ミドルシニア 多様な働き方 「40代・ 50代・ 60代からの人生を充実させる ‐ つながりのすすめ ‐」
仕事のヒントを探しに会社の外へ一歩出てみたら、人生を変える出会いが待っていた【自分らしい人生とキャリア Vol.3】
2021年04月26日
少子高齢化、働き方の変化、テクノロジーの進化…。私たちを取り巻く環境は大きく変化しています。40代・50代・60代になれば、これまで積み上げてきたキャリアがあるがゆえに「自分は今さら変化できるのか」と不安を感じてしまうことも尚更でしょう。そこで、このシリーズでは、人との出会い・つながりをきっかけに自分の人生・キャリアを大きく変えた当事者にインタビュー。決断のきっかけとなった人とのつながりにフォーカスしながら、はじめの一歩を踏み出すヒントをお届けします。
第3回目に登場するのは、豊田 陽介さん。大手食品会社に17年間務めていた豊田さんは、40歳で東京での会社員生活に終止符を打ち、長野県佐久穂町でカレー屋を開業しました。豊田さんが新たな人生を送るきっかけになった「人とのつながり」とは、どのようなものだったのでしょうか。
豊田 陽介さん
新卒で大手食品会社に入社。営業、営業企画推進、新規事業企画、ダイバーシティ推進などを歴任。3人目の子どもが誕生後、1年間の育児休業を取得。育休期間に長野県佐久穂町に1カ月滞在したことをきっかけに本格移住を決断。職場復帰後は長野と東京の2拠点生活を送るも、「家族の近くで働くこと」を実現するべく退社し、2020年6月、佐久穂町に「カレー屋ヒゲめがね」を開業する。
家族構成:妻、子ども3人(10歳の息子、5歳と3歳の娘)
※掲載内容は、2021年4月末時点のものです。
≪つながりのきっかけ≫
新規事業のヒントを求めて社外に出たことが、自分を見つめ直すきっかけに
── 豊田さんは2020年3月までの17年間、大手食品会社にお勤めだったと伺いました。その会社はカレーが主力商品ですよね。いつかはご自身でカレー屋を出すことを見据えていたんですか。
そんなことは全く考えていなかったんです。昔の私は、自分が何をしたいかというより、周囲の期待に全力で応えて喜ばれることがモチベーションだったタイプ。若い頃はそうやって仕事に取り組むことで成長実感もあり、会社や仕事には特に不満も悩みもなかったんですよ。
── では、豊田さんが移住・起業したきっかけは何でしょうか。
そもそものはじまりは、私が2016年頃に新規事業のプロジェクトに任命されたことです。消費者との新たな食の接点を広げることがミッションだったのですが、私にとって新規事業に携わるのは初めての経験で、何から手を付けたらよいのかも分からないところからのスタート。何かヒントがほしくて、新規事業担当者が集まるような社外のイベントに参加して交流の機会をつくりました。
そこで一番感じたのは、他社のみなさんとの意識の差。私は会社から任された仕事を何とか形にしなきゃと動いていましたが、他社の新規事業担当者は、「世の中に新しいことを仕掛けたい」「社会のために役立つことをしたい」と自分軸で主体的に推進されている様子でした。これまで私は、会社のミッションを忠実に遂行して、それなりに仕事ができる自信もあったのですが、このまま人からの期待に応えるだけの人生でよいのかと、価値観が揺らいだんです。
── 人との出会いをきっかけに、自分の人生を見つめ直すようになったと。
そうですね。ちょうどその頃は、プライベートでも立て続けに流産を経験して夫婦でつらい想いをしていた時期とも重なり、改めて自分がどんな人生を送りたいか考えてみると、「温かい家庭を築きたい」という言葉が湧き出てきました。そうした自分の気持ちに気づけたからこそ、次女の出産を控える中で1年間の育休を取得しようと決断したんです。
── もし社外の人たちと出会っていなかったら、育休は取らなかったかもしれませんね。
次女の誕生は新規事業プロジェクトが形になる重要なフェーズでもあったので、昔の私ならこのタイミングで自分が仕事を離れるなんて考えもしなかったでしょう。社内でも当時は男性が育休を1年間取得した前例がなく、自分のやりたいことを見つめ直すような出会いがなければ、上司に相談すらしなかったと思います。
≪つながりの広がり≫
1年間の育休。仕事を離れた環境で新たなつながりが広がり、移住を考え始める
── 育休期間はどのように過ごしましたか。
家事と育児に目の回るような忙しさでした。これまで妻がどんなに大変だったのかを実感しましたし、食品会社の社員として主婦・主夫の実態を経験することは大きな学びでしたね。家にいるだけでなく、子どもを連れて出掛けると地域のみなさんから気さくに接していただき、親同士のつながりができたこともあります。また、Facebookに育児日記を書いて発信していたのですが、“1年育休を取ったパパ”という珍しさもあって、知り合いを通じて「話が聞きたい」と声をかけていただくこともありました。
── 仕事を離れたことで新たな人との交流が生まれているのですね。
特に、パパ同士のつながりが広がりました。仕事とは関係なく父親という共通点で交流をして気づいたのは、同世代や少し下の世代の父親たちは、私が思っている以上に「家族との時間を大切にしたい」、「育児に参加したい」と考えている人が多いこと。世の中の価値観が変わりつつあることを感じました。
── 育休期間中に、現在お住まいの長野県佐久穂町を訪れていますよね。これはどのようなきっかけだったのでしょうか。
こんな時期じゃないと経験出来ないことを家族でしようと考え、息子の夏休み期間を利用して、都会を離れて自然豊かな土地で過ごそうと計画したんです。私も妻も佐久穂町には行ったことがなく、長野にも縁はなかったのですが、妻の友人が先に移住をしているという噂を聞きつけ検討してみることに。町役場に相談をして、妻が興味を持っていた就農体験をさせてもらいながら、新規就農者向けの長屋に1カ月短期滞在をすることになりました。
