ものづくりの可能性を広げて、世界を変えたい。20歳のロボットエンジニア 立崎乃衣の挑戦の原動力

小学3年でロボット製作をはじめ、海外でも受賞実績多数。現在は米国留学と並行して企業経営者の顔も持つ立崎乃衣さんの生き方から、自分らしいキャリアを突き進むために必要な行動・スタンスを探る。
自らの意思でキャリアを切り拓き、社会で活躍する現代の若者は、どのような出来事に影響を受け、どのような価値観を持っているのだろうか。今回登場するのは株式会社ADvance Lab 代表取締役社長CEOで、2024年9月より米国 スティーブンス工科大学に留学中の立崎乃衣(たつざき・のい)さん。2004年生まれの20歳だ。
幼い頃よりロボット製作に情熱を傾けてきた立崎さん。中高時代はチームでロボコンの国際大会に出場し、数々の賞を受賞している。また、高校卒業後はあえて大学進学を1年保留し、事業運営に参画。現在は米国での学生生活と日本での事業活動を並行するという道のりを歩み始めたところだ。
高校3年生だった2022年にはForbes JAPAN主催の「30 UNDER 30 JAPAN」にその年の最年少で選出されたこともある立崎さん。社会が注目する立崎さんの活動は、どのような思い・価値観によって実現してきたものなのだろうか。
好奇心で始めたことが、「なぜこうなるのか?」と次なる好奇心を呼ぶ
― 立崎さんは何がきっかけでロボットに興味を持つようになったのですか。
幼いころから工作が好きで、木工の工作をしたり、ラジオのキットなどを買ってもらって電子工作に熱中したりするような子どもでした。当時はあくまでも遊びの感覚でしたが、特に好きだったのは、図面や説明書に合わせてつくるだけではなく、完成したものを観察して「どうしてこれは動いているんだろう」と考えてみること。エンジニアをしている父が私にそう問いかけてくれた影響もあると思います。好きで工作に取り組むうちに新たな好奇心が湧いてくるという経験を繰り返し、小3でたどり着いたのがロボットです。
でも私、ロボットがつくりたかったわけではないんですよ。当時憧れていたのは「自動運転車」をつくること。そこで、試しに電子制御で動くミニチュアの車をつくって、道路に見立てた線の内側だけを走ったり信号の色にあわせて停止・前進したりするようにしてみたところ、「これはロボットだね」と人から指摘されてロボットの概念を知ったくらい。でも、そこからロボットへの好奇心が芽生えて、パソコンもまともに触ったことがない状態からプログラミングを勉強。小学5年のときには、エンジニアが将来の夢になりました。
― 中学からは国際的なロボットコンテスト(ロボコン)に出場するチーム「SAKURA Tempesta」に所属し、更にロボット開発にのめり込んでいくようになりますよね。
そうですね。中学に入学した頃の私は独自に料理を運ぶ給仕ロボットをつくったことをきっかけに大型ロボットの魅力に惹かれていました。でも、やってみたからこそ、大型のロボットをつくるには場所もお金も必要だと分かった。ひとりで努力するだけでは限界があることが見えた時期だったこともあり、チームでロボットをつくることに興味を持ち参加しました。
― 中高6年間で取り組んだロボコンでは、チーム・個人で複数の賞を獲得しています。世界中のチームと競うことでロボット開発の専門性を磨いていったのですね。

ロボコンは、エンジニアとしてのスキルや知識を身につける機会であったと同時に、社会とつながり自分の視野を広げてくれた、貴重な経験でした。というのも、大型ロボットを開発し大会に出場するには、毎年数百万円単位で費用がかかるため、チームの活動を支援してもらえるスポンサーを探したり、活動を認知してもらうためにイベントを企画したりといった、「ものづくり周辺の活動」にも取り組んできました。そうした経験を通して社会の仕組みを理解し、世界の見え方も変わった気がします。
周囲の理解を得るために、まずは小さくはじめてみる
― 立崎さんは、コロナ禍の2020年に3Dプリンターでフェイスシールドを製作・寄付する団体「Face Shield Japan」を立ち上げ活動したことでも大きく注目されました。ロボットとは一味違う活動に踏み出したのはなぜですか。
社会全体で未曽有の事態が起きている中で、私に何ができるかを考えたのが発端です。私にはものづくりの知見があるし、自宅にはロボット製作のための3Dプリンターもあったから、これで医療従事者のためにフェイスシールドを作って寄付すれば、自分でも社会の役に立てるかもしれないと。そう気づいたら、心に一気に火がついて動くことができました。
それに、コロナ禍でロボコンの活動も止まってしまいましたし、学校も一定期間の休校を経てオンライン授業が続いた。私にはフェイスシールドを作る技術と時間がありました。
けれど、最初は親の反対もあったんですよ。両親は小さな頃から私の意思を尊重してくれ、大抵のチャレンジを応援してくれる人たちですが、このときばかりは未知のウイルスを前に「慎重に考えた方が良い」と首を縦に振ってくれなかった。ロボコンチームのみんなに話してみても、「どんなリスクがあるか分からない」という意見が大半でした。

