大学在学中、コロナ禍に思い立ってラーメン店『すするか、すすらんか。』を開業。西 奈槻さんが「日本の若者に“選択肢”を示す。」をビジョンに掲げ、新会社・やるかやらんかを創業した理由
近鉄奈良駅から10分ほど歩いたところにある『すするか、すすらんか。 』。名物の麻婆豆腐ラーメンが好評を集め、県内屈指の人気を誇るラーメン店の一つだ。
代表の西 奈槻 (にし・なつき)さんが同店をオープンしたのは、コロナ禍の最中にあった大学2年生の頃。その後2022年4月には、Z世代に特化したリサーチやプランニング支援などを行う新会社・やるかやらんかを創業した。
それらすべての活動の背景には、かつて音楽活動で世界を目指した経験から生まれた「人の心を動かしたい」想いがあると西さんは話す。揺るがないビジョンのもと、学生時代から積極的な行動を続けられるのはなぜなのか。その人生の一端に触れながら、同氏が「日本の若者に選択肢を示したい」と考える理由を紐解いていく。
ノリの裏にあった「人の心を動かしたい」気持ち
── 西さんがラーメン店『すするか、すすらんか。』をオープンしたきっかけを教えてください。
コロナ禍が訪れたことがきっかけです。大学にも通えず遊びにも行けなくなってしまった結果、とにかく暇になってしまって。あまりに暇すぎたので、“ノリ”で始めることにしたんです。
──飲食店経営の経験がないところから、いわば衝動的にラーメン店を開業しようと思い立った、ということでしょうか……?
はい。本当に思いつきと勢いだけ。いくら稼ごうとか、これくらいお店を大きくしたいとかの見通しは、一切なかったです。すぐに大学の友人を誘い、開店のための準備をスタートしました。
── そこまで勢いよく動けた理由はどこにあったのでしょうか?振り返って思い当たることはありますか?
あとから振り返ると、当時の“ノリ”の根底には「人の心を動かしたい」という想いがあったのだと最近になって気づかされました。この想いはずっと自分の中にあるモチベーションの一つでもあるんです。一番わかりやすいのは、高校3年生まで続けたドラムの経験です。
ドラムを始めたのは小学6年生の頃。出会った瞬間からめちゃくちゃハマって、 中学校では吹奏楽部に入りました。そこは毎年東京ディズニーランドや埼玉スーパーアリーナで演奏するほどの強豪校で。自分は3年時に部長を務め、全国大会6位になる経験をしました。
高校ではより高いレベルの環境で練習したいと考え、部活ではなく大人たちがいるチームへ進みました。そこに所属していた人たちが、みんなアメリカへ勝負しにいっていたので、自分も自然とアメリカを目指すようになり。高校生のときには一人でアメリカへ渡り、ひたすらオーディションを受けていた時期もあります。「ドラムで飯が食えるようになりたい」と本気で考え、定期テストを休んでまでアメリカに行っていたくらいでした。