── この短期滞在が移住を決断させたんですね。
そうです。佐久穂町の自然環境も魅力的でしたし、子どもたちも近所のみなさんに大変かわいがってもらって、ここでの暮らしを本格的に考えはじめました。また、佐久穂町で翌春の開校に向けて準備を進めていた小学校の存在を知ったのも大きいですね。たまたま短期滞在中に体験スクールが開催されており、連れて行った息子の楽しそうな姿を見て、この学校に通わせたいと思うようになったんです。
≪つながりが導いた、キャリアの決断≫
社外コミュニティに相談すると、独立をポジティブに応援してもらえた
── 豊田さん一家は2019年に佐久穂町に移住していますが、その時点では会社を退職していませんよね。
はい。平日は千葉の実家から都内の職場に通い、週末は妻と子どもたちがいる長野で過ごす2拠点生活をしていました。会社を辞めるつもりはなかったんです。でも、家族のための選択のはずなのに、私と家族が過ごす時間が短くなってしまった。家族の近くで働く選択肢を考えるようになりました。
── それでカレー屋の開業を考えたのですか。
カレー屋に辿り着くには、やや紆余曲折があります。実は、はじめのうちは地域の企業に転職することを考えていたんです。でも、佐久穂町は人口わずか1万人の町ですから、就職先が少ない。住宅営業や介護の仕事に就く選択肢はありましたが、私の目的は家族の時間を最優先することなので、残業やシフト制の働き方で家族とすれ違いの生活になっては意味がありません。
そうやって考えるうちに最も家族と過ごしやすい選択肢として思い浮かんだのが、独立・起業。私にどんな商売ができるかと自分のキャリアを振り返ってみると、会社員時代に培ったスパイスの知識を活かしてカレー屋をはじめるというアイデアに至りました。
── 独立に不安はありませんでしたか。
もちろん不安はありました。でも、会社員時代にスパイスマスターという社内資格を取得していたこともあり、スパイス配合の仕方や火の入れ方、素材との合わせ方などには詳しかったんです。「元○○(前職)のスパイスマスターによるカレー屋ってどう思う?」と東京や長野の友人に聞いてみると、みんなが応援してくれた。佐久穂町の知り合いのお店でテスト販売も行い、地域のみなさんの反応も確かめた上で決断しました。
── 社外の人とのつながりが、新しいキャリアに踏み出す勇気になったんですね。
そうですね。会社の外でつながった人(社外と交流することにポジティブな人)は、変化や挑戦に前向きなスタンスの人が多く、私は社外で他人の夢や目標に否定的な「ドリームキラー」に会ったとことがありません。社内の人間関係に閉じず、相談できる相手が外に広がっていたことも自分のキャリアに影響している側面はあると思います。
≪つながりを活かすヒント≫
3つの“いっしょ(う)”懸命を心掛ければ、自分らしい道に舵を切れる
── とはいえ、誰もが知る大手企業を辞めるという決断を奥様は反対しませんでしたか。
育休を取る前後で、「これからどのような家庭を築いていきたいか」と話し合いを重ねてきたこともあって、妻は自分らしい生き方をしてほしいと納得してくれました。実は、もともと育休を1年取る相談をした時点では、「休んで生活はどうするの?」と懐疑的だったんです。だから、もし話し合う期間もなく私がいきなり会社を辞めて長野に行くと宣言していたら大反対だったかもしれません。
また、育休中に「これからは家事も育児も仕事も夫婦で分かち合おう」と話せていたのが大きかったですね。私だけで家計の100%を賄おうとすればリスクが大きすぎて踏み出せなかったかもしれないけれど、2人で家計の5割ずつ稼ぐのであれば、カレー屋でやっていける気がした。それで、週4日ランチ営業のみのカレー屋をオープンさせました。
── 17年務めた会社を退職し、長野に完全移住されて約1年が経ちました。現在の状況はいかがですか。
おかげ様でお店は繁盛しており、当初予想の倍以上のお客様に来ていただいています。人口が少ない分お店も少ないので、口コミで広まったり、地域のニュースで取り上げていただいたりと、話題にしていただきやすいのが地方のよいところですね。また、地方移住をしたことで東京の知り合いと接点が少なくなると思いきや、偶然にも新型コロナウイルスの感染拡大と時期が重なり、世の中全体でオンラインが当たり前になったので、距離は離れても昔の知り合いとのつながりは変わっていないですね。オンラインイベントなどに気軽に参加できますし、もはや人とのつながりに距離は関係ないと感じています。
── では、最後にこれから新しいキャリアに一歩踏み出したいと考えている人たちへ、アドバイスをお願いします。
私自身が大切にしていることは、3つの“いっしょ(う)”懸命です。第一に、一つの所(今の場所)で全力を尽くす「一所懸命」。そうすることで磨いたスキルは、次のキャリアに進むための手助けになるはずです。二つめは協働を意味する「一緒懸命」。会社と家の往復だけでは何も変わりません。普段とは違う環境の人に会い、一緒になって何かに取り組んでみることで気づきが得られるはずです。そして最後は「一笑懸命」。どんなに大変なことやつらそうなことも、自分に意味があると思って面白がれるか。何事も笑ってポジティブに取り組むことです。
この3つがかけ合わされば、自分の人生をかけて取り組みたいと思える4つ目の「一生懸命」に気づき、その道へ進めるはずだと、私は信じています。
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