三重大学 教育学部 准教授 栗田季佳氏は、インクルーシブ教育の視点から、障害と社会の関係、偏見や差別が生じる心のメカニズムなどを研究してきた。栗田氏の目には、日本の障害者雇用の現状、障害者の受け入れに関する日本社会の現状がどう見えているのだろうか。自身の経験談と共に伺った。
障害や問題は、周囲の見方にある
高校生のとき、『どんぐりの家』(山本おさむ・小学館)というマンガに衝撃を受けました。障害のある子たちと周囲のきれいごと抜きの関係が描かれたマンガです。
こんな子たちが登場します。ある子は一度口に含んだ食べものを出して、みんなに見せるクセがありました。周囲が止めてもいっこうにやめません。お父さんがあるとき、この子は「おいしいから食べて」と伝えているのだと気づき、口から出されたみかんを食べたら、その子が喜んだのです。別の子は、歩道橋に石を並べる習慣がありました。お母さんはある日、この子は石にきれいな夕陽や飛ぶ鳥を見せてあげたいのだと気づきました。障害や問題は、周囲の見方にあるのだと感じました。
受験勉強中で、学力の高さや努力に価値を置きながら窮屈さを抱えていた私は、このマンガを読んで、価値観を揺さぶられました。障害児が見ている世界を知りたい、と思ったきっかけです。
障害者と健常者を分けることそれ自体が偏見だ
大学で、障害者への偏見やステレオタイプを調べる心理学研究に出合い、障害者へのアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)の測定を始めました。人はなぜ、自らの障害観にとらわれ、本人の発するメッセージになかなか気づけないのか、その認知の枠組みを知りたかったからです。
しかし私はあるとき、根本的な間違いに気づきました。それまでの私の研究は、障害者と健常者を分けて調査するものでした。そうやって特徴の一部を切り取って障害者として分類すること自体が、偏見だと気がついたのです。それ以降、私の中心テーマは「障害者と健常者を分けないためにはどうしたらよいのか?」に変わりました。
極端な見方かもしれませんが、私は特別支援教育そのものも課題の1つだと捉えています。なぜなら、小中高校と特別支援学校はもとより、通常学級と特別支援学級を分けることも、分断の原因になっているからです。通常学級の子たちからすれば、支援学級の子たちはやはり他人で、知らないことが決めつけを助長します。一緒に学んだり遊んだりして相手の人間性が見えてくれば、個別的な関係のもとで自然と助け合いも喧嘩も他の子どもと同じように起こるはずです。
同じことが企業でも起こっているようです。障害者雇用の皆さんは、他の社員とは違う特別な存在になってしまっています。特例子会社にはさらに明確な壁があります。この分類の問題をどうやって乗り越え、障害者を社会全体で受け入れるのか。私の最も大切な研究テーマの1つです。
障害のある人たちと付き合っていると、相手の障害以上に、性格や好みや考え方の方に目がいくようになります。人間の付き合いは、障害のあるなしでほとんど違いはないのです。障害がその人の中心にあるわけではありません。そう見ているのは自分自身です。必要以上に健常者と障害者を分けると、障害が強調されてしまいます。私はそのことに問題を感じています。