「まだ誰もやっていないこと」だから価値がある。台湾発のPR会社・NINJINが、日台の架け橋になりたい理由

「まだ誰もやっていないこと」だから価値がある。台湾発のPR会社・NINJINが、日台の架け橋になりたい理由
文:石田 哲大 写真提供:NINJIN

台湾と日本の架け橋として、国を越えて芸術祭のPRなどを手がける「NINJIN」。共同創業者の寧ニンさん・凈ジンさんが日台の魅力を伝えようとする理由とは

「インバウンド」が再び盛り上がり、連日多くの観光客で賑わう日本。そのなかでも、何度も足を運ぶ“通”な訪日観光客に人気があるイベントのひとつが、全国各地で開催されるローカルな「芸術祭」だ。

こうした芸術祭の情報を、日本・台湾双方に届けるPRのプロフェッショナルがいる。寧ニンさん・凈ジンさんが代表を務める「NINJIN」だ。彼女たちはアートやデザイン、ライフスタイル領域を中心に、日台のビジネスマッチングや店舗出店の支援なども手がけるという。

日本の芸術祭で感動した経験から、国を越えてその魅力を伝えたいと願う彼女たちは、コロナ禍の台湾に起こった逆境を経て、「いまこそやりたいことがやれる」と語る。

「日本の地方が面白いらしい」と目を向ける、インバウンド観光客

─ はじめにNINJINの活動について教えてください。

ジン:NINJINは、日本・台湾を横断し、芸術祭のプロモーションを手がけています。大きく2つの活動を軸にしており、ひとつは日本の地方で開催される芸術祭を台湾にプロモーションすること。もうひとつは、台湾で開催される芸術祭を日本にプロモーションすることです。

まずは日本の芸術祭のプロモーションについて。前提として、台湾人は日本旅行が大好きなんです。台湾の人口は約2,300万人ですが、2023年のデータでも年間約400万人以上が日本を訪れています。「年に3回以上日本に遊びに行く」という人も少なくありません。それだけ何度も来ていると、だんだん日本に詳しくなるのですが、一方で「東京や京都はもう何度も体験したので、それ以外のところにも行ってみたい」とも感じはじめます。すると、どこかで「日本の地方が面白いらしい」と発見する。

私たちはそうした台湾人をターゲットに、日本の地方で開催される芸術祭の情報を発信したり、自分たちでツアーをつくってアテンドしたりしています。

ニン:日本には「瀬戸内国際芸術祭」や新潟県の「大地の芸術祭」、北海道の「札幌国際芸術祭」など、数えきれないほどたくさんの芸術祭がありますよね。こうした地域の情報を訪日観光客は知りたがっているのに、きちんと届いていないことがある。NINJINには日本・台湾それぞれにアートや文化に詳しいPRプランナーや編集者などが所属していて、海をまたいで協力しあいながら「どうすれば伝えられるか」を一緒に考えています。

ジン:もう一方の台湾の情報を日本に発信する活動は、近年で力を入れはじめたものです。というのも、ここ3年間ほどで、台湾の芸術祭がとても盛り上がってきたからなんです。たとえば台湾を150km半縦断して開催される「ロマンチック台三線芸術祭」や、旧正月をお祝いする国内最大級の祭り「台湾ランタンフェスティバル」、中国・福建省に隣接する台湾の離島で開催される「馬祖国際芸術島(馬祖ビエンナーレ)」などは代表例として挙げられますね。

芸術祭だけでなくイベントも盛況です。例えば、文化やライフスタイル系でいえば、「台湾文博会(CREATIVE EXPO TAIWAN)」はたくさん来場者を集めていますし、デザインでは「台湾設計展(Taiwan Design Expo)」が盛り上がっています。その他にも農業やマルシェ、先住民族をテーマにしたものなど、大小さまざまな地方イベントが盛んに開催されはじめていて、これらの情報をいかに広く国内外に伝えるか考えるのも私たちの仕事です。その中では、例えば台湾の芸術祭やイベントに日本のメディアを招いてアテンドする機会も数多くあります。

さらに、ここ数年はよりできることを広げようと、食やファッション関連の企業の台湾進出をサポートしたり、台湾企業と日本人アーティストの協業をコーディネートしたりと、さまざまな事業にチャレンジしています。

新潟県の「大地の芸術祭」に関するイベントをNINJINが台湾で開催した際の様子
写真左:凈ジンさん、写真右:寧ニンさん/新潟県の「大地の芸術祭」に関するイベントを台湾で開催した際の様子

ふたりをつなげた「アート」と「地方創生」

─ おふたりがこうした活動を始めたきっかけを教えてください。

ニン:ふたりとも、異なる背景から「アート」と「地方」に関心を持っていたからです。私たちはふたりとも日本に留学していて、慶應義塾大学大学院の「システムデザイン・マネジメント研究科(以下、SDM)」で学んでいました。私の研究テーマが「インバウンド」や「アートとメディアによる地方創生」、ジンが「アートを通じた地方活性化」と、偶然にも関心領域がすごく近かったんです。それで意気投合し、一緒に活動するようになりました。

─ お二人はどのようなきっかけでそれぞれのテーマに興味を持ったのでしょう?

