新型コロナウイルス感染症にかかるのは自己責任。
そう考える日本人が多いことが国際調査から明らかになった。
不幸な状態にある人に対し、責任を問う声は、例えばホームレスの人たちにも向けられる。
だが困窮している人を前に、自己責任を理由に手を差し伸べないのはおかしい。
ここに紹介するのは、14歳という多感な時期に、たまたま出合った社会問題を根気よく追い続け、試行錯誤の末、解決の道を作った女性の物語だ。
中学2年で出会った「ホームレス問題」
東京の山谷、横浜の寿町と並ぶ日本三大ドヤ街の1つが大阪の釜ヶ崎である。ドヤとは「宿(やど)」の逆さ言葉で、日雇い労働者が寝泊まりする簡易宿泊所が立ち並ぶ場所をいう。川口加奈氏は、ある日曜日、釜ヶ崎の公園で、そうした宿にも泊まれないホームレスの人たちにおにぎりを配る炊き出しというボランティア活動に参加していた。2005年、当時14歳の中学2年生。
きっかけは電車通学の帰途ふと目にした光景だった。ホームレスの人たちが整列し、何かをもらっていた。家に帰り、ネットで、釜ヶ崎のこと、日雇いのこと、その仕事さえない人たちがホームレスになりやすいこと、そして、炊き出しのことを知る。百聞は一見に如かず。部活に行ってくる、と母親には嘘をつき、足を運んだのだ。
川口氏が振り返る。「小学生の頃から読書が好きで、『はだしのゲン』『ガラスのうさぎ』など、戦争の悲惨さを描いた物語にはまっていました。ちょうどイラク戦争が起き、生まれる時代や国が違っていたら、自分も同じような悲惨な目に遭っていたかもしれないと。将来は国際協力機関で働きたいと思っていたのですが、通学路の近くに貧困状態の人がいるなんて、夢にも思いませんでした」
そのときから16年の歳月が流れた。大学生のときに立ち上げた、ホームレス状態からの脱却を支援するHomedoorは現在スタッフ11名を擁し、18室ある個室型宿泊施設とカフェを運営している。これまでに就労や生活支援を提供した困窮者は3000名以上。だが、ここまでの道は決して平坦ではなかった。川口氏の奮闘を振り返ってみたい。