― しかし立崎さんは実際に活動をスタートさせ、医療機関等に2,200個以上のフェイスシールドを寄付しています。なぜ実現できたのですか。
私、一度エンジンがかかると簡単には止まらないタイプなんです。反対されたその日のうちに、「じゃあ、口で言うだけじゃなくできるところを見せれば良いんだ」と思った。それで、3Dプリンターで1回実物をつくって製品の品質や生産体制に問題がないことを確認。医療機関に配布するための手順も考えて、同時並行で団体のWebサイトも準備しました。その上で改めて両親に相談したところ、「そこまで考えているならやってみてもいいんじゃない」と、一転して応援に回ってくれたんですよね。
― 非常時の活動とはいえ、ロボットとは異なる取り組みは立崎さんにとってどんな機会になりましたか。
自分の興味をロボットから社会へと大きく広げるきっかけになりました。フェイスシールドを配布するなかで感じたことのひとつが、モノは十分にあっても必要な人に行き届かないもどかしさ。需要と供給を適切にマッチングするインフラやプラットフォームの重要性に気づき、社会システムのデザインにも興味が芽生えました。
例え失敗しても、「その時点の自分にとっては正解だった」と考える
― 高校卒業後はアメリカへの留学を1年遅らせ、いわゆる“ギャップイヤー”を過ごしていますよね。この期間で社会に出て働きはじめたのも立崎さんのユニークなところだと感じました。なぜこの決断ができたのですか。
実は卒業後はすぐに留学するつもりで準備していました。必要な書類も揃え、入学許可を得るためのエッセイも書き終えていたのですが、出願締め切りの朝になって「やっぱりもう1年日本にいようかな」と。そう思ったのは、「高校を卒業したらすぐに大学へ進学する」というある種の“既定路線”に乗っかっているだけのようで、ワクワクできない自分がいたからです。
今思うと、準備ができていたのに締め切り当日まで出願しなかったのは、「心に迷いがあったから」なのかなと。自分がなぜアメリカで機械工学を専門的に学ぼうとしているのか、まだ漠然としていて、そんな状態で進学することに違和感があったのだと思います。とはいえ、決断した時点では日本で何をするかもノープランだったんですよ。でも、1年間で何かできるはずだと心が躍ったのを覚えています。
― 立崎さんは「迷ったときはワクワクする方を選ぶ」という直感を大事にしてきた人なのかもしれませんね。それで後悔することはないですか。
迷うことももちろんありますが、一度決めたら霧が晴れたようにすっきりとした気分で突き進むことが多いですね。後になって間違いに気づくことや違う選択をしておけば良かったと思うことだってあります。でも、少なくとも「決断時点の私にとっては、その選択をすることに意味があった。失敗に見えるかもしれないが、自分の心に正直に動いたという点でその時点の自分にとっては正解だった」と思うようにしているので、後悔はしないです。

