チャレンジは大胆に、歩みは堅実に。24歳にして4つめの事業に挑戦する起業家の信念
16歳でインドへ留学。帰国後に事業を立ち上げ、22歳で事業売却も経験。24歳の起業家、concon株式会社 CEO 髙橋史好さんの道のりから、主体的に自己実現をしていくためのヒントを学ぶ
自らの意思でキャリアを切り拓き、社会で活躍する現代の若者は、どのような出来事に影響を受け、どのような価値観を持っているのだろうか。今回登場するのは、慶應義塾大学4年生でconcon株式会社 代表取締役CEOの髙橋史好(たかはし・ふみこ)さん。2000年生まれの24歳だ。
髙橋さんは、高校2年時に留学したインドでの経験から起業家を志すようになり、帰国後はトゥクトゥク事業やYouTube事業をスタート。登録者数約17万人まで育てたYouTubeチャンネルを売却し、現在は新たに「TOKYO LOLLIPOP」というインバウンド向けのガラスリングブランドを立ち上げ、更には地元群馬の名産品「だるま」を海外向けに展開するブランドも立ち上げている。
起業家としてチャレンジを続ける髙橋さんは、どのようなキャリア観・人生観の持ち主なのだろうか。
周囲の反対を押し切って、群馬の高校生がインドへ単身留学
― まずは、インドへ留学する以前の髙橋さんについて教えてください。どのような環境で育ったのですか。
我が家は両親ともに教師という家庭で、厳しく育てられてきたと思います。通っていた学校には私の親と職場が一緒だった先生たちもいたので、「髙橋先生の娘」という見られ方をすることも度々あり、優等生でいなきゃと自然と考えていて。何をすれば自分の評価が上がるのか・下がるのかを気にして行動しているような子どもだったんです。
― そこからなぜ高校時代にインド留学をすることになったんですか。
「自分の好きなように生きたい」という私なりの反抗でした。留学前の私は、学校の成績があんまり良くなくて、親の期待にも応えられず八方塞がりの状態。どうにかして人生を変えたいと思っていたんです。しかし、反抗と言っても根は真面目なので、夜中まで遊び歩いたり家出をしたりするような勇気はなかった。
そんなときにテレビから聞こえてきたのが、「インドへ行くと人生が変わる」というフレーズです。インドに単身で行く高校生なんて聞いたこともないし、人生が変わるなら私も行ってみたい。そう思って、家族や学校の大反対をなんとか押し切り、16歳の夏から約1年間インドに滞在して現地の高校に通いました。
― 髙橋さんが起業家を志した原点はインドにあるそうですが、具体的にはどのような経験をしたのでしょうか。
インドに行って、人生で初めて「起業家」に出会ったんです。留学中に私がお世話になった家庭は、お父さんが一代で財を成した人物。彼は若い時に両親をなくし、絵を描いて売るところから商売をはじめて、今では不動産デベロッパーとして多数の物件開発を手掛けているようなアントレプレナーでした。そんなお父さんが「16歳の少女がひとりでインドにやってくるなんて、フミコは肝が座っている。資質があるからぜひ起業しなさい」と助言してくれたんです。
また、私のことを気に入ってくれたお父さんが、仕事の商談に同席させてくれたり、手掛けたビルのオープニングセレモニーに参加させてくれたりしたことも。「公務員になって定年まで安定して働くことが最良」という価値観の中で育った私としては何もかもが正反対で刺激的な毎日でした。そんな日々を過ごすうちに私も起業したいと思うようになったんです。
「ノーリスクで起業にチャレンジしやすい時代」が追い風に
― 日本に帰国後の髙橋さんは、「インドJKの日常」という動画でTikTokの運用に挑戦しています。これはどのような狙いだったのでしょうか。
起業したいと思って帰ってきたものの、当時の私はどこにでもいる普通の高校生。事業をはじめるための資金も、ビジネスの知識もありませんでした。そんなとき、書店に並ぶ本を眺めていたら「これからは“影響力”が大事な時代」だという言葉が目に飛び込んできたんです。SNSやメディアなら資本がなくても挑戦できるし、持ち物なく起業を志す私の唯一の突破口だと感じていました。
でも、他のユーザーの二番煎じをやっても動画はバズらない。私にしかできないコンテンツはないだろうかと考えて思い浮かんだのが、インドでの生活をスマートフォンで記録していた動画です。最初に投稿した動画からいきなり数十万回の再生数に。多いときは200万回再生にもなったのが、私の初めての成功体験になりました。
― TikTokと並行して、高校時代から様々なビジネスコンテストにも出場していますよね。なぜそんなに積極的にチャレンジできたのでしょうか。
「持ち物がないゆえに、何も失わずチャレンジできるのだから、参加しない手はない」という感覚でした。それに、私に参加できるビジコンはないかと調べてみたところ、ハンデだと思っていた「地方在住の女子高生」という私の状況は、実は非常に恵まれていた。地方創生や女性支援、若者支援など、様々なコンテストの参加条件に私の属性は当てはまったので、事業をはじめるステップとしてありがたく活用していました。
