英国に憧れアジアで起業した青年が、フェスの主催者として見つけた自分らしさ

英国に憧れアジアで起業した青年が、フェスの主催者として見つけた自分らしさ
文:葛原 信太郎 写真:須古 恵

ずっと持っていた静かな情熱。株式会社ONE 野村優太さんが、継続性と人との出会いから見つけた「自分がやるべきこと」。

仕事においてさまざまな場面で問われる「自分らしさ」「自分なりの視点」。いざ求められると答えに窮する人も多いのではないだろうか。兵庫県で「ONE MUSIC CAMP」「ARIFUJI WEEKENDERS」「MAGICHOUR」という3つの音楽フェスを仲間とともに主催する野村優太(のむら・ゆうた)さんは、いわゆるライスワークとライフワークを分けて、後者としてフェスに関わっていた。しかし継続的に活動を続けることで「自分にしかできないこと」を見つけ2025年から新たな挑戦に挑む。そんな野村さんが「自分らしさ」を見つけたストーリーを聞いた。

フィリピン留学での刺激がフェスにつながった

― まず野村さんが関わっているフェスについて教えてください。

私は仲間と一緒に、兵庫県三田市のキャンプ場で「ONE MUSIC CAMP」というフェスを開催しています。「ONE MUSIC CAMP」は、2024年に15周年を迎えました。2023年からは同じく三田市にある兵庫県最大の都市公園で「ARIFUJI WEEKENDERS」という音楽フェスもスタート。2025年には淡路島にある国営の公園で「MAGICHOUR」という音楽フェスも立ち上げます。

― 仲間と一緒にとのことですが、野村さんはどのような役割を担っているのでしょうか?

主催メンバーは私を含めて4人。全員フェス開催とは別に仕事を持っている“二足のわらじ”で活動しています。15年間の活動の中でメンバーも入れ替わっており、実は私も途中から参加したメンバーの一人です。

私が関わり始めた当初の「ONE MUSIC CAMP」は採算性度外視な運営体制だったので、まずは収益が上がる体制づくりに注力しました。飲食出店者さんの出店料を適正化させたり、ドリンクを提供するオフィシャルバーを運営して売上をつくったり…。さまざまな角度からフェスとして継続できるような基盤を整えて行きました。

近年は海外アーティストの出演交渉に注力しています。日本の音楽フェスで海外アーティストを呼ぶのはけっこう大変なんです。外国語で交渉しなくてはならないですし、渡航費用なども含めて費用は高額になる。それでも頑張って呼び込もうとチャレンジし、今ではそれが「ONE MUSIC CAMP」のアイデンティティのひとつになっています。

兵庫県の3つの音楽フェス「ONE MUSIC CAMP」「ARIFUJI WEEKENDERS」「MAGICHOUR」について話す株式会社ONEの野村優太さん

― 海外アーティストとの交渉も野村さんの担当なんですね。昔から海外に興味があったんですか。

中学や高校の頃からイギリスの音楽が好きで、とにかくイギリスに行きたい・住みたいという思いは強かったです。でもその前に、まずは英語をしゃべれなければ話にならないと考えて、大学を中退してフィリピンの語学留学に参加しました。当時は今ほど語学留学先として有名ではなかったのですが、今思えば自分にとっては最適の選択でした。

当時のフィリピンの語学学校は、起業家やリタイアしてもなお学ぶ意欲が高い人など、面白い人たちが集まっていて、とても刺激をもらいました。大学を中退したことに多少の負い目があったのですが、逆にそこまでしてここに来たことを称賛してくれる人にたくさん出会えたんです。

語学留学はイギリスへの通過点と思っていたのに、結局そのままフィリピンに居座り、そこで出会った仲間とビジネスをはじめました。5年ほどさまざまなことに挑戦したあと、私はそこから抜けて日本に帰国するんですが、フィリピンにいる間にフィリピンの音楽シーンの人々と仲良くなり、ONE MUSIC CAMPのメンバーともそこで知り合い手伝うことになりました。

― イギリスには行かずに日本に戻ってきたんですね。帰国後はどんなことを?