― 実際のギャップイヤーはどのような仕事をしたのですか。
小学5年でロボット教室に通って以来お世話になっている株式会社リバネスの「アドバンス採用制度」を利用し、モルティング ジェネレーターとして活動しました。科学技術分野の研究者が集い、教育や人材育成を手掛ける同社で、次世代向けの出前実験教室や植林用ドローン開発、海洋分野の創業支援などに携わりました。
特に次世代を担う若手研究者の支援に関わったことが私にとっても大きな契機に。この取り組みを発展させるべく、リバネスのグループ会社として次世代研究者のための研究環境や研究者コミュニティの構築を目的とした株式会社ADvance Labを立ち上げ、私がCEOを務めることになりました。現在は同世代のメンバー3人で会社を運営しながら、中高生・大学生の研究者たちの支援を行っています。
合理的に道筋を立てるよりも、今ワクワクできることに取り組みたい
― ここからは、現在の立崎さんの活動について教えてください。ギャップイヤーを経て、2024年9月からはスティーブンス工科大学に留学しています。アメリカでの学生生活ではどのような学びを得ていますか。
現在は機械工学を専攻しています。子どもの頃から手探りでやってきたことを学問として改めて学んでいる最中です。あとは、様々な分野の研究者・教授の話を聞いたり対話をしたりするなかで、「テクノロジーと人間との関わり方」について深く考える機会をもらっています。
実はこれ、自分のロボットに対する感情と社会のロボットに対する見方にギャップを感じたことから関心を持つようになったテーマでもあるんです。もともと人とロボットは「人が使う側」であり「ロボットは人に使われる道具」であるという主従関係が前提とされていますよね。でも、多くの研究者と関わる中でこれからの地球や社会について視野を広げてみると、「人間中心的」なあり方に違和感が芽生えました。
人間の都合を優先して自然環境を蔑ろにしては地球の未来がないように、ロボットと人も主従関係ではなく、家族や友達のような関係性でありたいと私は思います。だからこそこのテーマを更に探究するために、私はロボティクスや機械工学だけでなく地球や社会、ビジネスについてもっと学びたいと思っています。

― 一方で、学問の傍らADvance LabのCEOとして経営にも従事されていますよね。二足の草鞋は大変ではないですか。
普段は遠隔で活動しているので、日本の人たちとリアルに会えないことにより人脈・関係性を構築しづらい難しさはあります。ただ、そのデメリットを補って余りあるほど、チャレンジしがいがありますね。
例えばチームでの事業運営。これまではエンジニアとして自分がプレイヤーでしたが、今は自分が現場で直接手を動かすことはできないので、チームで協力して動くことが必須。組織で目標を成し遂げる力を磨いています。
それに、メンバーが世界にまたがってチームをつくるのもメリットがあるんですよ。時差があるので、私がアメリカで寝ている間に依頼していたタスクを日本で進めてくれて、起きたときには完了していることも。そうした動きができるので、渡米前に予想していたよりもスピード感を持って動けています。
― 今は何か特定のロボット開発を行っているのでしょうか。
最近は完成品としてのロボットを作ることにはそこまでこだわっておらず、細かな技術的チャレンジをしている状況です。というのも、私が10代で学んだ技術を使えば、今の世の中でも活用できる範囲のロボットはある程度つくれます。ただ楽しくつくるだけならそれでも良いんですけど、私はその先に行きたい。ものづくりの可能性を広げることにワクワクしています。
― では、立崎さんが思い描いている「その先」を教えてください。どんな未来を実現したいですか。
一言で言うならば、誰もが自由に自己表現ができる世界ですね。もう少し私の専門分野に近づけて言い換えるなら、「誰もが専門知識や技術を持たなくても、つくりたいものがつくれる世界」にしたいです。とはいえ、それを実現するための具体的な道のりは未知数。でも今はそれで良いと思っています。
どんなに合理的に計画を立てても上手くいかないことだってあるとコロナ禍で学びましたし、偶然の出会いが引き寄せたチャンスもこれまでに沢山経験してきましたから。かっちりと決め切って走るよりは、今は自分の好奇心に従って突き進むこと。それを繰り返すことで、未来は創造できると信じています。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 立崎 乃衣(たつざき・のい)
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2004年生まれ。小学3年からロボット製作を開始。2017年より、アメリカの国際ロボコンFRCに出場するチーム「SAKURA Tempesta」に所属しロボットの設計を担当。同年よりチームで6年連続受賞、世界大会出場権を4度獲得、2022年には個人賞 Dean’s List Finalist Award を受賞。2020年4月にFace Shield Japanを立ち上げ、自作のフェイスシールドを2,200個以上全国の医療機関に寄付。同年、Lenovoグループが主催する「New Realities」プロジェクトにおいて「世界を変える10人の若い女性」に日本人で唯一選出。2022年、Forbes JAPANの30 UNDER 30 「日本発 世界を変える30歳未満30人」に選出。高校卒業後ギャップイヤーを取得し、株式会社リバネス モルティング ジェネレーターに就任。2024年6月に株式会社ADvance Lab 代表取締役社長CEOに就任。2024年9月より米国 Stevens Institute of Technologyに在学中