ニン:私は台湾の美大を卒業した後2014年から日本の学校で雑誌編集を学び、その後SDMに入学しました。昔から日本のことが好きでしたが、観光などに興味を持ったのは日本へ留学してからです。最初はインバウンドに関心を持ち、小売店で通訳のバイトをしてみたり、旅行雑誌をつくったりしていました。

また、SDMには地方創生に関するゼミがたくさんあったんです。いくつものゼミに参加し、長野県小布施町や北海道沼田町など、地方にたくさん足を運びました。最後は埼玉県飯能市を舞台に選んで、地方創生について修士論文を書きました。そうした中で、「メディアと観光」といったテーマが自分の中で深まっていったんです。

ジン:私が興味を持ちはじめたきっかけは、2015年に初めて見た「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」です。大地の芸術祭は2000年から開催されていて、「アートを通じた地方活性化」の代表例としても有名だと聞いていました。

ただ正直なところ、最初は「地方で芸術祭をやっても影響はそれほど大きくないのでは?」「そもそも、多くの人はアートは美術館で見るものだと思っているのでは?」と半信半疑なところもありました。でも、実際に見るととても感動して。それからは「アートは本当に地方を活性化させるんだ」と確信を持ちました。

その頃はまだ台湾に芸術祭があまり普及していなかったこともあり、「芸術祭を起点に地方の魅力を発信する」というアプローチ自体も新鮮に見えたんです。そこから、日本全国の芸術祭にとにかく足を運び、現場でボランティア活動を繰り返していくようになりました。

─ 一緒に活動を始めてからNINJINを立ち上げるまでにはどのような経緯があったのでしょう?

ニン:SDM在学中から卒業後まで、私たちは様々なプロジェクトを一緒に手がけていきました。私はジンより一年遅れて入学したので、先に彼女は卒業してしまったのですが、その後も「一緒にやろうよ」と誘われる機会が何度もあって。例えば、横浜でアートを活かしたまちづくりをするプロジェクトでは、台湾の若者をたくさん日本に招致し勉強会を開催。私は通訳を担当しました。

中でも印象に残ったのは2019年の夏に行った、石巻で開催された震災復興の芸術祭「Reborn-Art Festival」です。この時はジンが組んだツアーに参加したのですが、本当に濃密な話をいっぱい聞いて。地震や津波の被害に遭った地元の漁師さんの話や、どのように石巻が復興していったかという話、震災後に移住した人々がレストランを開いたり、芸術祭をはじめたりする話など。みんなそれぞれのストーリーがあり、すごく感動したんです。

その時に、一緒に参加した台湾人の先輩も感動していて、「この経験は何かに記録するべきだ」と言ったんですね。その言葉に触発されて、私は「一冊の本にまとめよう」と思いました。そこから制作費をクラウドファンディングで集めて生まれたのが、石巻復興をつづった雑誌「XPLORE:石卷的重生(石巻の再生)」です。

石巻復興をつづった雑誌「XPLORE:石卷的重生(石巻の再生)」
XPLORE:石卷的重生(石巻の再生)

─ そうした経験を経て、NINJINを一緒に立ち上げたのですね。

ジン:はい。NINJINを創業した2019年は、ちょうど台湾にとってひとつの「節目」となる年だったんです。日本では2015年に「地方創生元年」という言葉が使われはじめましたが、台湾では2019年が「地方創生元年」だと言われていました。ちょうど絶好のタイミングで創業したんです。

いまでは台湾を代表する「ロマンチック台三線芸術祭」も、第一回の開催は2019年。初開催時はまだ誰も知らない台湾ローカルの芸術祭なので、それをいかに日本向けにPRしていくかを考えて。その時もニンに「一緒にやろう!」と私から声をかけて、日本のメディアを招待したり、日本語のプレスリリースを書いたりと試行錯誤していました。

コロナ禍の直撃。苦境を乗り越えた経験が次なる可能性へ

─ しかし、2019年といえば新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に深刻化し始めた頃です。

ニン:そうなんです。「これからだ」というタイミングでコロナ禍になってしまって。特に台湾はロックダウンや入国制限が本当に厳しくて、私たちが「こんなことをやりたい!」とイメージしていたことは全部できなくなりました。

ジン:当時は本当に大変でしたね…。台湾の芸術祭は文化政策として政府主導で開催されているものが非常に多いのですが、この時期は海外向けのPR予算は一気に削減されてしまって。日本語・日本向けのPRの仕事はほぼなくなってしまい、2022年初開催の馬祖ビエンナーレを台湾内で情報発信したり、地元の人向けにワークショップを開催したりと台湾国内だけで活動を続けました。

ニン:加えて「NINJINセレクション」というECサイトを立ち上げて、日本向けに台湾のデザイナーや工芸職人がつくった雑貨などの販売をはじめました。その経験は現在の仕事にもつながっているので、いま考えると結果的に良かったんじゃないかとポジティブにも捉えられる側面はありますね。

─ コロナ禍の台湾国内では何が起こっていたのでしょうか?