フェスだけでは生活できなかったので、企業に就職しました。「ライフワーク」と「ライスワーク」を分けることで、失敗を恐れずチャレンジすることができたので、結果的に就職してよかったと思っています。

現在は海外支社の立ち上げを担当していて、この冬までは香港を拠点に仕事をしています。平日は会社員として働きながら、休日はアジアを中心にさまざまなフェスに出かける、そんな生活を送っていました。働きながら海外経験を積むことができたことも自分にはプラスになっています。

フェスが地域に貢献できること

― 株式会社ONEが主催する音楽フェスにはどのような特徴があるのでしょうか。

「ONE MUSIC CAMP」は“みんなであそぶフェス” をコンセプトにしています。ライブはもちろん、キャンプ場、プールやアスレチックなど会場にある施設を有効活用して、大人も子どもも楽しめるような「非日常」を設計しています。参加型コンテンツも用意して、さまざまな人に楽しんでもらえるように多様な切り口を用意しています。

野村優太さんが携わり兵庫県三田市のキャンプ場で行われたフェス「ONE MUSIC CAMP」のメインステージ「STAR FILED」の様子
ONE MUSIC CAMPのメインステージ「STAR FILED」(Photo by Hiroshi Maeda)

ただ、15年も続けていると良くも悪くも型ができてくるんですよね。「らしさ」がはっきりしてくる反面、制約も明確になってきました。特に制約が大きいのはフェスの規模です。会場の広さやインフラの能力から「もうこれ以上は参加者を増やせない」というレベルまで来てしまっている。

そこで、もっと大規模なフェスとして手がけはじめたのが「ARIFUJI WEEKENDERS」です。兵庫県や三田市といった自治体や地元の組合などにも協力いただき、兵庫県内では最大規模となる県立の都市公園を舞台にし「週末にちょっと特別なフェス体験」というキャッチコピーで、日常の延長にある気軽さを売りにしています。

さらに、2025年の開催に向けて今まさに準備を進めている「MAGICHOUR」は、淡路島ならではの景色や世界的建築家・安藤忠雄さんの建築物を活かしてリゾート感を打ち出そうとしています。

野村優太さんが携わり兵庫県最大の都市公園で行われたフェス「ARIFUJI WEEKENDERS」のメインステージ
ARIFUJI WEEKENDERSのメインステージ。ライブの熱気が伝わってくる。(Photo by Hiroshi Maeda)

― 3つのフェスはそれぞれコンセプトが立っているんですね。

はい。それぞれに個性がありつつも同じ面々で運営していることもあって、共通項もあります。ひとつは、すべての会場が兵庫県で、地域の魅力を活かす工夫をしていること。切り口はそれぞれのコンセプトを反映していますが、例えばマルシェエリアでは、お酒や農作物、クラフトなど地域の特産品を活かした出店が並んだりしていますし、近隣の大学の先生をトークやワークショップの講師として迎えたりしています。

― フェスのクレジットを見ると、後援に自治体や地域の団体が入っているんですね。

地域とのつながりはここ数年、とくに意識するようになりました。はじめの頃は会場としてお借りしているだけくらいの気持ちでしたが、回数を重ねれば重ねるほど、自分たちの中に地域に対する愛着が生まれてきたんです。

それに、愛着を持っているのは我々主催チームだけでなく、お客さんもだと思うんです。私たちのフェスにはリピーターも多く、何度も開催地域に足を運んでくれている。おそらく、自然と地域に親近感を感じているのではないでしょうか。

それを上手く何かにつなげられるよう、私たちのフェスでは地域のアピールブースを設けてもらっています。近年、若者の流出はどの自治体においても大きな課題です。地域行政がフェスという文化イベントに協力していると知るだけでも、若者・子育て世代からの見え方は変わる。それを機に、地域に関心を持ってもらったり、好きになって移住してくれたりしたら、これほどうれしいことはないですね。

わかりやすい理想像を目指さなくていい

フェスの中で展開されるマルシェエリアの様子。お酒や農作物、クラフトなど地域の特産品を活かした出店が並んでいたり、近隣の大学の先生をトークやワークショップの講師として迎えたりもしている
フェスの中で展開されるマルシェエリア。音楽以外にもさまざまなコンテンツが楽しめるのがフェスの魅力のひとつ。(Photo by Hiroshi Maeda)

― 地域とつながり、その地域の魅力を上手く盛り込んだ形に設計されている。他のフェスと明確に意識している違いなどはあるのでしょうか?