― そうしたコンテストをきっかけに、トゥクトゥク(インドや東南アジアの三輪タクシー)を群馬県で走らせる事業にも挑戦していますよね。学生ながら順調な滑り出しのように感じます。
そんなこともないんですよ。まずはやってみようと色々チャレンジしてみるものの、幾度も失敗しているんです。例えばTikTok。バズらせることはできても当時は収益化の手段がなかったので、マネタイズが上手くできず事業と呼べる状態ではありませんでした。また、トゥクトゥクも導入が進んだものの、法規制(白タク問題)が壁になって当初の事業構想から運用を変える必要が生じました。そういう失敗を積み重ねながら、ビジネスの基本を学んだのがこの時期。試行錯誤をするうちに、徐々に向き合い方が見えてきたんです。
― ノーリスクだからこそ多少の失敗も厭わず実践を繰り返せたのかもしれませんね。そうした経験から、髙橋さんはどのような向き合い方を学んだのでしょうか。
簡潔に言えば、ちゃんとマーケットを吟味して、自分の得意が活かせる分野で勝負することですね。私の場合、自分が好きなことや興味のあることをコンテンツに落とし込み、実装させたり、話題を作ったりまではできたのですが、それをビジネスとしてスケールさせることが難しかった。まだプレイヤーが少なくこれから大きく伸びそうなマーケットや、自分が他の誰よりも詳しいと言えそうなフィールドで勝負することが大事。そうした学びがあったからこそ、私はインドをキーワードに勝負することにこだわってきました。
インフルエンサーではなく「商売」がしたくて新たな事業をスタート
― 2020年頃より手掛けていたインド向けのYouTubeチャンネル事業は、まさに髙橋さんの強みを存分に活かした事業だと感じました。
そうですね。インド現地で高校生活を送り、インドのZ世代の肌感覚を持っていることは自分の強みだと理解していました。TikTokで動画のノウハウも見えてきた頃だったので、勝負するならここだと思ったんです。また、当時は、動画市場の成長率はインドが1位と言われていた時代。市場も大きくてどんどん伸びている割に、インド向けに動画を展開している「(インドから見たときの)海外プレイヤー」が少なかったんですよ。これは私がポジションを取れるマーケットだと思いました。
― 具体的にはどのような動画をつくったんですか。
日本でも外国人が日本のエンタメやカルチャーに対してリアクションする動画が人気ですが、そのインド版をつくったんです。狙い通り再生数が伸びていき、平均再生数20万回、最高700万回再生、登録者数17万人のチャンネルに育てることができました。
― チャンネルはひとりで運用していたのですか。
いえ、同世代の仲間とチームをつくって運用していました。とはいえ、インド向けのコンテンツですから、英語が話せる帰国子女や外国語系の大学でヒンディー語を学ぶ子をスカウト。私たちはちょうどコロナ禍の大学生で、授業は完全オンライン、アルバイトもインターンもなかなかできない時期でしたから、「自分の強みを活かして何かチャレンジしたい +就職活動での“ガクチカ”が欲しい」というバイリンガルの子たちが面白がって参加してくれたんです。
― 好調だったYouTube事業ですが、2022年に売却する決断をしています。どうしてなのでしょうか。
一番の理由は、私が目指しているものが「インフルエンサー」ではなく「起業家」だからです。憧れていたインドのお父さんのようになるには、メディアの運営に留まらず物をつくったり売ったりといった「手触り感のある商売」をしたいという思いが段々と強くなっていきました。でも、そうしたチャレンジにはある程度まとまった資金が必要。事業売却は、新しい商売を始めるための選択でもありました。
― そうして次なる事業として2023年にスタートしたのがインバウンドをターゲットとしたガラスリングブランド「TOKYO LOLLIPOP」です。なぜこのビジネスにしたのでしょうか。
これも、「好き」「得意」と「マーケットの成長性」を掛け合わせた結果です。ファッションやアクセサリーは好きだけど、飽和状態の国内市場では競争も激しいし、すでに良いものが溢れている市場でむやみに消費を刺激することって、地球にとっていいことではありません。それに、誰かからの熱狂的なニーズは生まれないという感覚があり…。一方で、私はこれまでの経験で海外向けマーケティングの感覚は養われているし、インバウンド市場は大きく伸びている。だったら、インバウンド向けのかわいいお土産をつくろうと考えたんです。
また、私たちにしかできない商品にしていくうえでは、やはりインドがキーワードに。インドに詳しい私だからこそ、シーシャ(水たばこの器具)の加工工場と直接交渉をして、シーシャをつくる過程で発生するガラスの廃材を活用した指輪が生まれました。
いくつになっても、何度でも、人はチャレンジできる
― 現在は、「TOKYO LOLLIPOP」から派生して、新たにだるまブランド「極東 -THE FAR EAST-」を立ち上げていますよね。指輪からどうやってだるまにつながったのですか。
