよりも、「今の自分たちがコントロール可能な要素」にフォーカスして働きかけることで望ましい結果を得ており、そうした思考パターンを体系化したものがエフェクチュエーションなのです。
― 今、世の中でエフェクチュエーションが注目されはじめていることを、吉田先生はどう感じていますか。
やはり、社会全体で不確実性が高まっていることが大きな要因だと感じます。コロナ禍や生成AIの登場など、社会の常識が一変するような大きな変化が次々に起きている。従来の予測合理的アプローチでは対処しきれない問題に多くの人が直面しているからこそ、関心が集まっているのだと思いますね。
また、エフェクチュエーションは何も起業家だけが身につけるべき特別な力ではなく、いろんな人に活用してほしい考え方です。それは中世から近代における人々の常識の変化にも匹敵するかもしれません。かつて中世の時代に天気を予測できる人や、新しい物質を創り出すことができる人は、魔術師や錬金術師と呼ばれ、特別な能力を持つと言われていました。しかし、科学的アプローチが体系化され社会で共有されることで、かつて魔術や錬金術と呼ばれていたことは誰もが実践可能なものとして広まり、医学など様々な分野が飛躍的に進歩した歴史がありますよね。エフェクチュエーションもこんな風に広まってほしい。
今の人々が科学者でなくても科学的アプローチを社会常識として学び、日常的に活用しているように、スティーブ・ジョブズのような起業家的アプローチを色んな役割の人が身につけたら、従来の方法論では解決が難しい現代社会の様々な問題を解消する糸口になると思います。
目的からの逆算ではなく、手持ちの手段を起点にアイデアを生み出す
― エフェクチュエーションの「コントロールによって不確実性に対処する」とは、どのような思考や行動を指すのでしょうか。
これまでの経営学が重視してきたコーゼーション(因果論)と対比しながらご説明していきましょう。コーゼーションは、目的に対して最適な手段を追求するという様式。ビジネスになぞらえるなら、「特定の明確な市場で目標とする売上・利益を達成するためにはどんな手段が有効か…」と考えていくのがコーゼーションです。
これに対して、エフェクチュエーションは、今の手元にある資源や手段を活用してどんな効果(effect)を得るかという思考のプロセス。優秀な起業家が生み出した事業や製品は、始めから狙った通りに生まれたものばかりではなく、構想段階とはまったく異なる内容に変化していったものや、偶然の産物から大ヒットしたものも多く存在します。それらはゴールから逆算する発想では生まれづらく、いわば、手段を起点に発展していったものだと言えるでしょう。
― なるほど。しかし、エフェクチュエーションを実践するのはキャリアを積んだ社会人ほど難しいのではないかと感じました。現代のビジネスパーソンの多くは、あらゆるシーンで上司やステークホルダーから目的を問われ、KPIやKGIの達成をミッションとして課されていますよね。明確な目的がないまま手段から考えるというのも、いわゆる「手段の目的化」を招きそうであまり好まれない印象があります。
たしかに、組織で高い実績を上げてきた人ほどそう感じるかもしれません。ですが、エフェクチュエーションはコーゼーション的発想を捨て去って身につけるものではなく、場面によって使い分けるものです。事業を1から10や100へ伸ばしていくフェーズであれば、コーゼーション的発想が有効。しかし、新しいマーケットをゼロからつくるようなフェーズでは、コーゼーション的発想がチャレンジを阻んでしまいます。
例えば、今では大きな市場になっている缶(ペットボトル)入りの緑茶飲料。最初に缶入り緑茶が発売された1985年は、急須でお茶をいれるのが当たり前で、職場でも事務の女性が各自の湯呑みにお茶を入れて配っているのが日常の風景でした。このとき、もしコーゼーション的発想だけで商品を開発していたら、「わざわざ缶入りのお茶を100円で買う人なんてどこにいるの?」「どうせ売れないからやめるべき」という結論になっていたでしょう。経営層からエビデンスを求められても、そもそもマーケットがまだないのだから根拠の出しようがなかったはずです。
このように、新しいチャレンジが必要なフェーズではマーケットやニーズありきで考えるのではなく、「どうなるかは分からないけれど、まずやってみる」という思考が大切。「目の前で困っている人のために、ちょっと動いてみる」「今の自分にできる範囲(手持ちの手段)でやってみる」というくらいのアクションからはじめて、やりながら取り組みを発展させていくのがエフェクチュエーション的発想です。
エフェクチュエーションに欠かせない、5つの原則
― エフェクチュエーションはどうしたら実践できるのでしょうか。
エフェクチュエーションの思考プロセスには、優秀な起業家が意思決定のポイントにしている5つの原則があることが分かっています。ひとつめは、「手中の鳥(bird in hand)の原則」。先ほどからお伝えしているように、目的から考えるのではなく自分たちがすでに持っている「手持ちの手段(資源)」を活用して、何ができるかを発想することです。ちなみにここでいう手持ちの手段とは、ビジネス上の特別なスキルや経営資源といったものだけを指すのではありません。「自分は何者か」「何ができるか」「何を知っているか」といった、もっと小さな、いわば自分らしさを起点に発想することが「手中の鳥」です。
― なるほど。自分の個性を起点にするという発想は、リクルートが大切にしている価値観「個の尊重」と似ていますね。他にはどんな原則があるのでしょうか。
