18歳にして経営者6年目。感覚過敏研究所 加藤路瑛が中学生からの事業活動で学んだこと

18歳にして経営者6年目。感覚過敏研究所 加藤路瑛が中学生からの事業活動で学んだこと
文:森田 大理 写真:須古 恵

12歳で会社を設立。自身の困りごとでもある「感覚過敏」の課題解決に取り組む18歳、加藤路瑛さんの道のりから、現代の若者ならではの生き方・価値観を探る

自らの意思でキャリアを切り拓き、社会で活躍する現代の若者は、どのような出来事に影響を受け、どのような価値観を持っているのだろうか。今回話を聞いたのは、株式会社クリスタルロードの代表取締役で、感覚過敏研究所の所長を務める、加藤路瑛(かとう・じえい)さん。この春に高校を卒業し、現在は早稲田大学人間科学部eスクールに在籍する18歳だ。

感覚過敏とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のいずれか、または複数が過敏になって、日常生活に困難がある状態。自身も幼いころから感覚過敏に悩んできた加藤さんは、起業した会社でこの課題を解消するための商品・サービスの開発や研究・啓蒙活動を行っている。

総務省 異能ジェネレーションアワード(2022)、Forbes Japan 30 U30(2023)への選出や、IPA未踏事業(2023)への採択など、活動が社会からも関心を集めているが、これまでの道のりは加藤さんにとってどんなチャレンジだったのだろうか。若き起業家の胸の内を語ってもらった。

「できない」よりも「できる/やりたい」を尊重してくれた

─ はじめに、加藤さん自身の感覚過敏について教えてください。

私は、五感のうち聴覚、嗅覚、味覚、触覚が過敏です。例えば、学校給食で食べられるものがほとんどなかったり、教室でクラスメイトや先生が立てる物音にストレスを感じたり、衣服の縫い目やタグが痛くて我慢して着るしかなかったりといった症状に悩んでいました。

それを「感覚過敏」と呼ぶのだと理解したのは中学生になってから。それまでは理由も分からず苦手なもの・できないことだらけの日々を送っていました。レストランに行けば食べ物の匂いが強すぎて帰りたい、テーマパークに行けば音がうるさくて帰りたい。まだ言葉で上手く表現できなかった幼少期は、どこに連れて行っても何かを嫌がり、すぐに帰りたがる子どもだったそうです。

― そういった症状があるなかで、加藤さんは12歳で起業するというチャレンジをしています。そのモチベーションはどこから湧いてきたのですか。

きっかけは、中学1年生のときに“小学生で起業した高校生社長”の存在を知ったことです。もともと早く働いてみたいとは思っていたのですが、起業という手段を取れば中学生の自分でも働けるのだと知り、一気に興味が湧きました。ただ、実際に行動に移せたのは、第一に親の教育方針のおかげですね。

私は感覚過敏の特性もあって、何でも「できない」が当たり前でしたし、嫌いなことだらけだったのですが、昔から両親はそれらを克服するよりも「できること」「やりたいこと」に注目して応援してくれました。だから、「自分も起業してみたい」と母に言ってみたときも、頭ごなしに否定せず「まずは先生に相談してみたら」と促してくれたんです。

中学1年生のときに、小学生で起業した高校生社長の存在を知ったことが企業のきっかけだと話す加藤路瑛さん

― 子どもの好奇心や挑戦心を尊重してくれたのですね。

それは、担任の先生も同じでした。起業の話をしてみたところ、先生は「それなら、事業計画書をつくってみては?」と具体的なヒントをくれた。生徒である私の思いにちゃんと耳を傾けてくれ、最初のステップを示してくれたから、夢物語で終わらせず起業を実現できた気がします。

― 12歳でお母様と株式会社クリスタルロードを創業した加藤さんですが、感覚過敏に関する事業を開始したのは、1年後のことです。なぜ事業をピボットしたのですか。

はじめは、私のように「子どもであることを理由に働く機会を諦めたくない人」をターゲットとした、子どもの起業支援や親子起業の支援事業に取り組んでいました。でも、現実はなかなか上手くいかなくて……。そんなときに父が「せっかく自分の会社があるのなら、自分の困りごとを解決してみたらどうだ?」とアドバイスをくれたのが、事業を見直すきっかけになりました。