きっかけは、2024年の1月にラフォーレ原宿で「TOKYO LOLLIPOP」のポップアップストアを出店したこと。ありがたいことにショーウィンドウを飾らせてもらえることになったものの、まだまだブランドをスタートしたばかりでお金がなかったので、空間設計のプロには頼まず自分たちで作り上げることにしました。そこで、手軽に入手できて「大きくて見栄えが良くて縁起がいいもの」を置こうと考えて思いついたのが、だるま。私が生まれた群馬県高崎市豊岡町は、日本一のだるま生産地なんです。実家近くのだるま職人さんに頼み込んで、ピンクと青のカラフルなだるまをつくってもらってディスプレイしました。
それが、まさかの海外の方たちに大ウケ。なかには「いくらでも出すから売ってくれ」というお客さんも現れ、相場の30倍の価格を提示されたくらいでした。そうした現象を目の当たりにして、これこそ私が介在する意味だなと思った。だるまは基本的に年末年始や選挙のときが需要の大半で、国内市場は衰退を続けています。でも、海外をターゲットにすればまだまだ可能性はあるかもしれない。そこで地元のだるま屋さんをまわって、カラフルにデザインされたオリジナルのだるまを生産する体制を確立。新たなブランドとしてスタートさせることにしたんです。
― 髙橋さんは24歳にしてすでに4つ目の事業に挑戦していることになりますが、こうしたキャリアを歩めているのは、自身のどんな行動やスタンスによるものだと思いますか。
インドで染みついた成長への執着やアグレッシブな性格と、保守的な公務員家庭で培った堅実さを求める性格のバランスがあるのは私の強みだと認識しています。
起業家というと「大胆な挑戦者」という印象が大きいと思いますが、実際は先が見えない中で決して派手ではないことを淡々と積み上げていくのが、仕事のほとんどです。だからこそ、チャレンジの一歩目こそ大胆に踏み出し、その一方で淡々と一つずつ積み上げていく作業にも心地よさを感じられる性格はとても良かったと感じます。
インドで人生観は変わったものの、学校の先生の娘として16歳までに培われた人間の性はそう簡単に変わることはありませんでした。小さな頃から堅実にコツコツと積み上げていくことがしみついているのか、背伸びをする感覚や、大胆な賭けは得意ではないんです。
YouTubeも特別な一手や才能があったわけではなく、制作に10時間かかるものを200本上げただけ。事業を売却したのも、外部資本ではなく自己資金の範囲(自分の目が届く範囲)で、新しい商売を始めたかったからでした。とてもシンプルで、「やると決めたことは途中で投げ出さずに愚直にやり抜く」とか、「地味なことに手を抜かない」とか、そうした行動が成果に結びついている気がします。
― 最後に今後の展望についても教えてください。現在24歳の髙橋さんは、どのようなキャリア・人生を思い描いていますか。
16歳でインドに飛び出した経験が、今も複利的にいろんな意思決定に関わり、今の私を作り上げているという感覚が強く、「思い出や経験こそ複利がきく」と日々感じています。
やはり、従来の働き方の常識だと、「60歳までは身を削って働き、余暇は老後に」というパターンが多いですよね。ただ、理想は自分が一番欲しい経験やものを先延ばしすることではないと感じます。きっと、感性も身体も元気な時にする経験こそ価値ですし、得た感動や思い出がその後の長い人生に与える影響は、複利的に大きくなっていきます。
だからこそ、私は28歳までは起業家として成果が出せるよう思い切り仕事に向き合い、余白がつくれたなら、20代のうちに「お金」「時間」「健康」の使い方に真剣に向き合い、実践したいと感じています。自分の人生を時間軸でフェーズに分け、40代までは余白を作り、その後経験を糧に新しい事業にチャレンジするのも面白そうです。とはいえ今はお仕事に没頭しすぎ、想像はつきませんが(笑)。
― 20代、30代、40代…とライフステージの変化も踏まえながら仕事とプライベートを行ったり来たりする人生観を持っているのが、今を生きる若者らしいと感じました。
たしかに時代のおかげかもしれません。いくつになっても変化できるし、リスタートできるという感覚は私の中にもありますね。だからこそ、将来の自分が何をしているかはまだまだ未知数。これからたくさんの経験を積み、今とは全く別人になってどんな挑戦をするのか、私自身も楽しみです。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 髙橋 史好(たかはし・ふみこ)
-
concon Inc. CEO。2000年、群馬県生まれ。高校時に単身インドへ留学。滞在先のファミリーから刺激を受け、起業家を志す。帰国後、「インドJKの日常」というテーマでTikTokを運用。慶應義塾大学進学後は、地元群馬県で三輪タクシー「トゥクトゥク」を走らせる事業や、インド向けYouTubeチャンネル事業を開始。2022年にYouTube事業を売却し、翌年インバウンド向けガラスリングブランド「TOKYO LOLLIPOP」を立ち上げ。2024年には地元の張り子だるま工場と協力し、だるま事業もスタートさせた。