わかりやすいものではないですが、私たちのフェスは「主催者であるONEのメンバー4人の個性」が反映されます。この4人のバランスでさまざまな変化が生まれるのは我々ならではではないでしょうか。

「去年は自分の色が強かったから、今年は別の誰かの色を強くしよう」というように、芯の部分は変わらずとも毎年少しずつ表出するものが変化する。今年はどんな景色が見えるか、自分たちでも楽しみなんです。

他のフェスでは、一人のカリスマ的な主催者が牽引しているものも少なくありません。一方の私たちは4人で主催しているからこその強みがあると思っています。

ただ、実は私もそういった主催者像を意識し、無理して前に出るよう意識していた時期もありました。でもあるとき知り合いに「野村さんからは、他のフェスの主催者から感じる音楽やフェスに対する暑苦しさをいい意味で感じない」と言われたことがあって。そのとき、「そうか、それでいいんだ」って思えたんです。

― 同じような熱意はあるけれど、その表出のさせ方が違うようなイメージでしょうか?

そうだと思います。改めて振り返ると、私は前に出てぐいぐい引っ張るのではなく、一歩引いた立ち位置から全体を見て、皆が熱量を発揮しやすくするようなバランサー的動きが得意なんです。そんなスタイルもあっていいんだと思えたことで、気持ちが楽になりましたし、そのスタイルを追求したことで、より良いパフォーマンスを出せるようになったと思っています。

日本と海外の架け橋としての挑戦

― 最後に野村さん個人がこれからやりたいことを教えてください。

フェスや音楽における日本と海外の架け橋としての役割を果たしていきたいと思っています。これまで海外アーティストの出演交渉を担当してきましたが、もっといろいろな切り口で自分のできることが見えてきました。

というのも、昨年、韓国で世界中のフェス関係者が集まるイベントに参加したんです。韓国、台湾、タイ、インドネシアなど…さまざまな国からフェスの主催者が集まっていました。たくさん話して、多くの人とのつながりを得ました。そこで出会った人がフェスに招待してくれることもあったし、私たちのフェスに海外から来てくれる人も増えました。

そうやって海外から日本を改めて見つめ直す機会を得て、日本に対して自信が持てるようになりました。それまでは、海外へのあこがれと反比例するようにどうしても日本を卑下しがちだったんです。

でも、海外の人と話すと、日本の音楽や文化のファンがとても多い。私が海外に憧れるように、日本に憧れてくれている人たちに出会いました。これを肌で実感できたからこそ、自分が果たせる役割があると気づけたんです。ここは勝負に出るべきだと考え、今年いっぱいで今の会社をやめて、フェスを中心とする音楽活動に専念することにしました。

自分が果たせる役割があると気づき、フェスを中心とする音楽活動に専念することにしたと話す野村優太さん

― それは思い切りましたね。

私は昔はコンプレックス持ちで、大学を中退したことやカリスマ主催者になれないことなどにコンプレックスを抱えていました。そうしたコンプレックスのひとつに、「自分のルーツに根ざしたことをできていない」ということもありました。兵庫県でフェスをやっているけれど、私の出身地ではないんですよ。「自分の育ってきた地域に恩返しがしたい」とか「親がやってきたことを引き継ぎたい」と言えたほうが説得力があるじゃないですか。そう言えないことに少しモヤモヤした感覚があったんです。

でも最近、やっと自分のルーツとやっていることが結びつきつつあるんです。というのも私は日本と韓国のミックスで、「大きくなったら、日本と韓国の橋渡しをしたい」なんて小学校の授業で発表したこともありました。そんなことをすっかり忘れていたんですが、今まさに日本と世界の橋渡しを頑張ろうとしている。

自分の生まれた環境や、大学を中退して留学して英語を勉強してきたことがつながったし、カリスマ主催者としてぐいぐい引っ張るのではなく「誰かと誰かの架け橋になる」という形でリーダーシップを発揮できるかもしれない。

たくさんの機会をきっかけに自分らしい道は見つけられたかなと思っているので、あとは自信を持って歩むだけ。まだまだどうなるかわかりませんが、とても興奮しています。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

野村優太(のむら・ゆうた)

音楽フェス「ONE MUSIC CAMP」「ARIFUJI WEEKENDERS」「MAGICHOUR」を主催する株式会社ONEの役員の一人。海外アーティストのブッキングや収益性の改善など、多岐にわたる役割を担う。フェス事業と会社員を両立していたが、2025年よりフェス事業に専念。日本と海外のフェス・音楽シーンをつなぐ架け橋を目指す。

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