でも、感覚過敏はあくまでも個人的な悩みであって、それが事業になるのか、確信が持てなかった。そこで、SNSで自分のような悩みを持つ人がいないか発信してみたんです。すると、「私も感覚過敏の症状がある」「音や光に過敏で外出するのが辛い」といった声が次々に返ってきたんです。困っているのは自分だけじゃないことを実感し、新たな事業として立ち上げることを決断しました。

「個人的な困りごと」が「多様な人々と協働で取り組むテーマ」に発展

― 「感覚過敏研究所」のこれまでの活動について教えてください。

感覚過敏研究所では、感覚過敏に関する啓発活動、研究、および対策商品・サービスの開発・販売を行っています。初期に手掛けたのは、感覚過敏の当事者が症状を周囲に知らせるための「感覚過敏マーク」開発。自身も当事者だという漫画家さん・デザイナーさんに協力いただき、缶バッジをつくりました。

また、ほどなくして新型コロナウイルスが流行。感覚過敏でマスクがつけられない人向けに、意思表示カードや感覚過敏の困りごとを伝える缶バッジ、そして"せんすマスク"をリリースしたことが、私の事業に注目いただくきっかけにもなりました。

感覚過敏の当事者が症状を知らせるために開発した「感覚過敏マーク」のキャラクター
感覚過敏の当事者が症状を知らせるために開発した「感覚過敏マーク」のキャラクター

― コロナ禍によって人々の生活習慣が変わったことが、事業の追い風にもなったのですね。

その影響は少なからずあると思います。仕事も学校の勉強もオンラインで進めやすくなったので、外出が苦手な私にとってはありがたい変化でした。そこで、次のチャレンジとして手掛けたのが、アパレル商品の企画。肌への刺激がやさしい生地を選定したり、縫い目やタグが素肌に触れないようにしたりといった、感覚過敏の悩みを軽減できるアパレルブランドを立ち上げました。

そこから更に発展し、今特に力を入れているのが、「五感にやさしい空間事業」です。街中で感覚の刺激に疲れたときに活用できる「センサリールーム」や「カームダウンボックス」と呼ばれる空間のプロデュースやアドバイス、および、刺激の強い場所や落ち着ける場所を示した「センサリーマップ」の作成にも取り組んでいます。

インタビュー時に着用していたのも、加藤路瑛さんがプロデュースした「カームダウンパーカー」
インタビュー時に着用していたのも、加藤さんがプロデュースした「カームダウンパーカー」

― バッジやマスクといった小物やアパレルの企画、そして空間プロデュースと、取り組みが非常に多岐に渡っていますね。どうしてこのように広がっていったのですか。

私自身が課題の当事者として困っていることや、あったら良いなと思っているものに着手するうちに広がっていった感じですね。また、感覚過敏のコミュニティから寄せられる声をもとにして取り組んでいるものもあります。それだけ感覚過敏の症状がある人たちは様々な場面で困りごとを抱えているし、解決のためのアプローチも多岐に渡ることを実感しています。

― この事業を手掛ける経営者として、手応えを感じた瞬間はありますか。

難しい質問ですね。経営者としては、まだまだ満足できるレベルまで事業を成長させられていないというのが正直なところです。ただ、「課題解決に取り組む者」としては、ユーザーからの声が一番の励みになりますね。

例えばカンコー学生服さんと一緒に開発した『やさしいYシャツ』を着たユーザーから「このシャツのおかげで学校に通えるようになりました」と言われたときは、心から事業をはじめて良かったなと思いました。

― 一方で、感覚過敏の当事者としての加藤さんは、事業活動を通して社会の見え方が何か変わりましたか。

この事業をはじめるまでは、あくまでも個人的な困りごとで社会に働きかけるものとは思っていなかったんです。でも、事業を通じて他の当事者や専門家など、社会の様々な立場の人たちと対話するようになって、ある種の希望も感じるようになりました。

感覚過敏の原因やメカニズムは、まだまだ解明されていないことも多いのですが、このまま研究が進み、いろんな手段が社会実装されたら、いずれは解決できるだろうなという予感もしていて。だから、私は前向きにこの事業を続けているのだと思います。

― 加藤さんのチャレンジをサポートや協働といった形で応援してくれる企業・団体も現れ、マスメディアにも取り上げられるようになりました。そのように社会から評価されてきたことをどう感じていますか。