ニン:国外に出られないので、国内旅行を始める人がたくさんいた、というのが大きな変化だったと思います。それがきっかけで、逆に台湾の人々が台湾ローカルの面白さを再発見する機会が生まれた。私たちも「日本に行けない」という制約によって、台湾の地方が持つ可能性をより深く発見できたと思います。

先ほど「台湾の地方芸術祭が盛り上がっている」という話をしましたが、それはコロナ禍に台湾ローカルの面白さが再発見されていったから、という要因は少なからずあるかもしれません。

ジン:コロナ禍が落ち着いてからは、また台湾政府も文化政策に力を入れはじめていて、どんどん新しい取り組みが生まれています。いま、ようやくNINJINがやりたいことがやれると思いますね。

NINJINが携わった、日本最大級の台湾カルチャーイベント「TAIWAN PLUS 2023」の様子
日本最大級の台湾カルチャーイベント「TAIWAN PLUS 2023」での様子。台湾の芸術祭を日本に向け紹介している

「まだ誰もやっていない」ことをやりたい

─ おふたりが台湾と日本双方の人々に、「もっと地方やアートの魅力を知ってほしい」と思うモチベーションはどこにあるのでしょうか。

ニン:私は本当に幼い頃から日本が好きで、日台の「架け橋」となる仕事をやりたかったんです。それがいま叶って、日本の良いところを台湾の人々にシェアしたり、日本の友達に台湾の良さを伝えたりできていること自体が嬉しいんですよね。

ジン:私の場合、「まだ誰もやっていないこと」をやりたいという気持ちが原動力にあります。もちろん地方もアートも大好きなのですが、それ以上に日台の情報発信やビジネスマッチングを手がける企業で、アートやデザイン、ライフスタイルを専門とするポジションは空いていた。ニッチでもあるとは思いますが、自分たちの得意分野である仕事がたくさんあり、どれも面白くて毎日ワクワクしてます。

─ 切り口こそ異なるものの、おふたりともご自身のモチベーションがうまくいまのお仕事に接続されているのですね。

ニン:そうですね。最近日本のファッション系企業の台湾出店を支援しているのですが、思った以上に「文化の差」が障壁になる時もあって、「どうしたらこのハードルを越えられるだろうか」と試行錯誤する日々です。それが楽しいんですよね。

また、逆に「台湾のファッション系企業が日本に出店する」といった事例はまだ想像以上に少なかったりします。韓国系ファッションが日本でも人気なように、台湾発のブランドがもっと日本の街に当たり前にあったらいい。私たちが台湾の魅力を日本に伝えることで、そんな光景が生まれるきっかけを生み出せたらいいなと思っています。

ジン:私たちは馬祖ビエンナーレも最初の立ち上げからお手伝いしているんですが、この芸術祭は実はすごくアクセスが悪い離島で開催していて、どうやってPRしていくか頭を悩ませました。

だからこそ、日本人観光客が増えているという話や、「実際に行ってみた」という感想をネットで読むと、毎回「やばい!」と感動するんです(笑)。私たちの活動がきっかけで、実際に行動を起こしてくれる人がいる。その事実が何よりも嬉しいですし、これからも頑張っていきたいと思えるんです。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

莊寧(チュアン・ニン)

台北出身。国立台湾芸術大学映画学科卒。慶應義塾大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。研究テーマは「メディアとアートによる観光」。2014年から約5年間日本へ留学し、滞在中は通訳・インバウンドなど台湾向けPRにも従事。2019年に台湾に帰国し、NINJINを創業。学生時代から思い描いていた、「台湾と日本の架け橋になる」ことを目指し活動。

廖品淨(リョウ・ ピンジン)

台湾・花蓮出身。国立台湾大学外国語学科卒。大学卒業後にデザイン系の国際PRの業務に従事後、日本へ留学。慶應義塾大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。研究テーマは「アートツーリズム」。日本滞在時は全国のローカル芸術祭を巡り、その素晴らしさを台湾・日本メディアを通じて発信する活動を開始。2019年にNINJINを創業後、現在は花蓮に戻り、地元の石産業をアートと接続するプロジェクトにも携わる。今後は台湾ローカルと日本のローカルをさらに繋ぐことを目指す。

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