ふたつめは、「許容可能な損失(affordable loss)の原則」です。一般的に起業家は成功するために大きなリスクを取っているような印象を持たれがちですが、実際の熟達した起業家は期待されるリターンの大きさではなく、上手くいかなかったときに起きうる損失が許容範囲ならばやってみるという考え方だったんです。彼らが挑戦しているのは、そもそも上手くいくかどうかも分からない不確実なもの。失敗することを前提に、致命傷を負わない程度の失敗は許容しながら、小さな一歩を積み重ねるやり方を選んでいました。
3つめは、「クレイジーキルト(crazy quilt)の原則」。これは、組める人とはとにかく交渉してパートナーシップを構築しようとする思考様式です。近年、社会では「オープンイノベーション」などのキーワードで組織の垣根をこえた連携が活発になってきていますが、「クレイジーキルト」はある目的を達成するために協力先を探すのではなく、目的や対象顧客、競合が見えていなくても、自分の仲間になってくれそうな人を増やそうとする考え方。協力者が増えれば、自分のできること=「手中の鳥」が増えますし、「許容可能な損失」の範囲も広がっていくはずです。こうしたサイクルを回し続けて取り組みを発展させるのが、起業家的な思考方法だと言えます。
4つめは「レモネード(lemonade)の原則」。これは失敗や思い通りに進まない経験を学習機会と捉え、新たに活用しようとする考え方です。未来予測が困難な環境では、一見ネガティブに思える結果や予想外の事態に直面することも往々にしてあります。しかし、起業家たちはそれすらも「手中の鳥」のひとつだと捉え、この経験を活かして次に何ができるかを考える傾向にありました。
最後は、「飛行機のパイロット(pilot in the plane)の原則」。優秀な起業家は事前の予測や分析があまり通用しない世界に身を置いているからこそ、これまでに述べた4つの原則を駆使しながら刻一刻と変化する状況を見極め、自分自身がコントロールできることに意識を集中させ、臨機応変な対応を取っているのです。
エフェクチュエーションは、組織のしがらみを突破することにも使える
― エフェクチュエーションの理論は、リクルートが「新しい価値の創造」をするために大切にしてきた考え方と共通点が多く、非常に共感します。その一方で、ビジネスパーソンの大多数を占める会社員は組織の常識やルールの中で活動しており、起業家のように柔軟な動きを取りづらい側面があります。この環境でエフェクチュエーションを活かすにはどうしたら良いでしょうか。
その疑問はもっともなことです。私の授業を受講している社会人学生からも近しい話をよく聞きますね。ある女性は、職場の課題解決のために今の自分に出来るアイデア(手中の鳥の原則)からやってみようとしたものの、「試しにやってみる」というアプローチがまず否定され、「ちゃんとルールに則って企画書をつくりなさい」「調査もせずに承認はできない」などと、はじめはまったく上手くいかなかったそうです。
でも、彼女はエフェクチュエーションを学んでいたので、この失敗を糧に次の作戦を考えようという発想になれた(レモネードの原則)。ダメだしをされても諦めずに繰り返し上司に提案していたら、そのうちに上司が彼女の思いに共感して仲間になってくれ、一人で考えるよりも大きな取り組みに発展できたそうなんです(クレイジーキルトの原則)。
また、エフェクチュエーションでは自分がコントロールできる要素に集中するため、もし上司が頑なだったら、別の提案先を探すという発想になるはず(飛行機のパイロットの原則)。組織のなかでアイデアを実現することがどうしても難しいのであれば、思い切って社外で活動するのも一つの方法ですし、お客様など社外の人を味方につけて会社に働きかけるという方法を取っても良いかもしれません。こうしたチャレンジを、本業に支障がない程度に小さくはじめてみる(許容可能な失敗の原則)ことで、組織の中で働く人でもエフェクチュエーションを実践することは十分に可能だと思います。
起業家にしろ会社員にしろ、結局のところはひとりの人が自らの行動を通じて世界に与えられる影響はごく一部にすぎず、この世界の大部分は自分でコントロールができません。でも、だからといって「自分にはできない」と諦めてしまうのか、それとも自らの影響が及ぶ身近な世界から変えてみようと思い立って行動するのかで、最終的な結果は大きく変わってしまうもの。後者の発想で小さな一歩を踏み出すことがエフェクチュエーション的であり、これからの社会では非常に重要になってくるのではないでしょうか。
(後編に続きます)
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 吉田 満梨(よしだ・まり)
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神戸大学大学院経営学研究科准教授。神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了(商学博士)、首都大学東京(現東京都立大学)都市教養学部経営学系助教、立命館大学経営学部准教授を経て、2021年より現職。2023年より、京都大学経営管理大学院「哲学的企業家研究寄附講座」客員准教授を兼任。専門はマーケティング論で、特に新市場の形成プロセスの分析に関心を持つ。主要著書に、『ビジネス三國志』(共著、プレジデント社)、『マーケティング・リフレーミング』(共著、有斐閣)など、共訳書に『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』(碩学舎)など。