当事者や専門家以外のみなさんにも感覚過敏が知られるようになってきたのは素直に嬉しいです。ただ、それでもまだ社会の一部にすぎません。社会全体に認知を広げていくためには、さらに多様な人とつながり、共感の輪を広げながら活動を続けたいです。

感覚過敏の「辛さ」を緩和し、「才能」に転換できないか

― では、将来の展望も見据えてこれからの話を聞かせてください。加藤さんはこの春から早稲田大学 人間科学部 健康福祉科学科(eスクール)へ進学しています。事業と並行して何を学ぼうとしているのですか。

感覚過敏の研究がしたいのが一番なのですが、感覚過敏は有効な解決手段がまだ定まっていない分野です。だからこそ、ブレインテック(脳科学×IT)や心理学、障害学など、いろんな分野を総合的に学びたくてここに入学したんです。

また、早稲田大学の人間科学部はeスクール(通信制)であることも決め手になりました。感覚過敏の特性に加えて、仕事との両立を考えると、eスクールは私に一番適した学び方。将来的に感覚過敏の研究者としても認められるように、時間はかかるかもしれませんが博士号の取得を目指しています。

― 事業と学問(研究)を両立するのはなぜですか。

“今”と“未来”の両方にアプローチすることが大切だと思っているからです。例えばARグラスのようなテクノロジーが飛躍的に進化することで視覚情報のコントロールが容易になり、一気に課題解決が進む可能性は多いにあるのですが、それはあくまでも少し先の未来の話。未来のために研究するのはもちろん大切ですが、事業活動を通じて今困っている人に向き合うことも重要だと、私は思っています。

未来のために研究するのはもちろん大切たが、事業活動を通じて今困っている人に向き合うことも重要だと話す加藤路瑛さん

― これから取り組む予定のこと、注力したいことを教えてください。

引き続き「五感にやさしい空間」づくりに注力していきますが、私たちが単独でというよりは、様々な企業・団体と一緒に取り組みを広げていきたいですね。

今、博物館や水族館、スタジアムのような施設でセンサリールームをつくったり、館内マップに表示したりといった動きが少しずつ増えています。そうした取り組みをはじめるときに、感覚過敏研究所を一番の相談先として思い浮かべてもらえるような存在になるのが私の目標。そのためには事業に注目いただくだけでなく、私自身が研究者として第一人者になっていきたいです。

― 加藤さんが感覚過敏の事業家&研究者として、究極的に実現したいことを教えてください。

感覚過敏の人たちが生き辛さから解放され、自由に何でも楽しめるような社会を実現したいです。当事者でもある私としては、何十年も先の遠い未来ではなく、あと10年くらいでほぼ解消するところまでたどり着きたい。そして、感覚過敏がただ辛いだけのものではなく、“個性”や“才能”として社会に認められるようになってほしいです。

感覚が鋭い私たちは、ちょっとした刺激に敏感。今はネガティブな側面が目立っているけれど、それが緩和できれば逆に強みとなって社会で活躍する道もあるのではないでしょうか。そんな未来が訪れることを期待したいです。

― もし10年後に解決していたら、加藤さんはそのときは28歳。次は何をはじめたいですか。

感覚過敏の事業をはじめる前から私が一貫していたのは、「何かを理由に諦めない社会を実現すること」でした。だから、また別のテーマで「今を諦めている人」に向けた課題解決に取り組んでいるのかもしれませんね。

もしくは、自分が諦めていたことを始めるのも良いかも。だとしたら、カフェを開きたいですね。今の私にはコーヒーの香りが強い刺激に感じられるため、カフェに長時間はいられないのですが、もしそれが解決できたら、いろんな人が落ち着いて過ごせるようなカフェをオープンさせたい。味や香りの繊細な違いが分かる個性を活かす場としても、面白いかもしれません。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

加藤 路瑛(かとう・じえい)

2006年生まれ。2018年に12歳で株式会社クリスタルロードを設立。2021年、15歳で代表権を取得し、代表取締役に就任。2020年に「感覚過敏研究所」を立ち上げ、感覚過敏がある人たちが暮らしやすい社会をつくることを目指し、商品・サービスの開発・販売、および感覚過敏の研究・啓発に取り組む。

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